三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

何をぬかすか 自民党武部勤幹事長

2005年11月30日 08時16分29秒 | 教育 
自民党武部幹事長は26日、北海道釧路市で講演し、姉歯建築設計事務所による耐震データ偽造問題について
「悪者探しに終始するとマンション業界が潰れる。不動産業界もまいってくる。景気がおかしくなるほどの大きな問題だ」と述べ、冷静な対応が必要との認識を示した。
武部氏は自身が農相時代に担当したBSE(牛海綿状脳症)対策を引き合いに「大きい地震が来たら潰れる、という話ばかりされると(住民は)心配で寝られない。BSEの時も牛肉の安全性と感染源究明の問題は別だと言った(のにいっしょくたにされた)」と強調した。

これに対し、民主党の前原誠司代表は27日、千葉市で講演し、武部発言について「徹底的に調査することが政治の責任なのに、やりすぎてはいけないというのはいったい誰を目線に政治を考えているのか」「人命が軽んじられてこういう事態が起きているのに、自民党は執行部がこういう体たらくで、安全、安心を図ることができていない」と指摘。

以上は毎日新聞の報道から。
 
前原氏の言うとおりである。武部というのはほんとに馬鹿である。自民党アホバカ議員の筆頭であろう。
「大きい地震が来たらつぶれる」と言われて、夜も眠れない住民がたくさんいるのだ。心配するのは当たり前ではないか。
徹底的な原因の解明と、国としての救済措置を一刻もはやく住民に対してとるべきである。
それをやりたくないというのが露骨ではないか。こんなやつらに政治を任せている。
民主党という政党もずいぶんいい加減であるが、この限りでは前原氏は正しい。
他の政党も一致して厳しく追及してもらいたい。


  

秋 木の実

2005年11月29日 08時14分34秒 | 教育 
小さな実りではあります。
これも野ぶどうだと思います。直径5㎜前後です。
食べてみましたが、少し苦みがあってそれほど美味しくはありません。
「このあたりに美味いヤマブドウがあったんやけどな」と近所のじいさんが言ってたことがあったのですが、それがどの実のことか、わからないまま。
赤いのはイバラです。これは食べられないでしょうね。
 


   


よくもまあ 大阪市長選

2005年11月28日 08時42分43秒 | 教育 
よくもまあ!! 大阪市長選 関淳一氏再選!!
大阪市民の皆さん。懲りずにやりますね。
あれだけ世間で袋だたきにあってる大阪市。この「出直し選挙」で立ち直ると思いますか。
こういう事態をまねいた原因を作った時代に大阪市の幹部職員として君臨、結果は、5兆6千億円の借金を抱えるに至った。
大型公共事業による税金のむだづかい。乱脈同和行政、「ヤミ年金」「ヤミ退職金」。
みんなあきれ返っているのです。
そういう人物をもう一度市長に選びますか。
今後どんなひどいことが起こっても、大阪市民自らの責任ですよ。
当初は、市民運動的な手作り選挙をめざしたようですが、結局、自民、公明、民主の3党に支援を依頼、しかし、自民党の圧力で、民主を切り、自民と公明だけの支援ということになったようです。
自民党と公明党に、またまたえらい借りができました。この大きなくびきを引きずりながら、改革などできますか。
喜んでいるのは、自民党と公明党でしょうね。民主党を排し、労組との関係を絶ち、やりたい放題でしょう。
おそらく職員のリストラなどはやるでしょうが、大型公共事業をやめることなどできません。
結局は市民生活への圧迫でしょう。
えらい選択をしたものです。
投票率33.92%と言う無関心。このうちの40%ほどの得票です。

ま、私は大阪市民ではない。



朝青龍の涙

2005年11月27日 07時27分13秒 | 教育 
昨日、朝青龍の涙を見ました。
その後の勝利インタビューで感動しました。
アナウンサーの矢継ぎばやの質問に完璧な日本語で受け答えをしていました。頭の中で翻訳してしゃべっている様子は全くありません。
彼の思考や、価値観そのものが日本語でできあがっているのではないかと感じさせられました。
1996年来日、まだ10年経っていません。精神面でもすばらしいものを持っているのでしょう。
この力士は日本人、この力士は外国人と思うのはやめにします。
出身はどこであっても、相撲を理解しようと努力し、身につけたものが称賛に値するのだとあらためて思わされました。

