三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

罌粟 私は街の子

2007年04月27日 08時58分11秒 | 読書
街のど真ん中の草むらです。子どものころの美空ひばりが好きです。



  私は街の子

  作詞:藤浦洸
  作曲:上原げんと
  歌唱:美空ひばり
  制作:滝野細道


 (一)
 私は街の子 巷の子
 窓に灯りが ともる頃
 いつもの道を 歩きます
 赤い小粒の 芥子の花
 あの街角で ひらきます
 
 (二)
 
 私は街の子 巷の子
 なんで灯りが 恋しやら
 いつもの歌を 歌います
 柳落葉が ひらひらと
 赤いリボンに つもります
 
 (三)
 私は街の子 巷の子
 ついた灯りが また消えりゃ
 いつもの人に 出逢います
 今は恋しい 母様に
 うしろ姿も そっくりな





怒りの長崎

2007年04月23日 16時29分02秒 | 政治 
  4月22日付『毎日新聞』コラム発信箱
「怒りの長崎」広岩近広氏(専門編集委員)

 【 大阪と西部本社の共同企画「ヒバクシャ」の打ち合わせで、広島と長崎を時々訪れる。被爆地としてよく言われるのが「怒りの広島」「祈りの長崎」だろう。後者は教会の多い長崎らしいと感じていた。
 両市とも原爆の惨状を伝える資料館を持っているが、館内に入ったときの印象は違った。長崎原爆資料館は、まず原爆が投下された直後の写真映像が流される。何度見ても、人間の尊厳を奪う原爆のむごたらしさに胸をふさがれる。
 広島原爆資料館は軍都であった事実に目を向け、原爆が落とされるまでの歴史の展示から始まる。資料館全体としては両市に遜色はないものの、一歩入ったときの衝撃は長崎のほうが強く、このとき私は「怒りの長崎」ではないか、と映像の向こうにあるものを推量した。
ーーアメリカは一度ならずなぜ二度も原爆を落としたのか、ウラン原爆とプルトニウム原爆を製造したので、どちらも使ってみたかった、そういうことではいのか。ならば、たとえ戦争中とはいえ、このような行為が許されるのか。
 そんな声が、頭の中で響いた。やはり「怒りの長崎」なのだ。そう私は思った。
 そして長崎は、今また怒っているに相違ない。90年に続き、長崎市民がまたも銃撃されたからだ。今回は選挙期間中の暴力で、伊藤一長市長は銃創による大量出血のため無念の死を遂げた。これは民主主義と非暴力平和主義への挑戦である。許してはならないし、こうしたテロに屈してはならない。「怒りの長崎」を共有したい。     】

 戦前、権力によるテロによって国家を作り上げ、多くの国民を無謀な戦争によって死に追いやった。
 テロはやはり、恐ろしい効果を持つ。
 
 ところで戦前戦後という言い方は今も使っていいのだろうか。
 第二次世界大戦が終わって、かなりの時間はたったけれど、戦前戦後という言い方で一括りにできない連続性を今あらためて感じる。
 今回のような、銃撃という物理的な暴力ではなくとも、恐怖とか恫喝、アメとムチなどによって次第に国民の思考を一定の方向に絞り上げていこうとする意図を感じることがしばしばある。

シャガが咲いています

2007年04月21日 17時38分01秒 | 読書
世の中は、腹の立つこと、悲しいこと、許せぬことだらけ。
言いたいこともあるけれど、当分は身の回りの花の写真でも投稿します。
こんな時代になってしまうとは。



アヤメ科、シャガ。原産地は中国。白っぽい薄紫の花で花弁に濃い紫色と黄色の模様があります。竹藪などに群生している常緑の多年草。原産地は中国。

七重八重花は咲けども

2007年04月20日 16時53分36秒 | Nature Photo



鷹狩りに出かけた先で雨に降られた太田道灌が、ある民家に蓑を借りたいと所望します。
しかしでてきた少女が差し出したのは山吹の枝。それで道灌さん、怒って帰ってしまった。

【七重八重花は咲けども山吹の み(実)のひとつだになきぞかなしき】
           (「後拾遺集」醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王)

山吹が実の一つもつけないことと、蓑一つも家にないことをかけて表現したのではないか、
という家臣の説明を聞いて恥いり、その後発憤して歌を勉強した。
という逸話ですが、
虚構だという説が有力。
実をつける山吹もあります。山吹が一杯咲き始めると、もう晩春の匂いです。


行き着くところは何処か 自公の暴走

2007年04月16日 18時48分22秒 | 政治 
  国民無視の自公の暴走をどう見る
 
 すべてとは言えないが、巨大メディアが権力のプロパガンダと化して行く中で、各地方紙は現在の与党自民党、公明党のこの暴走をどう見ているか、についてある新聞が特集している。

