三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

第二次世界大戦

2007年08月15日 21時17分21秒 | 平和
   第二次世界大戦等の戦争犠牲者数
 第二次世界大戦が終わって62年、この愚かさを記憶していなければならない。

 第二次世界大戦での主な国の犠牲者数 いろんなところから拝借しました。          

   国  名     兵  員  の     一般市民の
           死  亡   行方不明  死   亡
   アメリカ     407,828      ―      ―
   イギリス     353,652    90,844    60,595
   フランス     166,195      ―    174,620
   ポーランド            (6,000,000)     
   ソ  連            (20,000,000)     
   中  国            (10,000,000)     
   ド イ ツ    2,100,000   2,900,000    500,000
   イタリア     389,000    214,647    179,803

   日  本   約2,300,000           約800,000 (単位 人)

     日本の兵員のうち、朝鮮・台湾の兵員犠牲者、約5万人を含む。
                           
 日本軍は、首都の南京占領にあたっては、婦女子を含む多数の中国人を殺害し、諸外国に報じられて非難された。

 ドイツは、…ユダヤ民族の絶滅をめざして強制収容所に連行し、…600万人といわれるユダヤ人を殺害。

 朝鮮から約70万人、中国から約4万人を強制的に日本へ連行して鉱山や工場などで働かせた。

 1945年3月、東京は焼夷弾による無差別爆撃を受け、…一夜で約10万人が犠牲になった。

 連合軍は、1945年3月に沖縄に上陸…。本土防衛のためとして、沖縄では中学生から女学生までを動員して…にげまどう住民をまきこんで…スパイの疑いで日本軍に殺されたり、集団自決をせまられた人々もいた。犠牲者数は、…軍人・軍属(ひめゆり部隊や健児隊に動員された中学生・女学生も含む)に住民を合わせて、
当時の県の人口約42万人のうち12万人以上と推定されている。

 原子爆弾…多数の一般市民が犠牲になりました。その人数は数週間のうちに広島で14万人、長崎で7万人にのぼる。
 約60万人の日本兵が捕虜としてシベリアに長期間抑留され、強制労働によって多くの犠牲者が出た。
 当時、海外に配置された日本軍は約355万人で、主要な戦場であった満州には約67万人が、中国本土には112万人がいた。

 この大戦は全世界で約6000万人、アジアで約2000万人にのぼる犠牲者を出し、特に一般市民の犠牲が多数…。

  




日本の食文化

2007年08月14日 19時07分30秒 | 健康
 農林水産省が10日発表した06年度の食糧自給率は、カロリーベースで前年度比1ポイント低下の39%となった。40%大台の大台を割ったのは、凶作で37%に落ちた93%以来で13年ぶりで”平時”では初めて。世界の食糧需給が逼迫する中で政府は安定供給の方策の練り直しをを迫られる。
 98~05年度は8年連続で40%だった。
 主な品目の自給率は、コメ94%、畜産物16%、小麦13%、砂糖32%、魚介類59%、野菜76%など。
 主要国の自給率はアメリカ128%、フランス122%、英国70%。
  毎日のように、大食い大会だの、グルメ番組だの、食べ物をおもちゃにしたようなテレビ番組が流される。
 すでに日本の食文化は崩壊した。食べ物をバカにしてどうするのだ。食に関する政策の貧困だ。食べ物のない国なのだ日本は。
 目をおおうようなバカ番組が子どもに影響を与える。

