三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

5月3日

2012年05月03日 14時24分57秒 | くらし
今日は憲法記念日である。
憲法を定め、実施した日を国民の記念日として祝うこのような国は他にもあるんだろうか。

このほど自民党が発表した「憲法改正草案」は、天皇を「元首」とすることや「国防軍」を持つことを打ち出している。
戦前の暗黒政治の反省に立つ現行憲法の精神を否定し、踏みにじるものである。
民主党も憲法改悪のたくらみを持っている。
いまだ震災からの復興が遅々として進まぬ被災地、そのことには全く役に立っていない自民党が何をぬかすかと思う。
憲法第13条「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については(中略)最大の尊重を必要とする」
憲法第25条「すべて国民は健康で文化的な最低限度生活を営む権利を有する」
憲法前文「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」
などを肝に銘じ、全力を注ぐ、今やるべきことはそれだろう。

第14条は法の下の平等をうたっている。が自民党・民主党などは税制では応能負担の原則を踏みにじり、逆進的な消費税増税をやろうとする。
被災地の復興や国民の生命、生活のことなど眼中にないのだろう。

今日、5月3日。
憲法第12条は「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」
と憲法を守ることは国民の責任であるとしている。
このことを深く心に刻む日としたい。





酔うてこほろぎと寝ていたよ

2009年08月03日 20時42分06秒 | くらし
今日で梅雨が明けたという報道である。
子供のころ梅雨明けは7月10日ごろと決まっていた。
それまで川・池などでは泳いではいけなかった。
梅雨明けが少しずれても、あんまり気にはしなかった。
農業をやる人にはそんなのんきなことは言ってられなかったかも知れないが。
このごろの人間、夏に弱くなったような気ガする。
カっと照りつける太陽の下に夏があった。
夏は暑くて熱くて厚くて重くて辛くて、激しくて、よく働いた。
よく耐えたような気がする。

   酔うてこほろぎと寝ていたよ   山頭火









梅雨入り

2009年06月11日 21時52分12秒 | くらし
今日は立春から百三十五日目、入梅である。
旧暦五月十九日にあたる。
おととい、気象庁は梅雨入り宣言をした。
ほとんど同じである。
なんと日本人の生活の中に深く根ざした季節感であることか。

  五月雨を集めて早し最上川   芭蕉

という句がある。
昔学生時代、この句を統計学的に考察せよという問題が、統計学の講座の試験に出たことがある。 
とまあ、この話去年のブログにも書いた。
量が変われれば質が変わるということを答えさせたかったということらしい。

ひと粒の雨もしだいに集まれば滔々たる最上川の流れになる。
おそろしい流れだぞこの流れは。
ひと粒の雨粒をなめたらあかんぞ、ということだ。
一人ひとりの庶民の声が、大きな流れとなって国を飲み込む。
それは信じても良いことだ。
できのよくない、漫画の好きな、漢字もよく知らない大金持ちのどら息子が、
日本という国を、仕切っているつもりになっているが、今のうちに思い知らせなければとんでもないことになる。

  売り家と唐様で書く三代目

という古川柳がある。
唐様で書くというのがみそ。
さまざまな道楽で妙なものを身につけたかしらないが、
大事なことをあまり学んでこなかった跡取りがついに家を傾けさせてしまった。
というほどの川柳だろう。

変な発音の英語のスピーチなどを聞いていると売り家と書いたどら息子の姿が彷彿としてうかんでくる。
売り飛ばすのは自分の家だけにしてもらいたい。
日本という国まで売り飛ばしてもらっては困るのだよ。

