三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

アーネスト・ヘミングウエイ

2006年01月16日 08時21分43秒 | 教育 
夢中になって本を読み始めた頃、中学2年ぐらいからか、ひたすらヘミングウエイを読んでいた。ほぼ全作品を読んでいると思う。
1月15日のある新聞の記事に、ヘミングウエイの博物館が火事によって焼失したとある。
バハマのビミニ島にある博物館、バーと併設された木造の建物は、早朝の火事で焼け落ち、写真や遺品も失われたそうである。
残っていてもおそらく行くことは出来なかったであろうから、残念ともなんとも言いようがない。
遺品が焼けてなくなっても、かつて彼が存在し、作品がある以上は、どうということはない。が、少し寂しい。
狩猟、釣り、酒、ファシズムとの戦いなど作品と同時に、生き様にあこがれていた。
1961年、62歳で銃による事故死となっているが、自殺であろうという説が強い。
 
  ※アーネスト・ヘミングウエイ(1899~1961)『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『日はまた昇る』『キリマンジャロの雪』『フランシス・マコーマーの短い幸せな生涯』『殺人者』など。52年ピュリッツア賞・54年ノーベル賞。



責任者でてこい!

2006年01月15日 07時35分55秒 | 教育 
『毎日新聞』の私の好きなコラム「発信箱」紹介します。

『毎日新聞』1月14日 コラム「発信箱」
 「責任者でてこい!」 松井宏員
《「それにしても、イヤな世の中やなあ」
「テレビの街頭インタビューで、『総選挙は郵政民営化を支持したので、それ以外は白紙委任した覚えはない』って答えてた人がおったけど、いまさらそんなこと言うても」
「日本人は金もうけ以外、ものを考えんようになってるんちゃう?」
「小学生に株の買い方教えるんやから。ほかに教えることあるやろ」
「人生は勝ち負けちゃう。なにがヒルズ族じゃ!」
以上は年末、六本木ヒルズとは全く無関係のおっさん連中で、はしご酒をしたときの会話。酔っぱらいのボヤキかも知れないが、増税路線に改憲試案とやりたい放題やられては、ボヤキたくもなるというもんだ。
「戦後世代になにもかもまかして大丈夫でしょうか」とは、やはりおっさんからの年賀状。ポスト小泉に挙げられる諸氏には、重みも深みも感じられない。郵政でも靖国でも「問答無用、批判は聞かぬ」という小泉サン流のごう慢さがかいま見え、さらに、それを是とする風潮が、おっさんたちには居心地が悪い。
そんな時流に逆らって、「もの言えば唇寒し」にしてはいかんと昨秋、「人権、平和」をテーマに、大阪で月刊誌「うずみ火」(06・6375・5561)が創刊された。わずか数百部、手刷りでスタッフがページをホッチキスでとめて郵送するという「家内制手工業」。編集部6人のほとんどが、これまたおっさんだ。小さい火だが、消えることなく、こんなご時世をボヤキ続けてほしい。私もボヤク。                            (社会部)》   

 このおっさんたちを支持します。

IT産業を支える軽業師

2006年01月14日 09時43分08秒 | 教育 
わが小屋の前を通る電話線に光ケーブルの架線作業が行われている。NTTの営業マンの口車に乗ってADSLから光に乗り換えるよう申し込んで約10ヶ月。やっとケーブルだけは届いた。
IT産業だ、最先端技術だと言っても、現場の最前線では、このような軽業師的職人の技術によって支られている。
寒風の中である。



鉄面皮 小泉首相の開き直り

2006年01月11日 11時40分04秒 | 教育 
「外国の政府が心の問題に対し、けしからんということが理解できない」と年頭記者会見で言った。
また「一国の首相であるが一個人として」参拝するのがなぜいけないのか、という意味のことも言った。
一個人だが一国の首相だろう。日本を代表している人間の一人だろう。心の中で何を思っていようが知ったことではないが、「首相」というものがやってはいけないことがある。世界中の物笑いになっているのが、わからないのか。

