三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

五月雨を集めて早し

2011年05月30日 20時25分35秒 | 徒然なるままに
  
     五月雨を集めて早し最上川     芭蕉

有名な芭蕉の句です

この句を「統計学的に説明せよ」というのが
ある大学の統計学の定期試験の問題として出たのです。
なんて いつもこの時期のブログで書いてます。
私が卒業した地方の、ある大学ですが、
いつも思い出すのです。
どのようなことを答えさせようとしているのかお分かりでしょうか。
正解は、
「量が変われば質が変わる」ということ、だそうです。なるほど!

一粒一粒の雨が、滔々たる流れとなる。
海に流れて大津波すら引き起こす元ともなる。
驚天動地、世の中をひっくり返す力ともなりうる。

一人ひとりの人間の持つ力はたかが知れているが、
力を合わせれば恐るべき力となるということを思わせる。

それを信じて「憲法9条を変えるな」という署名を集めて回る。

『親は刃をにぎらせて人を殺して死ねよとて二十四までを育てしや・・・』
与謝野晶子『君 死にたまふことなかれ』の一節。

俺の子供、孫に銃など持たせるものか。

なめんなよ、クソ政治家どもよ!

花 海芋 オランダかいう

2011年05月19日 19時42分22秒 | 徒然なるままに



「花のように見えるのは仏炎苞で、なかに肉穂花序があります。」
検索すると上のようなよくわからない言葉が出てきます。
むかしからよく見かけます。サトイモ科の植物です。
「海芋」と書くようです。

  かたはらに野壷ころがる海芋かな    八木林之助

  海芋大きく活けてマキシム帽子店    三宅絹子


近くの保育園の裏の畑で撮りました。

花 プリマバレリーナのごとき

2011年05月18日 10時50分27秒 | Nature Photo


この花が好きです。
見事だと思いませんか。ユキノシタです。
全長は2.5センチくらいです。
見れば見るほどすごいなあと。
だれでも見たことはあるでしょうが、
こうしてアップにすると
びっくりするでしょう。
このプリマバレリーナに「ブラボー」
ほんとはあまり紹介したくなかったんだけどね。

ユキノシタには白い葉脈をうかせたものと、
赤い葉脈のものとあります。
白い方の若い葉はてんぷらにするとおいしい。

花 じゃがいも

2011年05月17日 08時28分58秒 | 徒然なるままに


地味な花です。
いいと思うのですが。

   じゃがいもの花のさかりのゆふまぐれ     日野草城

   じゃがいもの花の三角四角かな        波多野爽波
                        (『新撰俳句歳時記』明治書院)

じゃがいもの花を詠んだ句もあるものです。

おととい消毒ということをやりました。
着毒ですけどね。やらないと葉っぱも実も坊主にされてしまいます。
手で取るのも大変です。
我が家では家の周りのムカデ対策が主な目的。
ところでムカデは百足と書きますが、足が何本あると思いますか。
何匹かの足を数えてみたところ、20対前後です。左右であわせて50本未満です。

花や新芽の季節は虫たちの季節でもあります。




原子力神話の崩壊

2011年05月13日 12時52分52秒 | 徒然なるままに
原子力神話の崩壊


高木仁三郎というすぐれた科学者がいました。残念ながら2000年10月になくなった。
生涯をかけて原子力という巨大なエネルギーを人類がコントロールすることの困難さを、危険を訴え続けた科学者でした。たくさんの著書を残していますが、亡くなる2ヶ月前に出版された『「原子力神話からの解放」日本を滅ぼす九つの呪縛』(カッパブックス・光文社)という著書があります。ぜひ読んで欲しいのですが、光文社業務部に聞いたところ、すでに絶版とのことです。
福島原発の事故後の処理は困難を極め、今後の見通しも立たない状況にありますが、そのような事態になることは、この書物の中ですべて喝破されていると言ってよいでしょう。1945年日本に原爆が落とされ、1954年3月1日、アメリカの水爆実験によって多量の放射能に汚染された第五福竜丸、その翌日3月2日に、国会に予算提案し、強引に政治的に原発を導入したのが中曽根康弘・齋藤憲三(当時改進党)の両氏他数名の代議士たちでした。「札束で科学者の頬をひっぱたく」というたかちで反対論を抑えこみ、反対運動には金をばらまき暴力まで使って徹底的に攻撃したのです。
多岐にわたる内容を紹介することはできません。出版社にも在庫がないということで読んでいただくのは難しいでしょう。図書館か、ネット上で探せば手に入るかもわかりません
あるいは、高木仁三郎氏が立ち上げた原子力資料情報室に問い合わせるしかないでしょうか。