  ◇北海道新聞は13日付で、《法案推進勢力は「中立的法案だと説明してきた。だが実際は、単なる手続きの印象を与えながら、改憲を容易にする内容でまとめられた。」「法案は、自民党新憲法法案が言う、「自衛隊」を「自衛軍」として明確に位置付けづける九条改訂に結びつく。それは平和主義の足元を切り崩す一里塚の役割を果たすことになろう」》

 ◇琉球新報14日付は「この国はどこへ向かおうとしているのか。やはり『戦争のできる普通の国なのだろうか』」「なぜ今、憲法改正の手続きを定める国民投票法案なのか。野党の賛同も得られないままに。自民党は結党五〇年の05年に『新憲法草案』を決定している。同党の狙いが第九条の改正にあることは明らかだ」
 
 ◇東京新聞13日付は「戦後の枠組み脱却を唱え、在任中の改憲実現を公言する首相がこんな所で前面に出れば法案に賛同する勢力を抱える民主党も含め、野党議員が身構えるのは当たり前だ」「公聴会をこなしたと言っても、言いっ放し、聞きっ放しでは理解が広まるはずもない。そんな段階で数にものを言わせる国会の運びが多くの国民に受け入れられるとは思えない」

 ◇中国新聞13日付「中身よりも、首相の示した『締め切り』を優先した印象が強い。国の進む道を左右する法案だけに、これでいいのかとの思いがぬぐえない」

 ◇沖縄タイムス13日付「採決は。安倍晋三首相が強調した『憲法記念日(5月3日)までの成立を』目指す動きと軌をを一にしている」「憲法改正にかかわる法案は国民への周知徹底が大前提」「ここは今一度原点に立ち返り、審議に時間をかける必要がある」

 ◇信濃毎日新聞13日付は、11日に発表された憲法学者百人余りの「声明」を引きながら、「最低投票率の規定が必要、との指摘は重要だ」「公務員、教育者の運動制限は『表現の自由』にかかわる。幅広い観点からの論議が欠かせない」「法案の熟度、政治状況。どれをとっても国民投票法案を成立させるのに適した状況とは言えない。国民の理解も足りない。慎重な対応を与野党に求める」

 ◇京都新聞十三日付「なぜ投票年齢を十八歳以上とするのか。二十歳以上とする公職選挙法との整合性をどうとるのか。最低投票率を規定するか否か」「これらのことをあいまいにしたまま法案を通すのでは、国会が立法府としての責務を軽視したに等しい」
 
 ◇西日本新聞十三日付「公職選挙法に基づく選挙なら公務員の運動に制限は必要だろう。だが、国民投票にまで規制を適用すべきかとなると、議論の余地がある」「公聴会では、国民投票が一定の投票率に達しない場合、投票自体を不成立とする『最低投票率制度』の導入を求める意見も目立った」「こうした疑問を残したまま、与党が数の力で押し切ることは許されない」

身近な地方紙はよく読まれる新聞である。ここに上げられた新聞は地方紙とは言え、よく知られた有名新聞といってよい。いずれもきわめてまともな問題点の指摘である。これからも期待したい。





 

「こうのとりのゆりかご」

2007年04月13日 09時28分45秒 | くらし
  子供が生まれる。子供を産む。成長して、長生きをしてやがて死ぬ。中には障害を持って生まれる者もいる。
 良い生育環境に産まれた者は、幸せに、良い老後の生活環境を手に入れた者はより幸せに生涯を送る。
 しかし、国はそれらはすべて自助努力でまかなえといっている。
 国民を幸せにするために国家は存立するのではないか。それなりの努力と与えられた労働を果たせば、国の制度として、幸せに暮らす権利が得られるのではないか。憲法第25条はそのことを保障している。
 子供が生まれて、どう生涯を過ごすかは自助努力にかかっている、といまさら言われる筋合いはない。
 少し違うかも知れないが、生まれ出た生命を誰が、どう育てるのか、という意味で次のコラムを。
 