『朝日新聞』五日付社説 「自ら火種を持ち込んでおきながら相手を批判し、『外交問題にしない方がいい』と説くのはいかにも身勝手である」

『論座』二月号 「軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館(遊就館)を靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」「国際関係も正常化するために日本がちゃんとした侵略の歴史というものを検証して『事実あれは侵略戦争であった』という認識を確定し、国民の大多数がそれを共有する」
といったのはなんと『読売新聞』の渡辺恒雄氏。今日はナベツネとは言わないでおこう。

『外交フォーラム』(外務省編集協力)一月号 元駐米大使栗山尚一氏「総理の靖国参拝を支持できないのは、同神社の歴史観が、二度の総理談話に示されている政府の認識と相容れないからである。」「これは、同神社の博物館(遊就館)の展示品の説明文や出版物を読めば誰でも気づくことである」

『国際問題』十二月号 元首相補佐官岡本行夫氏「靖国神社がどういうところかと言えば、遊就館に行けばすぐ分かります」「そこには、日本は五族共和で満州国自立といういいことをやった。ところが『現在は中国が支配し、東北部と称している』という展示説明です。靖国神社の主観にも基づけば、満州はまだ日本のものなんですかね」

例によって新聞からの孫引きである。外国での報道も紹介されているが、長くなるので割愛する。



種田山頭火 おとはしぐれか

2006年01月10日 12時52分22秒 | 教育 
  おとはしぐれか

 これは俳句である。作者は山頭火。
 山頭火の時雨を題材にした秀句は多い。
  しぐるるや死なないでいる
  しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
  うしろすがたのしぐれてゆくか
 などあるが、この句は、
  おとはしぐれか 
 七字である。
 大山澄太氏は、「わずか七字という短律であるが、これには他の一字も加えることは出来ない。この句は昭和七年十月二十一日、山口県小郡の其中庵での作である。日記(山頭火の)を見ると、
《曇、それから晴、いよいよ秋が深い。朝、厠にしゃがんでいると、ぽとぽと、ぽとぽとという音、しぐれだ、草屋根をしたたるしぐれの音だ。
  おとはしぐれか 
という一句が突発した。》
とある。私もしばしば庵を訪ねてその厠にしゃがんだことがあるが窓のない暗いところ。秋深む天地のささやきが、孤独な山頭火の体を竪に通って地に落ちる、そうしたしぐれではあるまいか。」と紹介している。(『別冊新評』山頭火の世界「俳僧山頭火の句」大山澄太)

 種田山頭火、いくつになっても、気になる俳人、というよりも、人である。


「白魔」と闘う

2006年01月09日 17時14分43秒 | 教育 
 日本海側を中心とした大雪は8日も続き、 雪下ろし中に転落するなどして青森、秋田、山形、新潟の4県で計5人の死亡が確認され、昨年12月以降の大雪の死者は、11時半現在の集計で16道県計68人に上った。負傷者は30道府県計1128人(重傷は353人)。(共同通信しらべ)
 
 じわじわと降り積もる雪に家が押しつぶされ、住んでいる人が亡くなる。
 雪下ろしをしていた人が転落して亡くなる。
 死者は圧倒的に高齢者が多い。
 このような事故は絶対に救えると思う。予想が可能である。
 国、地方自治体は全力を挙げて事前に救助する態勢をとってもらいたい。
 暖地に住み、このようなことを言うのは、申し訳ないが、そう願う。



大平光代氏 顧問弁護士辞退

2006年01月08日 08時51分56秒 | 教育 
大平光代氏が関市長の要請で、大阪市の顧問弁護士に就くという話が急転直下、辞退した。
理由は、自民党、公明党市議団の反発だという。
いろいろ言ってるが、本音は、事前に両党に相談がなかったということが、両党がいちゃもんをつけた理由のようだ。