え、太郎さんよ。


むなしい科学

2009年06月04日 08時04分25秒 | くらし

    本村有希子「発信箱」五月三十日「むなしい科学」
  
  雨降れば雨に放射能 雪積めば雪にもあり といふ世をいかに   
 
 湯川秀樹はこの歌を、米国の水爆実験の後に詠んだ。ノーベル賞受賞後は核兵器廃絶運動に取り組み、激しさを増す核開発競 争を批判した。
 太平洋上での実験は予想以上の破壊力を示し、操業中の「第五福竜丸」の乗組員23人が「死の灰」を浴びた。日本は広島、 長崎に続いて三たび核兵器を経験している。
 そして今月、北朝鮮が地下核実験を実施した。「成功」を伝える発表文は「科学者、技術者らの要求に従い」と始まる。作っ ては試し、改良してはまた試す。こうした試行錯誤なしに科学の発展はない。だが、科学者たちは結果の深刻さについて一度で も想像したことがあるだろうかそう考えたらむなしくなった。
 戦時中、米国で原爆開発計画に参加した科学者の回想録(「原爆を作った科学者たち」岩波書店)。巨額の金を使って刺激的 な先端研究ができる喜びと、世界初の核実験を成功させた興奮がつづられている。 広島と長崎への原爆投下手順表を作った科学者は「当時の最大の心配は、手順表を実行したときの深刻な影響ではなかった」 と語った。
 砂漠の真ん中の実験場は放射能に汚染され、今も自由に立ち入れない。日本でも陸軍と海軍が原爆開発を計画し、湯川ら多くの 科学者がかかわった。未完に終わったから「加害者」にならずに済んだ。
 人間はこの60年間、同じことを繰り返してきた。政治家が科学者を利用し、科学者は無邪気に目標を追いかけ、多くの命を 奪い、地球を汚し、誰ひとり幸せにしなかった。どう考えても、これ以上むなしい営みはない。

 先月末、毎日新聞の「発信箱」に書かれた環境科学部記者元村有希子氏のコラムである。私はこの人のファンであるが、最近 あまりこの欄では書かれていなかったように思う。 
 ここに書かれていることが原点であろう。
 北朝鮮を冷静に観察しなければなるまい。
 しかし、麻生をはじめ核抑止力への幻想を捨てきれない政治家がいる。
 オバマが唯一の核を使用した国の大統領、としてその犯罪を認めているのに、被害者となった国がとるべき方向はそれほど難 しい選択ではないと思うが。
 必要なのは核抑止力などではなく、核兵器のない世界を、と訴え続けることだ。          

 そこをあいまいにするかぎり、北朝鮮になめられ続ける。

 

 


筍 初物 get

2009年03月19日 17時52分47秒 | くらし


ほぼ昨年と同じくらいか時期は、早掘りといってもよいか。
初物を掘り当てるとやはりうれしい。
本当は4月に入ってからの方が美味いと思うが。
夜、わらびも到来して炊き込みご飯と若竹汁、バンザイ!

まずは孟宗竹、ずっと後になって破竹、真竹も美味い。
黒竹も食べられる。
繊維質だけなんだろうか、究極のダイエット食。

ほんとに美味い。大好き筍、これでメタボリックシンドロームを克服しよう。




今日は啓蟄

2009年03月05日 19時19分27秒 | くらし
今日は啓蟄。
まだ寒い日もあって「春だ」という実感は充分ではない。
が、先日、配偶者がこれはムカデと違うやろかといって紙の上に乗せて持ってきた。1cmほどの小さなムカデ。
土中に潜んでいた蟻、蛇、蛙、蜥蜴、百足などあまり好きになれない連中がぞろぞろ這い出す。
季節はもうそうなのだ。
ワラビを取りにいってマムシに出会うときもある。家の中を百足が這っていることもある。
布団のなかで噛まれた事もある。
快い季節は彼らにとっても良いのだ。
しょうがない、が見つけ次第殺す。
農薬も使う。
完全に共存、共生することはできない。
どこで折り合いをつけるか。
噛まれても死ぬこともあるまい。

  啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる         山口青邨

  けいちつやひとめをいとひつつ生くる     道山草太郎

  啓蟄やもの書く腰をうちたたき        遠藤梧逸

  啓蟄のわが影法師わが厭ふ          山田文男

2月12日は「ブラジャーの日」

2009年02月12日 10時43分13秒 | くらし
《 高島屋は12日~4月22日、不要になったブラジャーを全20店舗で回収する。今回協力しているワ コール製が対象で、産業用固形燃料として再生される。
◇ワコールの調査によると、「ブラジャーを捨てるのは恥ずかしく、ためらいを感じる」という女性が6割 に上る。透明のごみ袋が主流になった事も一因とみられる。
◇12日は、米国人女性がブラジャーの原型を考案し特許を取得したことにちなむ「ブラジャーの日」。「 あなたのブラがたんすの肥やしから、工場の“肥料”に変身します」と高島屋。 》