原子力と人間 湯川秀樹博士の詩を読む

2011年05月10日 15時29分23秒 | 徒然なるままに
湯川秀樹博士という日本で最初にノーベル賞をうけた科学者は、日本人ならほとんどの人がご存知だろう。
1949年、少年少女向け雑誌「少年少女の広場」に発表された湯川博士の詩を紹介します。
1945年夏、日本に原爆が落とされています。
少し長いですが、最後まで読んでいただきたいと思います。「巨大な原子力」を手に入れた人間は、この詩が書かれた後、どのように生きてきたのかを振り返ってみるために。

 原子と人間   湯川秀樹

人間はまだこの世に生まれてなかった
アミーバもまだ 見えなかった
原子は しかし すでに そこに あった
スイソ原子も あったし
ウラン原子も あった
原子は いつ できたのか
どこで どうして できたのか
だれも 知らない
とにかく そこには 原子が あった

原子は たえず 動きまわっていた
ながい ながい 時間が 経過していった
スイソ原子と サンソ原子が ぶつかって 水が できた
岩が できた
土が できた
原子が たくさん 集まって ふくざつな 分子が できた
いつのまにか アミーバが 動きだした
しまいには 人間さえも 生まれてきた
原子は その間も たえず 活動していた
水のなかでも 土のなかでも
アミーバのなかでも
そして 人間の からだのなかでも
人間はしかし まだ 原子を知らなかった
人間の目には 見えなかったからである

また ながい時間が 経過した
人間は ゆっくり ゆっくりと 未開時代から 脱却しつつあった
はっきりとした「思想」を持つ人々が あらわれてきた
ある 少数の天才あたまのなかに「原子」のすがたがうかんだ
人間が 原子について 想像を たくましくした時代が あった
人々が 錬金術に うき身を やつす時代もあった
そうこうするうちに また 二千年に近い歳月が ながれた
「科学者」と よばれる人たちが つぎつぎと 登場してきた
原子の姿が きゅうに はっきりしてきた
それが どんなに ちいさなものであるか
それが どんなに はやく 動きまわっているか
どれだけ ちがった顔の原子が あるか
科学者の答えは だんだん細かくなってきた
かれらは しだいに 自信をましていった
かれらは 断言した
「錬金術は 痴人のゆめだ
原子は永遠に その姿を かえないものだ
そして それは 分割できないものだ」

やがて十九世紀も おわろうとしていた
このとき科学者は あやまりに 気づいた
ウラン原子が じょじょに こわれつつ あることを 知ったのだ
人間のいなかった昔から すこしずつ こわれつづけていたのだ
壊れたウランから ラジウムができたのだ
崩壊の 最後の残骸が ナマリとなって堆積しているのだ
原子はさらに 分割できる事を知ったのだ
電子と 原子核に再分割できるのだ