それにしても、あの座布団を投げるのは醜いと思いませんか。



   

耐震強度偽造問題

2005年11月26日 08時10分26秒 | 教育 
マンションなどの建築の際の安全確認業務は、6年前に民間の参入が認められた。規制緩和の流れがそうさせた。
当初から、安全への疑問が問われていた。その懸念が現実のものとなった。
姉歯建築士が偽造した構造計算書に基づき、建築確認検査を行ったのが民間の指定確認検査機関「イーホームズ」である。
民間の企業がやれば、営利を目的として行うのは当然である。
設計技師、建築業者、確認検査機関、販売業者などすべて営利を目的として活動する。
どの部分のコストを下げ、手を抜けば儲かるか。目に見えない部分である。
外見ではない、最も重視すべき安全面での対策を営利を度外視して確保するのは、官でしか行い得ない。
国民が己の命を守るべく闘う相手は、そんなことを知りながら、「構造改革」の名の下に易々として民間に売り渡した小泉政権である。
おそらくまだまだこういうことが起こるに違いない。国民の命と財産が危ない。
郵政も其の一つ。



自民党新憲法草案

2005年11月25日 08時33分00秒 | 教育 
自民党新憲法草案について、23日付、アメリカ各紙の報道
◇ワシントン・ポスト紙
「『集団的自衛権』を容認し、他国の軍事支援に駆けつけるという、より幅広い憲法解釈に道を開く。最大の受益者は米国だ」「米国は、日本がそのような措置をとるよう促してきた」
◇ロサンゼルス・タイムズ紙
ねらいは米国に対する軍事的支援だと解説。しかし、「最強国に復帰をねらう日本」には世界各国が反対や疑問を示していると指摘。原因は小泉首相の靖国神社参拝など「日本の指導者が過去を反省していない」ことにあると論評。
◇シカゴ・トリビューン紙
「改憲は日本に、より明確な国際的軍事的役割を与える」ことが目的だと伝える。

例によって新聞報道の孫引きです。


    

アジアの一員として日本はどう生きる

2005年11月24日 12時26分28秒 | 教育 
「米国は紛争が起きたときに、地球規模でどこでも先制攻撃でやっつける世界戦略を持っている。日本をその戦略の橋頭堡にしようとしている。」
「しかし、こうした路線は長続きできるものではない」
「ブッシュ政権自身、イラク戦争の行き詰まりから、レームダック(死に体)だ。その路線が続く保証はない。ところが小泉政権にはアジア認識が欠落している。友好の相手として眼中にない。このままでは小泉政権が、東アジア共同体の最大の障害物になってしまう」

とは、ある新聞に載った、広島市立大学広島平和研究所の浅井基文所長の警告である。

浅井基文氏
1941年年愛知県生れ。東京大学法学部中退。外務省入省、中国課長、駐英公使を歴任したのち退官。東京大学教授、明治学院大学教授を経て現職。




紅白よさらば だいっきらい みのもんた

2005年11月19日 08時06分55秒 | 教育 
これでとうとう大晦日のNHK紅白歌合戦からおさらばできます。
最近ホントにつまらないと思いながらつい見てしまうのが悔しかったのですが、今年は司会者がなんと「みのもんた」だという。
NHK何を血迷ったのか。こんなつまらない人物を雇わずとも自前のアナウンサーでいいではないか。
出演料も高いのではないか
こんなことのために受信料を支払わされるのであれば、不払い運動に参加してもよ
い。



     

ジェームス三木『憲法はまだか』 Ⅲ

2005年11月18日 08時22分50秒 | 教育 
 本日のブログ少し長すぎるのですが、どうか読んで下さい。お願いします。ジェームス三木氏『憲法はまだか』の最後の部分です。