 ( 毎日新聞2月12日付け 社会面コラム「雑記帳」 から)

 2月12日が「ブラジャーの日」って知ってました?なんとなく「捨てるのは恥ずかしく、ためらいを感じる」ものはほかにもありそうで。それなら回収を手伝ってもええでと思っている人もおるかもね。あくまで環境問題やら資源の再利用という立場からでっせ。

冥土の旅の一里塚 にあたり

2009年01月02日 10時33分53秒 | くらし
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし    一休

今年もまずは中ぐらいのめでたさのお正月。
どれほど他の人に迷惑をかけずに生き延びるか、それが問題。
贅肉を省く計画は一挙にリバウンドしてしまった。
10日でとりもどすぞ。
固い決意を今はしている。
体重65kg、胸囲100cm、腹回り80cm 1月中に。
と全くどうでもよいようなことを公共の通信手段で公開することの馬鹿馬鹿しさ、
変な時代に生きていると思う。



首を切られ 住むところを追い出されてたまるか

2008年12月09日 20時20分24秒 | くらし
経済が大変な不況のなか大企業による大量の首切り、とくに不正規雇用の労働者の首切りが大問題となっている。
首を切られ、住むところも追い出される。という命の問題である。
企業がコスト削減のために派遣労働者、請負労働者などの大量首切りを調整弁として使うことには怒りを覚える。
しかも、巨額の剰余金、内部留保を抱えながらの首切りである。

しかし、こうした雇用形態を可能にした労働者派遣事業法を強引に成立させた時点でこのようなことは予想されていた。
戦前の口入屋、人買い(その実態は「女工哀史」「製糸女工虐待史」などを読めばわかる)を認める法律を成立させたのだ。

労働者の権利を守ることは、日本国憲法、労働基準法などに明記されている。
それを捨て去ったのは歴代自民党政府である。
しかし、それを支えたのは国民だ。

労働者の無自覚、怠惰、利己主義、ことなかれ、阿諛迎合が今日の状況を招来した。
企業が人を雇わない、労働者の権利を守らないといっても何をいまさらという感じがしなくもない。
言い過ぎだろうが。
労働組合を馬鹿にしてきたのは誰か。ストライキを毛嫌いしてきたのは誰か。
もう一度労働者の砦を再構築しよう。
大事なのは団結すること。
日本の雇用労働者約5000万人の権利を守るということ、
ひいては農林漁業などに従事する人々にも連帯は広がる。

日本国憲法第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
日本国憲法第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
日本国憲法第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
こうして法的には権利は保障されているが、その上に胡坐をかいてきたのが国民だ。
おのれの権利、生きるすべを保障する仕組みは常に検証し続けなければならない。
そういうところにコストをかけたくないのが日本の政府ではないか。

