三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

八月や六日九日十五日 荻原枯月

2014年07月28日 19時30分13秒 | 

八月や六日九日十五日   荻原枯月
今の時期、思い出す一句。
これは戦後の作ですが、戦前もわずか十七文字で戦争反対の意思を表明し、闘った人々もいた。
夏の海水兵ひとり紛失す
戦争が廊下の奥に立っていた  
この二句は、渡辺白泉。後、治安維持法違反容疑で検挙、投獄される。
水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る
現在の俳句界の大御所、金子兜太氏(1919年生まれ)の句。戦友の墓碑を置いて復員するとき詠む。
金子氏、
<今もふと当時の記憶がよみがえる。耐えられなくなると、杖にすがって立ち上がり、死者の名前を声に出して読み上げる。
「70年たってもつらいですな、戦争で苦しむ人間は我々の世代だけでたくさんです。なのにまた、集団的ナントカとか妙な理屈をつけて命を軽く扱う世の中にしようとしている。命の大切さに理屈などないんですよ。私もあとどれくらい生きるか分からんが、最後まで叫び続けるさ」(毎日新聞8月6日付夕刊)>
最後まで叫び続ける。重い叫びだ。

大暑

2014年07月23日 08時10分52秒 | 
今日は大暑

兎も片耳垂るる大暑かな  は芥川龍之介の句である。

そして明日24日は「河童忌」、つまり芥川龍之介の忌日である。
芥川龍之介昭和2年7月24日没。

その翌年の7月、

芥川龍之介佛大暑かな  と久保田万太郎が詠む。

念力のゆるめば死ぬる大暑かな  は村上鬼城。

猛暑、酷暑、炎暑などいろいろあるが、やはり大暑が日本の夏という気がする。






祭りのシーズンです 先ずは貝塚から

2014年07月21日 09時21分44秒 | いいんじゃない





夏から秋 泉南地方は祭りのシーズンです。その先頭を切って貝塚の太鼓台祭りが7月19日20日行われました。ふとん太鼓とも言います。堺市、泉佐野市なども同じふとん台の祭りが行われます。朝からの巡行でくたくたのようです。この時間は午後4時前です。5時ごろには休憩するのでしょうが、7時から9時までまた担ぐようです。頑張ってください。岸和田のだんじりも勇壮ですが、この太鼓台は神輿です。肩で担ぐのです。だんじりは地車という車を引きます。やはり担ぐのはきついでしょうね。夏祭りから秋の祭りまで祭り、祭り、祭りの泉南、エネルギーを感じます。

家畜に喜び、奴隷天国

2014年07月19日 09時06分11秒 | 
家畜か奴隷か
とりあえず次の文章を読んでみてほしい。毎日新聞の記事からです。
少し長いのですが我慢して読んでください。きっと共感するとともに、何をしなければならないか改めて実感すると思うのです。

 この「民主主義」を標榜する日本の社会で腑に落ちないことはいろいろあるのだが、二つほどあげてみよう。
 まず東京電力という会社が今も存在している事。あれだけの惨事を引き起こしながら、同社の誰も刑事罰を受けていない一方、福島県からの自主避難者に対しては雀の涙程度のカネしか払わないと堂々と宣言し、かつ原発も再稼働させたいという。たとえて言えば、1945年の敗戦後にも大日本帝国の陸海軍が「私らはちっとも悪くありません」とばかりに存在し続けているようなものだろう。
 安倍晋三内閣の支持率が依然として5割近くもあるという事実。これも腑に落ちない。集団的自衛権の行使容認(その本質は、「売られてもいないけんかを買いに行くことになることだ」、とある元自衛官が適切に指摘している)をめぐる政府の説明態度は、」全体として不誠実極まるものだ。7月1日の総理記者会見で、首相は「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。」と述べた。言い換えればほとんど何も変わっていない、と。ところが1週間後、訪問中のオーストラリアで「なるべくたくさんのことを諸外国と共同してできるように、日本は安全保障の法的基盤を一新しようとしている」と宣言。きれいは汚い、汚いはきれい、変わるは変わらない、変わらないは変わる。
 こうした言動は、知性の著しい混乱ないし良心の崩壊の兆しだろう。いずれにせよ壊れている。このような破綻者を、各界のエリートたちは(尊敬もしないが)ワッショイワッショイ担いでいる。「みこしは軽くてパーがいい」とは小沢一郎氏の名言だが、さしもの小沢氏も、「壊れているくらいがいい」とまでは言わなかった。
 この国の政治・経済の支配層が、ここまでナメ腐った振る舞いをできるのは、国民が怒らないからであろう。もちろん怒る人もまれにいる。だが、この国の国民の最大の娯楽の一つは、こうした正当にも腹を立てる人、侮辱を許さない誇り高き自由人を、からかい嘲ることだ。「あいつバカだねー、怒ったって何も変わんないのにさ、意味ないよねー」と言ってうなずき合うとき、私たちは「バカ」に対する自らの優位を確認して優越感に浸れるのである。なるほど、奴隷のなけなしの楽しみとは、主人に反抗して痛い目に遭うほかの奴隷を辱めることであるに違いない。民主主義の主人は、本当は、当事者自身のはずだが、どうも国民は自分たち以外に主人がいると信じているようだ。
こう考えてくると、「腑に落ちない」ことがどんどん「腑に落ちて」くる。別に今の政府や電力会社は、間違ったことをやっているわけではない。この国民にふさわしい仕方でやっているだけのことだ。奴隷は奴隷らしく扱うのが正しい。
 「奴ら」が私たちを辱める以前に私たち自身が私たち自身で私たち自身を辱めている。16世紀フランスの思想家、ラ・ポエシは、こうした状態を「自発的隷従」と呼び、家畜にも劣る状態であると述べた。誰が私たちをここから救い出してくれるのか、問うのは愚問だ。
そう、私たちの同時代人、中島みゆきの歌にもあるじゃないか。闘わない奴らは闘う奴を笑う。けれど、冷たい水の中を懸命に泳ぐ小魚たちは、「諦めという名の鎖」から自らを解き放つのだ、と(「ファイト!」)「小魚」になれるのは、私たち自身しかない。


