三流読書人

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ドングリ小屋住人 

農業も切り捨てた日本

2009年08月25日 07時57分23秒 | 政治 

 農業も切り捨てた日本 
 8月21日付毎日新聞「経済観測」

 丸紅経済研究所所長 柴田明夫

「日本は農業を捨てたのか」
 農林水産省は11日、08年度の食料自給率(カロリーベース)が41%となり06年度39%、07年度の40%から2年連続で上昇したと発表した。コメや小麦の生産は不調だったが、サトウキビの生産増や油脂用大豆の輸入減が寄与。
 食料自給率は、国内で消費している食料のうちどの程度国内生産で賄ったかを示す数字である。60年代に80%近かった自給率はその後ほぼ一貫して低下、98年には40%と半分になった。米国の128%、フランス122%、ドイツ84%、英国70%と比べ極端に低い。
 主要国における食料・農業の位置づけを日本と較べると改めて驚かされる。人口1億2700万人の日本の穀物生産量は1000万㌧程度なのに対し、人口6000万人の英国は日本の3分の2の国土で3000万トンの穀物を生産している。工業国のイメージのドイツは8200万人の人口で5500万㌧の穀物を生産している。日本の10倍以上の人口を抱えた中国の穀物生産は日本の50倍強の5億トン強だ。しかもこれら諸国の国内総生産(GDP)は世界上位5カ国に入る経済大国だ。長年、商社食料部門で穀物取引に携わってきた友人によれば「農業をおろそかにする国は滅びる」という考えが欧州には根付いているという。欧州の国々は農業を犠牲にしてまで経済大国にはなろうとはしなかった。改めて日本という国を振り返ると、ひたすら工業化による経済大国を目指す一方、「農業」を切り捨ててきたのではないかと疑いたくなる。それは自然に対する畏敬(いけい)の念や他人に対する思いやりの文化を失ってきた道でもある。現在の世界的な経済危機と食糧危機は日本にとって「農業」を根本的に立て直す好機と言えよう。

 そうです。切り捨ててきたのです。
 教育を切捨て、農業を切り捨て、今また老人を切り捨て、残してきたものは
 何だったか。 
 丸紅という巨大商社にも責任がないとは言わせない。
 しかしそれはおいといて、専門家の見解としてうけとめたい。
 日本の食糧生産を担ってきた農山漁村もまた切り捨てられ、限界集落と言われる   
 地域は広がりつつある。
 「農業をおろそかにする国は滅びる」であろう。
 しかし、農山漁村は食糧生産の潜在的能力はまだ失っていない。
 この国の流れを今変えればなんとかなると思わないでもない。
 そのためには、 
 政権を変えるのではなく政治を変えるのだ。


 
 


「私はこう見る(09衆院選) 教育改革」

2009年08月24日 09時30分50秒 | 教育 

 「私はこう見る(09衆院選)教育改革」
 8月21日付け毎日新聞の囲み記事、上のようなタイトルで衆院選に向けての識者の意見が掲載されていた。
 尾木直樹氏と西村和雄氏、お二人が書いている。

尾木直樹氏(法政大学キャリアデザイン学部教授 評論家)) 
 多くの日本人は、高校の授業料を払うことを「当然」と思い込んでいるが、世界の大勢は無償化だ。日本は79年に国際人権規約の社会権規約を批准したが「高等教育の無償化」を定めた条項は留保している。締約国160カ国で、留保しているのはマダガスカルと日本だけだ。現代は知識を基盤とした社会であり、すべての国民に高校卒業程度の教育を受ける機会を保障することは、国家の利益でもある。今回の衆院選で「高校の実質無償化」という政策が出てきたのは遅すぎるくらいだ。
 今の政治からは「国が教育に責任を持つ」との強い意思を感じない。日本の若者の現状への危機感が弱い。重要なのは、若者が精神的に自立し、常識を持った大人として生きていく力を高める教育の実践なのだ。
 日本の若者の精神状態は危機的だ。「トイレにこもって食事する大学生がいる」という話を聞き、学生465人にアンケートしたところ、11人が「経験がある」と回答し、驚愕した。「一緒に食事する友がおらず、一人で食べている姿を見られると『友人がいないことの証明』になるから」だという。人として生きていく力が衰弱している、と言うほかない。
 今の大学生の振る舞いは幼稚でしばしば20年前の中学生と同じに見える。若者が自立して生きる力を失った国に未来はない。目先の学力を向上させる前に、自立を促す教育が求められている。

西村和雄氏(国際教育学会長、日本経済学教育協会会長)
 この20年、日本では子供の教育に金がかかり過ぎるようになった。公立高校の授業料が値上がりしたことと、公教育の学力水準が低下して私立校を目指す子供が増えたという二つの原因がある。今回の衆院選で教育費の無償化や奨学金の充実など、今まで行われていない政策が公約に掲げられた点は遅すぎたとはいえ、評価はできる。
 問題は学力向上へ向けた具体策や学習指導要領の再検討などが十分に論議されていないことだ。安部内閣では教育再生会議が大きな役割を果たしたが、福田内閣以降は教育の具体的な中身に関する議論が減少した。教育は、優先課題から外されていたのだろう。
 経済格差で生じる教育格差をなくすには、教科書を子供が自学自習できるものにすることだ。今の教科書には問題の答えが書かれておらず、子供は1人で勉強できない。経済的に余裕ある家庭の子供は塾へ通うため、学力差が生まれる。
 自学自習できる教科書を編集し、貧しい家庭の子供が塾に通わずとも勉強できるようにすれば、大きな予算措置を取らなくても公立校の水準を回復することはできる。
 さらに優先的に取り組まなければならない課題は、小学校から高校までの学習カリキュラムの見直しだ。「ゆとり教育」時代のカリキュラムが今も残り、学力水準の低下を招いている。カリキュラムが子供の学習を妨げている状況を改善すれば、お金をかけずとも学力は向上する。