日本国憲法第25条を現実のものにしよう。

小林多喜二「蟹工船」を読むのが少し遅すぎたのではないか。


心が凍る 高齢者虐待

2008年10月30日 08時53分00秒 | くらし

 高齢者虐待
  「毎日新聞」10月26日付 社説より
 恐るべき時代と言えないか。高齢者虐待。根底にあるものは、かつての姥捨てとは違う。
 生活の重み、弱者切捨ての思想と政治、未来への展望のなさ、どうしようもない閉塞感、苛立ち、心身の疲れ、絶望感。幼児虐待・虐殺と軌を一にしているのではないか。
 以下「毎日新聞」の社説を引用させてもらう。
《 高齢者虐待が増えている。厚生労働省の調査で、07年度は1万3335件にも上り、前年より712件増加したことが分かった。 「これは氷山の一角」という指摘もある。今後、高齢化が進めば虐待も増える可能性が高い。社会保障費の抑制策が続き、世の中がぎくしゃくしてきたことが虐待を生め土壌となっている現実にも目を向けたい。 虐待の実態を見ると、今の日本が抱えているさまざまな問題の縮図が浮かび上がってくる。核家族化や近所付き合いの希薄化、家の中に人を入れたくないという風潮、隣人が何をしているの知らないような人間関係、さらには貧困の問題など、複雑な要因が虐待の背景にある。先進国の中で最も速いスピードで高齢化が進み、急増する高齢者を見守る仕組みづくりが間に合わなかったという現実もある。虐待の実態をみてみたい。大半は家庭内で起きている。被害者の8割が女性、年齢は80歳代が4割を占めている。虐待しているのは息子が一番多く41%、次いで夫が16%、娘が15%だった。虐待が起きている件数を世帯構成別にみると「未婚の子と同一世帯」35%で最も多かった。 虐待の種別・類型では、殴るなどの身体的虐待が64%で最も多く、暴言や無視などの心理的な虐待、介護の放棄や、経済的な虐待が上位を占めた。虐待による死亡事例は27件あった。うち殺人が13件、介護放棄による死亡7件、心中4件、介護放棄以外の虐待による死亡が3件だった。 06年に高齢者虐待防止法が施行された後、ほとんどの市町村の体制整備が進み、相談対応の窓口が設置された。しかし、窓口を作っただけで虐待を防ぐことはできない。厚労省は「地域における虐待に対応する関係機関の調整の取り組みが低調」と指摘しているが、それが現実なのだろう。 虐待は個別のケースによって理由が違う。そこで根絶するには国と各地域の総合力が問われる。自治体に加え介護施設関係者や民生委員、医療機関や警察、弁護士、さらには市民団体などがネットワークを作り個々のケースに応じて対応することが大事だ。虐待を回避するための一時的な避難所として介護施設などに空き室を常に用意しておくなど、支援体制の整備も必要だ。 相談通報するのは介護支援専門員が圧倒的に多いので、この人たちを増やして高齢者のいる家庭を見守ることも有効な防止手段となるだろう。 こうした対応策には費用がかかる。虐待防止の対策はますます重要度が高まってくる。国民的合意を作って必要な予算をつけて実行してほしい。 気がつくと、目の前には殺伐とした光景が広がっている。「高齢者虐待がない社会」を目ざしたい。 》


しゃべる馬鹿 黙っている馬鹿

2008年09月13日 14時57分06秒 | くらし
前回紹介した壺井繁治の詩に,あれはいったいなんじゃという疑問を聞いた。
どうということはないんだけど、人間が言葉をもって意思表示をすること、他人に何かを解ってもらうことはたいへん難しい。

アメリカの大統領選、自民党の総裁選、民主党の総裁選びの中で出てくる言葉の数々。
自民党の総裁選になぜ杉村太蔵が出ないんだろうこの馬鹿が出てもそれほど遜色はないと思うが、とか太田農水相の発言なんかは本人は気が付いていないんだろうけど根底には国民を馬鹿にする、愚弄する、見下す発想、思想が見え見えだ、などなど次々と浮かんできて、この詩はみんなはどう読むんだろうと紹介した。

しゃべることは難しい。黙っていることも難しい。
「巧言令色少なきかな仁」、「沈黙は金」などという。

肝に銘じて、みっともないことはやめよう。
しかし、馬鹿にされても、愚弄されても、見下されても、殺されかかっても黙って我慢するようなことはやめよう。
どつかれたらやっぱりどつきかえす。






摩文仁の丘で 6月23日

2008年06月24日 17時36分54秒 | くらし
昨日、6月23日は沖縄戦が終結した日。1945年6月23日、日本の軍として沖縄での組織的戦闘が終結した。
沖縄県内各地で慰霊祭などが行われた。
那覇市では、摩文仁の丘で「沖縄全戦没者追悼式」が行われた。

1945年4月1日、米軍54万8000人が上陸。日本軍は現地招集の防衛隊、学徒隊含めて10万2000人。
地獄の戦争がはじまる。日本軍は日本本土への上陸を食い止めるとして沖縄を盾とし、持久戦をとった。
そのため数多くの民間人を巻き込んだ。
この過程で日本軍のスパイ視による虐殺、壕追い出し、食料強奪、集団自決などがおこった。
犠牲者は日本軍9万4136人、米軍1万2520人、沖縄県民9万4000人。県民の死者数は推計であり、12万~16万人とする見方もある。