関市長さん、やっぱりダメですね。市政改革など出来るわけがないです。
この程度のことまで潰されるんですから。
大阪市の行政で唯一、手の汚れていない人を顧問に据えるというのはよいことだと思っていましたが、もうダメですね。
大阪市の皆さん、あきらめなさい。あなた方が選んだ道です。
赤字再建団体に陥って、日本一高い税金を払い、徹底的に支出を切りつめ、借金を返すことだけが大阪市の仕事です。市民サービスなどは一切良くなることはない。
自民党、公明党やそれに近い馬鹿議員が早速関市長の足を引っ張る。
完全に元の木阿弥。関市長はこの両党にお世話になって再選されたのですから、言うことを聞かなければしょうがない、そんなことは分かり切っていましたけどね。
これからも同じようなことがずっと続くでしょう。

大阪市民の皆さんに心より、お気の毒さまと申しあげる。




七草粥

2006年01月07日 09時08分00秒 | 教育 
栗の木の下の芹です。まだ古い葉です。新芽はまだです。
配偶者が朝から、摘んできた七草(五草?ぐらい)を入れ、粥を炊いてくれました。風邪気味で若干食欲が落ちていたのですが、大変美味しかったです。
日本中、白魔と闘っているのに、と申し訳なく思いながら頂きました。
    
 ※白魔 「多くの被害を与えるようなはげしい大雪を魔物にたとえていう語」(『広辞苑』)


           

「敵に似てきた米国」『毎日新聞』社説から

2006年01月06日 09時35分10秒 | 教育 
『毎日新聞』1月6日 社説から
《米国はいわば9・11テロの被害者である。だが、イラク戦争以降の米国が孤立感を深め、特にイスラム諸国からは、被害者というより加害者のイメージで見られるようになったのは、なぜだろう。イラクは9・11テロと関係がなく大量破壊兵器も保有していなかった。なのに米国は何万人もの市民を戦争で死なせた、という怒りがあるのは言うまでもない。だが、より本質的な問題は、米国が言う「文明社会を守る戦い」という図式が揺らいだことだ。文明社会の代表であるべき米国の、あまりに非文明的な側面が目立つようになったのだ。イラクの刑務所やキューバの基地における収容者虐待問題、欧州などを舞台とした秘密収容所での拷問疑惑。これらの問題にまゆをひそめるのは、イスラム世界だけではない。米国社会には「政治的公正」を求めるベクトルが強い。テロから4年余り、米国社会は揺り返しの時期にある。かつては「国難」に愛国心を高揚させた市民たちも、今は米国のありように深く考え込まずにはいられない。》

『毎日新聞』の社説のごく一部の引用では、書かれた人の真意が伝わらないとも思うが、米国が重要な転機を迎えていることは良く分かるのではないか。ひいては日本の進むべき道についても。

  

武器を持つ ということ

2006年01月05日 14時06分58秒 | 教育 
  
  冬蜂の死にどころなく歩きけり      村上鬼城
 
パソコンを置いてある部屋のコンクリートの床に、いまだに蜂がよたよたと動いていることがある。
どこからもぐりこんだものか。
もう攻撃してくる力はないに決まっているが、それでも殺す。
今年は、蜂に二カ所刺され、ムカデに一度噛まれた。
ずいぶん寒くなってから、大きなマムシを一匹つかまえた。
見かけた以上、絶対に放ってはおけない。
こういう攻撃をする武器を持っているものは、どうしても殺さねばならない。
たとえ死に体であっても、退治せねばならない。
武器を持つがゆえに殺される。



  