これは7月17日付、毎日新聞(大阪)夕刊に掲載された白井聡氏の意見です。
 「自発的隷従」をかなぐり捨て、自らを解き放つために生きる。に、共感する。
 

平和の申し子たちへ 泣きながら抵抗を始めよう  なかにしれい

2014年07月16日 17時01分43秒 | 
毎日新聞7月15日付夕刊2面に次のような詩が掲載されていました。この詩と関連する記事が7月10日毎日新聞東京夕刊に掲載されたのだそうです。是非15日付夕刊を手に入れて記事とこの詩を読んでください。私は涙を流しながら読みました。
 

平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう
2014/07
毎日新聞 2014年07月10日 東京夕刊 掲載
集団的自衛権行使容認が閣議決定された7月1日、毎日新聞からの依頼によりなかにしが書いた詩の全文です。
題名は「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」。
「僕自身も泣きながら、ですから。日本がこんな国になってしまって悲しくて仕方ない。特定秘密保護法を先につくって、次は集団的自衛権。『戦争だから』と自由に発言できない時代はすぐそこです」(なかにし 毎日新聞記事より)

「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう

 二〇一四年七月一日火曜日
 集団的自衛権が閣議決定された
 この日 日本の誇るべき
 たった一つの宝物
 平和憲法は粉砕された
 つまり君たち若者もまた
 圧殺されたのである
 こんな憲法違反にたいして
 最高裁はなんの文句も言わない
 かくして君たちの日本は
 その長い歴史の中の
 どんな時代よりも禍々(まがまが)しい
 暗黒時代へともどっていく
 そしてまたあの
 醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
 戦争が始まるだろう
 ああ、若き友たちよ!
 巨大な歯車がひとたびぐらっと
 回りはじめたら最後
 君もその中に巻き込まれる
 いやがおうでも巻き込まれる
 しかし君に戦う理由などあるのか
 国のため? 大義のため?
 そんなもののために
 君は銃で人を狙えるのか
 君は銃剣で人を刺せるのか
 君は人々の上に爆弾を落とせるのか
 若き友たちよ!
 君は戦場に行ってはならない
 なぜなら君は戦争にむいてないからだ
 世界史上類例のない
 六十九年間も平和がつづいた
 理想の国に生まれたんだもの
 平和しか知らないんだ
 平和の申し子なんだ
 平和こそが君の故郷であり
 生活であり存在理由なんだ
 平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
 戦争なんか真っ平ごめんだ
 人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない
 たとえ国家といえども
 俺の人生にかまわないでくれ
 俺は臆病なんだ
 俺は弱虫なんだ
 卑怯者(ひきょうもの)? そうかもしれない
 しかし俺は平和が好きなんだ
 それのどこが悪い?
 弱くあることも
 勇気のいることなんだぜ
 そう言って胸をはれば
 なにか清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか
 怖(おそ)れるものはなにもない
 愛する平和の申し子たちよ
 この世に生まれ出た時
 君は命の歓喜の産声をあげた
 君の命よりも大切なものはない
 生き抜かなければならない
 死んではならない
 が 殺してもいけない
 だから今こそ!
 もっともか弱きものとして
 産声をあげる赤児のように
 泣きながら抵抗を始めよう
 泣きながら抵抗をしつづけるのだ
 泣くことを一生やめてはならない
 平和のために!

