三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

ここまで堕ちた『文藝春秋』

2006年01月21日 10時56分02秒 | 教育 
1月15日付『毎日新聞』に次のような記事。
《「バターン死の行進」検証記事に抗議
第二次世界大戦中にフィリピンを占領した旧日本軍が捕虜を長距離歩かせ、多数が死亡したとされる「バターン死の行進」を生き延びた元捕虜の米国人が13日、米ロサンゼルスで記者会見し、同行進を扱った昨年12月号の「文藝春秋」の記事について「史実をわい曲しようとする記事だ」と批判、発行元の文芸春秋社に謝罪を要求した。記事は捕虜が行進させられた約100㌔の行程を日本人女性ジャーナリストが4日間で歩いたルポルタージュで、「『バターン死の行進』女一人で踏破」という題名。「この距離を歩いただけでは人は死なない」と結論づけ、旧日本軍の組織的な残虐行為だったとする欧米の定説に疑問を投げかけている。記者会見で記事に抗議したのは「死の行進」を体験したレスター・テニーさんら2人の元捕虜。テニーさんらは「現実は(記事内容からは)かけ離れていた。記事は無神経で侮辱的だ」などと批判した。文芸春秋社長室は今回の抗議について「書面が届いていないので、コメントは出来ません」としている。【ツーソン(米アリゾナ州)国枝すみれ】》
 
 そこで、『文藝春秋』05年12月号を探した。が、最近は滅多に見かけない(これはよいことでもあるのだが)。やっと県都の市立図書館でコピーしてもらって読んだ。タイトルは、
「バターン死の行進」女一人で踏破」である。
 一読して驚いた。このルポを書いた笹幸恵という「女性ジャーナリスト」の発想の軽薄さ、イマジネーションの貧困。
「私はジャーナリストである」と名乗ればジャーナリストであるのだろうが、あまりにもお粗末である。
 結局彼女は102㌔歩いたそうだ。出発前の数日間、お腹をこわして「食べ物をほとんど受け付けなく」「はからずも、栄養失調状態だったのだ」そうである。が、それにもかかわらず、出発する。以下彼女の文章から、
《さて、実際に歩いてみて分かったことがある。それは、第一に「この距離を歩いただけでは人は死なない」ということである。今回、私は、準備はおろか栄養失調状態でこの行進に臨んだが、無事に歩き終えた。筋肉や関節が痛み、足の指には三つのマメが出来た。しかしそれでも、脚は惰性で動くのだ。このことは、移送計画自体が、そう無理なものでなかったということを示している。実際に道をたどると、なるべく目的地まで近い道を選択しており、組織的な虐待という指弾はあたらない。》
 歩いて分かったことの結論はこれだけである。あほらし。
わずか102㌔ぐらい歩いて普通の人ならば死ぬわけがない。そんなことを検証してもらわなくても誰でも知っている。私も60歳を過ぎてから、1300㌔ほどをひたすら歩いた。
 さらに、現代の人間が3日や4日まともに食べなくても栄養失調になるわけがない。栄養失調状態と栄養失調は全く別のものである。
そのわずか100㌔ほどの距離を、歩かせ、その中で約1万7千人を死なせたという地獄絵図を想像するとき、魂も凍る思いをするのがまともな人間の感覚ではないのか。
 お腹こわしてたけど、歩いてみた。どうちゅうことなかったで、こんなん虐待と違うでなどと、「ジャーナリスト」のすることか。笑止と言うほか無い。
 別紙の報道の中では、行進の生き残りの元捕虜レスター・テニー氏は抗議文で「非常に屈辱的な結論だ」「行進の最初の4日間は食料も水もなかった。当時捕虜の多くはマラリアや赤痢をわずらっていた。日の出から日没まで歩き、昼食休憩も夕食もなく、寝るときは倉庫に詰め込まれた」と行進の実態を証言しているそうである。

 要するに、この笹幸恵という「ジャーナリスト」は、「南京大虐殺はでっちあげ」「従軍慰安婦は虚構である」などと主張する一部の人々に擦りより、ついには「バターン死の行進」まで虐待ではなかったと、歴史のわい曲に与するために書かれたルポと断ぜざるを得ない。

 こんなものを載せる『文藝春秋』はどこまで堕ちていくのか。