 尾木直樹氏はさすが、日本の自民党的政治の教育政策の貧困をずばり突いて厳しい。
 それに対し、西村和雄氏の文章にはあきれ果てるというか、その稚拙さに笑ってしまう。
 「今回の衆院選で教科書の無償配布や奨学金の充実など今まで行われていない政策が公約に掲げられた点は、遅すぎたとはいえ、評価できる」と言いながら、そのことが今日の教育の最も大きな課題を生み出したということには触れない。「この20年日本では子供の教育に金がかかり過ぎるようになった。」というが、それは親の負担のことである。教科書の作り方を少しいじれば低学力は回復できるとし、そうすれば「大きな予算措置を取らなくても」「お金はかけずとも学力は向上する」と言う。やはり教育にはお金をかけないということを前提とし、自民党的政治の教育政策のプロパガンダをつとめる。
 そしてこの人は公教育ということを誤解している。公教育とは公立の学校をいうのではない。私立の学校の教育も公教育なのだ。
 西村和雄氏、肩書きを見れば、国際教育学会長なのだそうだが、検索してみると別に国際的なものでもなんでもなく自分たちの集まりに「国際」という言葉をつけただけの組織のようだ。そしてこの組織の長を名乗っている。こういう人物が教育改革を語る人物として毎日新聞という大メディアが認知していることが怖い。
 この囲みの紹介として、前段に次のような記事がある。

 「・・・・・経済協力開発機構(OECD)の08年報告によると日本の国内総生産(GDP)に対する教育費の公財政支出の割合は3.4%で回答した28ヵ国中最低だった。不況で教育費の負担感は増し、親の所得格差が子供の教育の機会均等に影響する『教育格差』も問題になっている。・・・・・」(抜粋)。
 尾木氏の指摘といい、この記事といい子供の成長、発達、教育にはお金をかけないというこの国の特殊な仕組み、のもととなっているのは何か、である。


 


夏休みももう少しで終り ゆりの花

2009年08月21日 14時41分55秒 | Nature Photo



8月半ばを過ぎて、
いたるところに咲き始めた。
鉄砲ユリの仲間のようだ。
もちろん野生である。
かつてよく見られたささゆり(と思う)は、もう少し繊細な色合いで、
非常に強いにおいのするゆりだが、最近はほとんど見ない。

山のゆりも昆虫たちにとっては格好の餌場である。






露草

2009年08月15日 08時24分02秒 | Nature Photo


露草 秋の季語である。
青花 ほたる草 月草などとも呼ぶ。青染めの染料となる(「新撰俳句歳時記」明治書院)そうだ。

今日は終戦記念日。
1945年8月15日は明るい、暑い夏の日であった。
やっと暗い地獄の底から這い出た日であった。
しかし、食うものをふくめ何もない日々が続く。





浮浪児昼寝す

2009年08月11日 09時23分23秒 | 平和
 立秋過ぎて何日か。
 終戦の記念日ももうすぐ。
 多くの人々が死んだ。多くの、多くの、子供を、父母を、兄弟・姉妹を、友人を奪った。大切な人々が死んだ。
 そのころ国民を死へと追いやる立場にあって、今も生き残り、政治の中枢にいるものもいる。

 所詮戦争は、死に追いやる側と死なされる側とにわかれる。殺す側と殺される側に分かれる。
 今の平和憲法を捨てようとする人たちはどちらの側に立っているかだ。

      戦争が廊下の奥に立っていた    渡辺白泉
    
      夏の海 水兵一人紛失す      渡辺白泉

      浮浪児昼寝す「なんでもいいやいしらねえやい」    中村草田男




8月6日という日 

2009年08月06日 08時33分46秒 | 平和
8月6日という日 
      
   人間をかえせ    峠 三吉

ちちをかえせ ははをかえせ.
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ



   水ヲ下サイ    原 民喜
 
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチャクチャノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ








酔うてこほろぎと寝ていたよ

2009年08月03日 20時42分06秒 | くらし
今日で梅雨が明けたという報道である。
子供のころ梅雨明けは7月10日ごろと決まっていた。
それまで川・池などでは泳いではいけなかった。
梅雨明けが少しずれても、あんまり気にはしなかった。
農業をやる人にはそんなのんきなことは言ってられなかったかも知れないが。
このごろの人間、夏に弱くなったような気ガする。
カっと照りつける太陽の下に夏があった。
夏は暑くて熱くて厚くて重くて辛くて、激しくて、よく働いた。
よく耐えたような気がする。

   酔うてこほろぎと寝ていたよ   山頭火