 『毎日新聞』4月11日付 コラム「発信箱」より 元村有希子氏
「ゆりかごは問う」
 《   育てられなくなった赤ちゃんを匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」が始まる。閣僚たちは口々に不快感を表したが、人ごとのような言い方はどうかと思う。
 賛否はあるだろう。しかしわが子を手放す人にも切羽詰まった事情があるのだ。望まない出産の場合、置き去りや虐待などの可能性がある。そんな命を「ゆりかご」は救うかも知れない。
 73年4月、宮城県石巻市で産婦人科医院を開業していた菊田昇医師(故人)が地元紙に小さな広告を載せた「生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子として育てる方を求む」。菊田医師は臨月近くになって「お腹の子を殺して」と来院する女性を多く診た。殺せなかった。女性を説得して出産させ、「実の子」として出生届けを出してくれる養親に預ける。こうした違法行為を公表し、制度と命の重さの相克を社会に問うた。
 この事件が呼び水となって87年、子どもが戸籍上も養親の実子扱いとなる「特別養子制度」ができた。
 女性の「産む性」をめぐる状況は、今もさほど変わらない。未婚なら世間の偏見、生活苦も加わる。「育児放棄」と責める前に、女性の孤独や苦しみを軽くする戸籍制度や育児支援など政治にできることは多い。
 菊田医師は公表当時、自著「私には殺せない」につづった。「最も恐れるのは、現実に迫っている赤ちゃんの生命の危機の問題、暗い過去を背負って歩まねばならない母親の問題を抽象論にすり替えてしまうことだ。」
 今度はどうだ。小さなゆりかごが問いかけている。目をそらさず向き合いたい
               (環境科学部)   》

気候変動と人間

2007年04月07日 16時52分13秒 | 地球環境
 ブリュッセルで開かれていた国連「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」第二作業部会は6日、地球温暖化の影響は予想以上に早く広範囲に及ぶとという報告書を発表した。
 IPCCは2月には、温暖化の原因が人間の活動にあるとし、今世紀末の平均気温が最大6.4度上昇すると推定する第一作業部会の報告を発表。
 温暖化の影響を評価した今回の報告は、対応を急ぐよう各国政府に重ねて迫るものである。

 報告では、
 アフリカでの穀物生産が急減する。
 ヒマラヤの氷河が解ける。
 北米や欧州では熱波に襲われる。
 と推定。

 大型台風・ハリケーンなど異常気象の広がりで農業も大きな影響を受け、各地で数百万もの飢餓をもたらす。
 1.5度~2.5度の気温上昇で、生物種の20~30%が絶滅する。
 と予測。

 この会議の報告をまとめるだけでも各国の利害に影響する気温上昇幅の許容限度などをめぐって紛糾したという。
 IPCCのバチャウリ議長は「今回明らかになった各地の影響を最も受けやすいのは貧しい人々だ。世界には彼らを救う責任がある」とまとめた。
 
 地球ができて40数億年、さまざまな生物、物体が生き変わり死に変わりして今日がある。
 「地球に優しい生き方」「環境に優しい生き方」などという言い方があるが、それは人間にとっての都合だけ。
 人類が亡ぼうとどうしようと地球にとっては痛くもかゆくもない。
 迷惑なのはその巻き添えを食う存在であろう。地球上の有りとある存在に迷惑をかけないことだ。

にくいしくつう!

2007年04月02日 19時45分22秒 | 政治 
 嫌な国になってしまったと思う。経済も外交も国内政策も国民を幸せにしようと
しない政府。歴史まで改竄し、戦前の軍部、「国家」までを正当化する。
 世界中の笑いものなってしまった。
そして、あの悪夢の時代を再来しようとする不気味な動きがある。
しかし、この国を作ったのは国民だ。政治を、政治家を馬鹿にしてはいけない。
考え直そう。

《  『毎日新聞』4月2日(月)付 コラム「発信箱」
 「もう一つの教育改革」与良正男氏
「若い人の中には投票に行かないどころか、選挙前に選挙管理委員会から通知が届くのも知らない人がいる」。先日ある会合でそう話したら驚く人が少なかった。
 でも私は「投票の仕方が分からない」という20代を何人か知っている。聞けば大抵その親も選挙に行ってない。学校で習ったこともないという。一度新聞に「投票はこうする!」とイラスト入りで載せようと発言したら、「でもそういう人は新聞も読まない」と言われてやめたことがある。トホホ。
 嘆いている場合じゃなかった。「政治なんて信用できない」と言っていれば済むような風潮を作ってきた私たちメディアの責任は確かに重いが、これは「格差の固定化」という問題にもつながるのではなかろうか。
憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案では投票年齢が「18才以上」となった。成立すれば通常の選挙も18歳以上にする検討が始まるという。
 世界の潮流からすれば引き下げは当然だろう。いやそれだけではない。政治と教育を考え直す好機ではないかと私は思うのだ。
 私たちの生活と政治とはどんなかかわりがあるのか。ねぜ選挙に行くのか。そもそも民主主義って何なのか。
 政治と教育というと「旧文部省対日教組」と言った古い図式でとらえる人が今も政界には多く、伝統や愛国心重視が最近のテーマである。だが、「今の政治」を学び、教えるということをきちんと考えてみたらどうだろう。余計なお世話なのを承知で言えば、できることなら学ぶのは親もご一緒に。   (論説室)  》