 どこまでやるのか。

「この子どもたちに何の罪が・・・」長崎平和宣言

2007年08月10日 11時08分54秒 | 平和
  2007年8月9日広島に続き長崎は平和宣言を採択しました。
 不戦の誓いを新たにしたいと思います。

長崎原爆の日:長崎平和宣言(全文)
 「この子どもたちに何の罪があるのでしょうか」

 原子爆弾の炎で黒焦げになった少年の写真を掲げ、12年前、就任まもない伊藤一長前長崎市長は、国際司法裁判所で訴えました。本年4月、その伊藤前市長が暴漢の凶弾に倒れました。「核兵器と人類は共存できない」と、被爆者とともに訴えてきた前市長の核兵器廃絶の願いを、私たちは受け継いでいきます。
 1945年8月9日、午前11時2分、米軍爆撃機から投下された1発の原子爆弾が、地上500メートルで炸裂(さくれつ)しました。
 猛烈な熱線や爆風、大量の放射線。
 7万4000人の生命が奪われ、7万5000人の方々が深い傷を負い、廃墟(はいきょ)となった大地も、川も、亡骸(なきがら)で埋まりました。平和公園の丘に建つ納骨堂には、9000もの名も知れない遺骨が、今なお、ひっそりと眠っています。
 「核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反する」という、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見は、人類への大いなる警鐘でした。2000年の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、核保有国は、全面的核廃絶を明確に約束したはずです。
 しかしながら、核軍縮は進まないばかりか、核不拡散体制そのものが崩壊の危機に直面しています。米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有5カ国に加え、インド、パキスタン、北朝鮮も自国を守ることを口実に、新たに核兵器を保有しました。中東では、事実上の核保有国と見なされているイスラエルや、イランの核開発疑惑も、核不拡散体制をゆるがしています。
 新たな核保有国の出現は、核兵器使用の危険性を一層高め、核関連技術が流出の危険にさらされています。米国による核兵器の更新計画は、核軍拡競争を再びまねく恐れがあります。
 米国をはじめとして、すべての核保有国は、核の不拡散を主張するだけではなく、まず自らが保有する核兵器の廃絶に誠実に取り組んでいくべきです。科学者や技術者が核開発への協力を拒むことも、核兵器廃絶への大きな力となるはずです。
 日本政府は、被爆国の政府として、日本国憲法の平和と不戦の理念にもとづき、国際社会において、核兵器廃絶に向けて、強いリーダーシップを発揮してください。
 すでに非核兵器地帯となっているカザフスタンなどの中央アジア諸国や、モンゴルに連なる「北東アジア非核兵器地帯構想」の実現を目指すとともに、北朝鮮の核廃棄に向けて、6カ国協議の場で粘り強い努力を続けてください。
 今日、被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られる中、単に非核三原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。
 長年にわたり放射線障害や心の不安に苦しんでいる国内外の被爆者の実情に目を向け、援護施策のさらなる充実に早急に取り組んでください。被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてください。
 爆心地に近い山王神社では、2本のクスノキが緑の枝葉を大きく空に広げています。62年前、この2本の木も黒焦げの無残な姿を原子野にさらしていました。それでもクスノキはよみがえりました。被爆2世となるその苗は、平和を願う子どもたちの手で配られ、今、全国の学校やまちで、すくすくと育っています。時が経(た)ち、世代が代わろうとも、たとえ逆風が吹き荒れようとも、私たちは核兵器のない未来を、決して諦(あきら)めません。
 被爆62周年の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にあたり、原子爆弾の犠牲になられた方々の御霊(みたま)の平安をお祈りし、広島市とともに、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを宣言します。

 2007年(平成19年)8月9日

 長崎市長 田上富久


 この宣言も「日本国憲法の平和と不戦の理念」と「非核三原則の法制化」を訴えています。
 日本国憲法第九条を守る運動をもっと大きく発展させなくてはの思いを強くしました。

8月6日 平和宣言 広島市長

2007年08月07日 17時12分46秒 | 平和
平 和 宣 言

運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。
 落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。
 14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。
 それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。  しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。
 こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
 しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。
 世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。
 我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。
 唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の 実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。

2007年(平成19年)8月6日
                      広島市長 秋 葉 忠 利


 秋葉市長の平和宣言は格調が高い。
 この後、安倍首相が「この地球上のいかなる地においてもくりかえしてはならない」「被爆者の方々の切実な声に真摯に耳を傾け、諸施策を推進していく」などと述べた。
 おざなりであったし、ちからがなかった。彼の本音は別のところにある。


 秋葉市長は、
 「日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。」と述べ、憲法九条こそ平和を守る日本の進むべき方向であることを明言した。



夏 戦争の思い出

2007年08月06日 20時19分57秒 | 平和

 
 夏は戦争を思い出す季節である 人それぞれであろうが

    夏の海 水兵ひとり紛失す

 渡辺白泉という人の句である 慶応大学に入学後俳人として頭角をあらわすが
 作句の場を求めて「京大俳句」に参加する
 翌年「京大俳句」弾圧事件が勃発 検挙 投獄される
 それはもちろん紹介した句にみられる思想が根拠である
 
    戦争が 廊下の奥に 立ってゐた

 これらの句は昭和十九年につくられた
 この当時 国を守る 日本の国民を守る 家族を守る 
 といって応召していった兵隊は戦うどころか その多くは餓死して死んでいった