三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

政治は必要か やめてくれ政治で食うのは

2009年07月29日 21時02分44秒 | 政治 
ほぼ実質的に衆議院選に突入した。
この国の政治家の人格の貧しさが目立ち始めたと言ってよいか。
小泉チルドレンの逝くヘ、タレント候補者あさり、じいさんの、おやじの金儲けの地盤を継ぐ世襲候補、話題に事欠かない。
それにしてもこれほど低次元で国政を担う政治家を選ぶ国って日本だけなんだろうか。
恥ずかしい。
おそまつ芸人に議員になってくれと頼みに行く、総理候補にしてくれるならと言われ舞い上がってしまい自分がその仕事を投げ出す。
この芸人の芸というものを見たことがない。
テレビに出ていたというだけではないのか。
つまらないテレビ番組を作っている連中がいる。唾棄すべき連中によってつくられた虚像である。
トイレの落書きのような存在だろう。
我われの支払う税金を好き放題に無駄遣いする世界である。。
また、日本国家の名において何百兆円もの借金をする。

一度、日本国家という行政機構をすべてストップしたらどうか。
都道府県も市町村も一切なしとする。

日本に住む人間がすべて必要なことは自分でまかなう。
食料も住むこともライフラインのすべてを自分でまかなう。
それで生きてゆけなければそれでいいのではないか。
警察権力というものが気になると思うだろうが、自分は自分で守る。
盗人が来れば自分でたたっ殺す。何せ警察がいないんだから。
教育は親がする。
福祉は親子の問題とする。
企業もなしとする。
必要なものは、今あるものを使い尽くすまで作らない。
必要なものは自分で作る。余ったものは物々交換する。
食い物を自分で作ることができなければ拾ってでも、コンビニが捨てたものでもあさって食えばいい。
原始の時代に戻るのだ。
いわゆる今弱いと言われる層が先にくたばるだろうか、そうとも思わないのだ。
弱いものほど逆境に強く打たれづよい。
今でかい面してる奴から順にくたばると思うんだけど。
いじめっこなんてそんなもんだ。

日本国家も都道府県も市町村もいらない。
いわゆる行政と言うものに一切金がかからない。
もちろん公務員も給料はない。議員にも給料はない。
5年間ぐらいそれでがまんできないだろうか。
そこで、本当に必要な行政の組織、払わなければならない税金、そんなことが改めて理解できてくるのではないか。

税金は払わない。税金の世話にはならない。
おれの稼いだ金はおれが、おれの家族が使う。誰にも渡さない。余裕があればない人に分かつ。
今の政治の姿はそういう時代の再現を期待するということを示唆していないか。

麻生、鳩山と言うような人物がいなければ日本は成り立たないと思うことはやめよう。いなければいないだけ日本人は幸せになる ような気がする。



バカタローがまた言った

2009年07月25日 21時11分23秒 | 政治 
 麻生太郎首相は25日午前、横浜市内で開かれた日本青年会議所(JC)の会合であいさつ、この内容が野党各党の反発をまねいている。
 麻生太郎首相が25日に語った高齢者に関する発言の要旨は次のようなものだそうだ。

【  どう考えても日本は高齢者、いわゆる65歳以上の人たちが元気だ。全人口の約20%が65歳以上、その65歳以上の人たちは元気に働ける。いわゆる介護を必要としない人たちは実に8割を超えている。
 8割は元気なんだ。
 その元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってください。働くということに絶対の能力はある。80(歳)過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら「青年会議所の間」くらいだ。そのころから訓練しておかないと、60過ぎて80過ぎて手習いなんて遅い。
 だから、働ける才能をもっと使って、その人たちが働けるようになれば納税者になる。税金を受け取る方ではない、納税者になる。日本の社会保障はまったく変わったものになる。どうしてそういう発想にならないのか。暗く貧しい高齢化社会は違う。明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会、これが日本の目指す方向だ。もし、高齢化社会の創造に日本が成功したら、世界中、日本を見習う。  】

 第一印象は何を言いたいのかわからない。
 今日の高齢者問題をどうとらえるべきと思っているのか、だからどうだというのか、遊びを覚えるのが良いのか、悪いのか、高齢者をどう利用しようと思っているのか、生きていては困ると思っているのか、そうでないのか。そしてこれが日本の目指す方向だ、と言ってるんだが、よく分からない。
 彼の話すことの内容、その論理性の欠如、方向識の欠落というか、全体をどうとらえているからこうなるというようなことを無視したおしゃべりは政治家としてと言うより、人間として何らかの欠陥を持っていると言わざるをえない。

 生理的な嫌悪感を感じる。歴代首相のなかでもこれほどひどいのは初めてではないか。
 こういうのを飼っておくことを税金の無駄遣いというんだろうな。
 もう人前に出てくるな。ひっこんでろ! 漫画でも読んでろ!