なかにしれい オフィシャルサイトから

「解釈」ではなく「介錯」

2014年07月07日 21時12分58秒 | こくみんをなめんなよ
孫引きであるが、

6月28日付毎日新聞朝刊に早稲田大学法学学術院教授水島朝穂氏が、現政権の憲法解釈による集団的自衛権行使容認を次のように切り捨てている。
<憲法解釈の変更というが、憲法の「解釈」ではなく、憲法の根幹を切り落とす「介錯」だ>
 一刀両断の解釈である。


7月7日付毎日新聞夕刊コラム「しあわせのトンボ」(近藤勝重) の一部である。
「介錯」わかりますよね。

『毎日新聞』記事より

2014年07月02日 15時07分31秒 | 

7月2日付『毎日新聞』
 社会面見出し
 ○ 自衛隊『死と』と直面 集団的自衛権 閣議決定
 ○ 命令なら逆らえぬ 妻、母 募る不安
 ○ 軍隊へ変容迫る

 と自衛隊の今後についてどう思う。かつては「皇軍」、天皇の赤子とし て命を捧げた。平成天皇はどう思う。

 さらに、見出し、
 ○ 過ち繰り返すのか 平和優しく守るもの 元特攻隊員の思い
 ○ 広島で京都で抗議のうねり 「次世代に戦争押しつけ」     
 ○ 大江さん訴え続ける

 と国民の声


この見出しの記事の内容はどんな内容か誰でもわかると思う。
毎日新聞が特別な新聞であるとは私は思わない。しかし、2ページにわたってこの危険な状況を訴えている。
現安倍政権にしたいほうだいさせて私たちはどう後世に責任をとるのか。
選挙で勝たねばならない。
   



『粗雑な政治憂う』

2014年07月02日 13時00分40秒 | これは許せない
 以下引用するのは、昨日7月1日付毎日新聞一面記事 ぜひ読んでほしい。

  「粗雑な政治憂う」 政治部長 末次省三  
  「数の力」によって「国のかたち」まで変わろうとしている。 与党の単独審議、強行採決など、野党が「数の横暴だ」と批判する光景は何度も見てきた。だが今回は次元が違う。一内閣の判断だけで、戦後日本が憲法九条の理念に基づいて構築してきた安全保障政策を大転換する。政治が粗雑になっている。
 安倍晋三首相は2月12日の衆院の予算員会で「(憲法解釈の)最高責任者は私だ。政府答弁も私が責任を持ち,そのうえで私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない」と答弁した。三権の一角、行政府の長が首相であることは論をまたない。だが、首相の発言からは「選挙至上主義」が読み取れる。確かに選挙は民主主義の基本中の基本だ。だからといって、それは全権委任の儀式ではないはずだ。
 2009年と12年の二度の政権交代で日本社会は国会の多数派が比較的容易に入れ替わるのを経験した。衆院の小選挙区制はこうした状況を想定した制度だが、立憲主義という日本の土台を崩す前例を作った点で、今後に与える影響は計り知れない。
 一方で、小選挙区制は党首の力を大きくしており、現在の政治状況は、時の多数派のトップの意向が政策を左右する傾向にある。しかし、トップの思想信条によって国家の根幹が変更されることまでは、日本社会は許容していないと思う。
 「戦後政治の総決算」を掲げつつ「国際国家日本」を唱え、いくつかのタブーに挑んだ中曽根康弘元首相は、退任後の1992年に刊行した回顧録「政治と人生」で次のような指摘をしている。
 「首相の指導力は独善的でなく、国民に分かりやすい効果的な説得力を伴ったものでなければならない」
 政権にとって閣議決定文に「集団的自衛権の行使」を盛り込むことは、「風穴を開けた」と位置づけられるのかもしれない。しかし、国会で今後、具体的な法整備が審議される。閣議決定で終わるわけではない。
 民主党をはじめとする野党、いまだに慎重論が根強い公明党はもちろん、自民党の個々の議員を含め、衆参両議員には「選良」としての責務を果たしてほしい。「多勢に無勢」片づけられるテーマではない。

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