あまりにも絶望的な戦いであった。非戦闘員の年寄り、女性、子ども含めて県民の4分の1が殺された。

この日挨拶した福田首相は、その中で「私は、無念にも散って行かれた人々の思いを、今の政治に反映する責務を負っている。戦没者の方々のその思いを、平和の尊さの礎として、引き継いでいく」と述べた。

本当のそう思っているのか。
「散って行かれた人々の思い」を捏造してはいけない。真実を伝えなければならない。
しかし、昨年の教科書の記述の問題に見るように、真実を伝えたくないと思っているのではないか。
自民党をはじめ、あったことをなかったことにしたい。という人々がたくさんいる。
歴史を歪曲し、憲法を変え、日本を再び戦争する国にしたいという動きはただならないものがある。

監視の目をゆるめてはならない。
繰り返すが、戦争では、非戦闘員で武器を持たないもののほうが圧倒的に数多く殺される。
戦って死ぬのではないのだ。





さくらんぼ 桜桃忌

2008年06月15日 09時07分45秒 | くらし
 「すべての芸術は、社会の経済機構から放たれた屁である。」とは太宰 治の言葉である。(道化の華)
 
 だから経済機構に支配され、毒された側は、芸術を屁の如く、敝履の如く捨て去ろうとするのか。
 橋下某のように。
 
 桜桃忌はおとといであった。忘れていた。
 先日、スーパーマーケットでさくらんぼをわずかばかり買って、その宝石の如き実を配偶者と食べた。
 美味しかった。



 

「吉兆」やっぱり客にごみを食わせていた

2008年05月10日 09時36分11秒 | くらし
「高級」料亭「船場吉兆」は食べ残しを別の客に回していた問題で7日、会見し、本店、博多店、博多天神店、心斎橋店の料亭四店ですべて使い回しをしていたことが判明したという。
7日の会見では、女将の湯木佐知子社長、弁護士らが出席。「食べ残しを使い回した」と報道されたことに反発し、「食べ残しとはニュアンスが違う」と強調した。(『毎日新聞』5月9日付による)そうである。
「食べ残しとニュアンスが違う」とはどういうことか。その料理の代金は食べ残したからといって客に返したのか、客は払ったまま帰ったのか。払っていれば、食べようと食べまいとそれは客のものだろう。客は捨てたのだ。そのごみの始末は店側がするとしても、店が自分のところのものであるといえるのか。ゴミ箱をあさって食べ物を得る人がいると聞くが、それと同じことだろう。「吉兆」はごみを客に出したのだ。

気の毒なのは、創業者湯木貞一氏である。
あの花森安治(暮らしの手帖社主宰・故人)をして「湯木貞一という一人の人間の、その鋭い感覚と、それを生かし切る技術の深さを、ぼくはかねがね、あの〈星ヶ岡茶寮〉の北大路魯山人とならべて考えています。そして、魯山人はむしろ陶器に才を発揮したが、料理は、あるいは吉兆がまさっているとおもっている」(『吉兆味ばなし』暮らしの手帖版)とまで言わしめた湯木貞一。「吉兆」の名を次の世代などに渡すのではなかったのだ。

ともあれ、私には縁のない話ではある。私被害者ではない。
腹をたてることもないか。
世の中はグルメだなんだと食い物の談議がかまびすしいが、店の名前、店のつくり、料理の味、代金というものは全く統合性はないと考えておくことがよいことが改めてよくわかった。
フランスのタイヤ屋が勝手につけたランキングで一喜一憂するのもほんとにばかばかしい話である。気をつけた方がいい。

何が美味しいか、舌のみぞ知るである。

内のチヨが隣のタマを待つ夜かな

2008年03月14日 16時25分24秒 | くらし

気温も高く、暖かい雨である。

   内のチヨが隣のタマを待つ夜かな   子規

正岡子規の句である。
無季の句で紹介されている。
無季であるが、猫の発情期は普通には、遅い冬から春先であろう。
いかにもそういうぬくもりを感じる。
しかし、猫も人間くさくなって年中発情しているようだけど。

こんな俳句もあるんだな。