大暑 百日草

2009年07月23日 14時00分35秒 | Photo



今日は大暑。
昨日は皆既日食ということであったが厚い雲で見えず、残念。
京都の祇園会が終り、大阪の天神祭がはじまる時期である。

我が家の花では百日草が目立つ。
色鮮やかであるが甘くない。
硬質のというか、潔さのようなものを感じる。
 
  百日草百日の花怠らず     遠藤悟逸

  心濁りて何もせぬ日の百日草  草間時彦

  蝶歩く百日草の花の上     高野素十

などがある。

これからいよいよ暑くなる。

バカタロー解散

2009年07月19日 20時49分12秒 | 政治 
じいさんの吉田茂は「バカヤロー解散」で有名。
孫は、麻生太郎は「バカタロー解散」なのだそうだ。
何をかいわんや、である。
三代目というのは昔から良く言われない。
が、彼の場合は名実ともにそうである。
救いがない。

「売り家と唐様で書く三代目」ってね。江戸時代の川柳。
この国をどこかに叩き売ってしまわないうちに引きずり落としておく必要がある。

世襲で権力の中枢を引き継いでゆく、
誰が隣の国を笑えようか。




「亡国のバカ首相」

2009年07月17日 17時28分24秒 | 政治 
【「亡国のバカ首相」
 「ぜんぜん違うと思いますよ」
 前代未聞の解散予告について「麻生降ろし封じが目的ではいか」と記者団に聞かれた麻生首相、記者団にこう答えた。あれほど「私が決める」と繰り返した解散を、ようやく自分で決めたのだ。それを「思います」と他人事のように言う。
 よくまあこれほど無責任な政治家が首相をやってきたものだと呆れてしまう。こんな男が国や国民の暮らしを真剣に考えるわけがない。
 都議選の自公苦戦が伝えられ始めた12日夜、麻生は周辺に「解散は14日」「選挙は8月8日か9日」「絶対にやるからな」と激しい口調で伝え、麻生おろしで動き回っている連中を名指しで批判したという。
 68歳にしてまるで駄々っ子。この男の頭にあるのは、幼稚な反抗心と醜悪な権力欲だけらしい。
反麻生が高まるほど意地になり、なんとしてでも首相の座にしがみつこうとする。どんなときでも真っ先に考えるのは自分のことである。
 そうでなければ、解散を予告する必要など、これっぽちもない。】
と、これは「日刊ゲンダイ 7月16日号」一面トップ。みもふたもない。ボロクソである。そして、みんなそう思っている。誰かかばう奴はいないのか。吉田茂の孫だぞ。

【・・・略・・・ 麻生降ろしができなければ「党とは別のマニフェストを作る」と真顔で語る議員もいる。党が責任を持ち、政権が何をするかを記す「マニフェスト=政権公約」の意味が分かっていないというほかない。自民党に所属しながら麻生首相を認めず、それぞれの選挙区で勝手にマニフェストを示すというのは有権者をごまかす詐欺的行為でさえある。
 第一、衆院での麻生内閣不信任決議案に反対した直後に麻生降ろしでは国民の理解は得られない。両院議員総会の開催要求が腰砕けに終わることが確定すれば、さらに批判は高まろう。これも既に指摘したように麻生首相の下では戦えないというなら、自民党を離党し新党を結成する方がまだ筋が通るというものだ。
 もう堂々と選挙に臨めばどうか。不利な選挙情勢を挽回(ばんかい)しようと七転八倒するほど国民の目には「自らがしてきた政治によほど自信がないのだろう」と映っているはずだ。】
これは、毎日新聞7月17日号の社説。バカ首相の下にあってこれはえらいこっちゃとあわてふためく自民党議員どものこっけいな姿が目に浮かぶ。

 われわれはえらい国に住んでますな。
 といってもこれは自分が選んだ結果です。
 しょうがおまへん。と思うと益々絶望的になりますな。
 
 次に選挙するときは、こんな天にむかって唾するようなことを言わずにすむようにしましよう。






 
 



糸とんぼ

2009年07月12日 10時38分10秒 | Photo


キイトトンボ

全長で3cmぐらい。よく見ないとわからない。
蜻蛉目イトトンボ科キイトトンボ。
黄色いのでキイトトンボという。
ずいぶん昔に見たことがあるような気がする。
まだいたのか。

   水の湧く音かすかなる糸とんぼ    大場美夜子

   しなやかなものにつかまり糸とんぼ  吉原一曉



「月光の夏」を 

2009年07月09日 22時37分48秒 | 平和
昨夜(7月8日)、劇団「東演」の「朗読劇・月光の夏」を観た。
原作は毛利恒之著 汐文社刊「月光の夏」 演出・鈴木完一郎。
太平洋戦争末期昭和二十年初夏、明朝出陣するという音楽を愛する学徒出陣の特攻隊員二人が小学校にかけつけ、
今生の別れにベートーヴェンのソナタ「月光」を弾き沖縄の空に出撃して行く。
一人は戦死、一人は・・・。

これほど公演時間を短く感じたものにかつて出会ったことがあっただろうか。
生のピアノ演奏と、演者は舞台上で芝居を演じるのではなく、内容はすべて原作の語りを朗読によって観客に伝える。
観客はすべての場面をそれぞれの想像力に委ねられる。
黒い衣装の演者もまたその内容を声のみによって伝えるという厳しいものを要求される。
身体の演技はいらない。
神山征二郎監督による映画「月光の夏」も感動的であったが、今回の東演の公演に私は、まいった。

ピアノもよかった。
客席第一列、かぶりつきにいた。
はじめから涙が流れ、最後まで泣いていた。

そして今日は7月9日、和歌山空襲によって和歌山市が灰燼に帰した日。
1945年7月9日を忘れるものか。
紅蓮の炎の中を逃げまどった6歳の夏。
生きのびたけれど辛い戦後であった。

憲法第九条守るべし。