やがて 二十世紀が おとずれた
科学者はなんども 驚かねばならなかった
なんども反省せねばならなかった
原子の ほんとうの姿は 人間の心に描かれていたのとは すっかり 違っていた
科学者の努力は しかしむだではなかった
「原子とは何か」という問に こんどこそまちがいのない答ができるようになった
「原子核は さらに 分割できるか
それが 人間の力で できるか」
これが 残された問題であった
この最後の問に対する答は 何であったか
「然り」と 科学者が 答えるときが きた
実験室の かたすみで 原子核が 破壊されただけではなかった
ついに 原子バクダンがさくれつしたのだ
ついに 原子と人間とが 直面することになったのだ
巨大な原子力が 人間の手にはいったのだ
原子炉のなかでは あたらしい原子が たえずつくりだされていた
川の水で しじゅう冷やしていなければならないほど 多量の熱が 発生していた
人間が 近よれば すぐ死んでしまうほど多量の放射線が 発生していた
石炭の代わりに ウランを燃料とする発電所
もう すぐに それが できるであろう



湯川博士は、日本で最初に原子力委員会ができたとき委員として参加しています。しかし、当初から原子力を政治主導的に発電に利用する計画には批判的ですぐに辞めています。博士の後半生は平和運動に捧げられた。
この詩の最後の数行は、巨大な原子力というエネルギーを人間が制御できるであろうかという湯川博士の危惧を感じ取れるように思うのですが。



きんぽうげ

2011年05月09日 13時23分25秒 | 徒然なるままに


きんぽうげである。
金鳳花と書くようだ。

   水ひいて畦縦横や金鳳花     原 石鼎

   きんぽうげ咲きぬ少年川を堰き  岸風三楼

これは毒があるといってうさぎなどには食べさせなかった。
なつかしい風景である。
まさに今の時期を象徴する。
あまり好かれる花ではないようだ。

藤の花ぶさみじかければ

2011年05月07日 08時04分28秒 | 徒然なるままに


  瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

正岡子規 病床にあってのたうちまわりながらの歌。
明治35年5月5日から新聞『日本』で『病床六尺』の連載を始める。
その直後から凄まじい激痛に襲われ、生死の境をさまよう。
そのころの『病床六尺』の文章に、
「余は今まで禅宗の所謂悟りといふ事を誤解していた。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違ひで、悟りといふ事はいかなる場合にも平気で生きていることであった」と。この当時の歌である。

小生はこの歌「それがどうしたの」という歌の典型であると思っていたのだが、
カリエスの病巣から吹き出す膿は、数カ所に空洞を作り、生き腐れの状態で麻痺剤、モルヒネに頼り、果てしない苦痛と戦っていた。じっと、藤の花ふさを眺めておれるような状態ではなかったはずだと書いている人もいる。
「それがどうしたの」ではなかったのだ。
俳句には、

  藤の花長うして雨降らんとす

がある。ずいぶんと違うように思う。状況が違うのだろう。

この時期、藤が咲くと子規を思い出す。
近所の雑木に咲く花である。山の手入れが悪くなるとこういうツル性の植物が跋扈する。
しかし、花はきれいである。




中公新書『俳句的生活』(長谷川櫂 著)からの引用・孫引き・盗用が多い。けしからんと思われる方もいるだろうな。

ウサマ・ヴィンラディン殺害

2011年05月06日 17時13分26秒 | これは許せない
アメリカはアルカイダ指導者ウサマ・ビンラディンを殺害したと発表した。
いかなる犯罪を犯した人物であろうと逮捕したのであれば、正当な裁判を受けさせる権利は保障しなければならない。
いきなり家族もろとも銃弾によって殺害することが許されるのだろうか。
もっと許せないのは、この作戦が「ジェロニモ」という暗号名で行われたことである。
アメリカ先住民族アパッチの最高指導者であったのがジェロニモである。
アメリカ大陸への侵略者たるヨーロッパからの移住者は先住民族を殺戮し、土地、資源、自然など豊かな大陸を略奪した。
日本での原爆の使用、朝鮮戦争、ベトナムでのジェノサイド、イラク・アフガニスタンでの無差別殺害などいままでやったアメリカの犯罪。
「有色人種は昆虫なみにしかみていない」(本多勝一)のだ。
アメリカは差別の国である。
WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)のみが人間なのだ。
アメリカの黒人奴隷の子孫たるオバマ大統領にそのことをやらせたところに意義があるのであろう。