ルイ・アラゴン 「青春の砂の なんと早く」

2006年01月03日 10時54分23秒 | 教育 
「青春の砂の なんと早く」 ルイ・アラゴン  大島博光 訳

青春の砂のなんと早く 
  指の間から こぼれ落ちることか
私は ひたすら踊り狂っていて  
  夜が明けたのに驚く男にも 似ている
わたしは 無我夢中に むだ遣いした
  わが力に溢れた 春の季節を
あのころ 生活という女には ほかの恋人がいて
  わたしは そこからしめ出されていたのだ
時間をむだにすることほど にがにがしく
  ありふれて ありがちなことはない
いったいそれを 誰のせいにしようというのか 
  失われた時を なぜ 君は思い出すのか
ふと気がつけば 若い頃のことをよく考えていて
  わたしはいつも びっくりするのだ
それがわたしであり そのようにわたしは
  あの 退屈な春を 生きてきたのだ
あの春は 風変わりで 突飛に見えようが
  話すようなおもしろいことは何もない
わたしは あの時代の 泥道にはまりこんだ
  まったくの通行人でしかなかったのだ
遠く過ぎさってみれば あのころは冒険に満ち
  冒涜に満ち 陶酔に満ちて 見えるのだ
新しい連中がきて あの頃のことを語り草にし
  数々の物語が つくられる
きみたちは大いに笑っただろう
  あのドラマの 幕間 幕間で
それは 値ぶみするだけのものはあったかも知れぬ
  たとえ肉体や魂ではあっても
きみたちは 夢みることも自由だっただろう
  またやっつけることも自由だっただろう
しかも 今日のあの若者たちは 夢みているのだ
  すべてが明らかになっている いまもなお
彼らが惜しむのは われらの過ごした暗い夜であり
  われらの叫んだ 怒りなのだ
ああ 蝋燭の光で 永遠なるものを読みとるとは
  すばらしい たのしみだ
かれらはイデオロギーを投げ捨て
  不合理を手に入れようというのだ
不幸な若者たちよ きみらには見えぬのか
  わたしらが 何をしてきたかが
きみらの前には 悪い霧が立ちはだかって
  きみらの前進を はばんでいるのだ
わたしらは おのれの過去の償いを果たした
  ひとの思う以上の苦しみを支払って
見るがいい 雷にうたれて 胸の中には
  ひとの心ももたずに 行く者たちを
彼らは どんな星 どんな祭りを夢みていたのか
  だが それはやって来なかった
あの足跡は 人間のものか けだもののものか
  きみらは どちらだと 思うだろうか
彼らは ほかの地平線を こころに思い描き
  ほかの歌のしらべを 思い描いていた
しかもきみらは かれらの形而上学を克服し
  うち勝つことを 悲しみ嘆くのだ
君らが行くべき道をよく知ってくれるようにと
  わたしは すべてをつくした
それなのに君らは 仏頂面を空に向けて
  ふてくされて 灰を 撒きちらしているのだ
わたしは わたしの幻覚や 生活や 恥など
  みんな さらけ出して見せたのだ
君らが とどのつまり われらと同じような
  嘲笑を受けずに すむようにと
われわれは 結局 われわれの悪を 不幸を
  後生大事に まもっていたのだろう
そんなものは 鞄に入れて 屋根裏に投げすてた
  紙も黄色くなった 手紙のたぐいなのだ

      ※ルイ・アラゴン(仏1897年~1971)

ラデツキー行進曲型どおりに 

2006年01月02日 15時08分52秒 | 教育 
大晦日のアシュケナージ指揮による「第9」を聞き、一日夜、ウイーン楽友協会のニューイヤーコンサートは今年は、マリス・ヤンソンス指揮でした。すべて型どおりでありました。
携帯電話を使った楽しい指揮者の遊びもあっておもしろかったですね。
アンコールでは「ラデツキー行進曲」。
聴衆と一体となったこの曲の演奏は楽しいものです。
一言で言うと「粋」です。
昨年のこのコンサートは「ラデツキー行進曲」はやりませんでした。残念と思っていましたが、一昨年の暮れのインド洋、スマトラ沖大地震とその影響の大津波でたくさん犠牲者をがでました。そのことを悼んで「ラデツキー行進曲」を自粛したんだそうですね。
先ずは年末年始楽しませていただきました。
しかし、NHK紅白歌合戦と格闘技、芸ともいえないような悪ふざけのバラエティ番組、うんざりです。なんとかしてほしいですね。
ま、見なければいいのですが。