 《フランスの思想家ヴォルテールはいった。
 「私は君の意見に反対だ。しかし君が君の意見を言うことを、もし妨げるやつがいたら、私はそいつと命をかけて闘う」
 言論の自由とはそういうものだ。どんなに意見が違っても、相手の言うことはよく聞いて、議論を尽くさなければならない。
 そのことを前提にした上で、最後に筆者自身の『日本国憲法』に対する思いを率直に記しておきたい。
現行憲法を、アメリカの押しつけとする説は、必ずしも間違っていないと思う。マッカーサーの三原則から、民政局のモデル案が作成され、その大半を、日本は呑まされたのである。
 しかし憲法が押しつけならば、民主主義も押しつけと言わねばならない。押しつけだから変えるというなら民主主義はどうなるのか。基本的人権はどうなるのか。
 当時最年少だったベアテ・シロタ・ゴードンは、1999年日本の衆参両議院による憲法調査会に招かれ、「押しつけ論」についてこう述べている。
 「『日本国憲法』は、アメリカの憲法よりずっと優れています。自分の持ち物より、もっといいものを、プレゼントするとき、それを『押しつけ』と言うでしょうか」
 自主憲法を制定するという考えも、立派ではあるが、およそ日本社会における近代システムの中で、自主的につくったものがどれだけあるだろうか。
 明治憲法は、伊藤博文が留学して、ドイツの帝政憲法を、参考にしている。大宝律令だって、中国の法律をまねている。
 漢字は千年以上も前に、中国から渡ってきた。私たちは漢字の名前を持ち、日常的に漢字を書き、漢字言葉をしゃべっている。発音こそ違うが、日本人は中国語をしゃべっているといわれても仕方がない。仏教や儒教の影響はもとより、都のつくり方からファッションに至るまで、中国の真似をしてきた。明治、大正、昭和、平成という年号も中国の古典からとっているのだ。
 自主憲法と言っても、世界の潮流と、かけ離れたものはできないだろう。世界はあらゆる意味でグローバル化した。ヨーロッパ連合(EU)は、共通の憲法をつくろうとしている。私たちはすでに、人類の理想を盛り込んだ『日本国憲法を』持っている。
 現代社会において国家の基本法である憲法は、国家権力の暴走を戒める縄のようなものである。国民が改正を望むならまだしも、権力側にある者が、縄をといてくれというのはいささかうさん臭い。
 筆者は憲法第九条の「戦争の放棄条項」に、心を洗われる。お前よくそこにいたな、がんばってるなと、抱きしめたいくらいだ。
 人間であるからには、誰でも闘争本能があり、征服欲や、名誉欲や、出世欲がある。人類の歴史は殺し合いから始まり、それが集団化して、戦争の歴史になった。
 だが無分別な文明の発達は、空から爆弾を落とすことから、核兵器に至るまで、大量殺戮を可能にした。本格的な戦争をすれば、人類は間違いなく絶滅する。世界はいま崖っぷちに立っているのだ。
 戦争の放棄を宣言し、軍隊を持たないことで、外国の侵略を阻止できると考えるのは、甘いかも知れない。だが理想を持たない人間には生きている価値がない。
 日本は、壮大で崇高な実験国家として、歩み出したのである。この実験を続ける勇気と、軍隊を持って戦争をする勇気と、どっちが尊いかを考えたい。》

 締め括りは、

《日本は第九条のおかげで、一度も戦争を起こしていない。戦争でひとりも外国人を殺していない。これほどの国際貢献がほかにあるだろうか。
 もしもこの記録が百年続いたら、さすがに世界は驚き、称賛の目を日本に向けるだろう。日本は真の勇者として、人類の歴史に、名誉ある地位を残すだろう。
 人はみな、歴史の中継ランナーである。 》

 小説としては、若干感覚的にすぎる文章が目立つが、あえてそこを買いたい。「日本国憲法」への思い入れは同じだ。歴史の中継ランナーとして、このまま次走者に渡したい。




ジェームス三木『憲法はまだか』 Ⅱ

2005年11月17日 08時08分10秒 | 教育 
《昭和二十年(1945)8月15日・・・。
日本の「ボツダム宣言」受諾により、第二次世界大戦は終結した。この戦争で日本は、完膚無きまでに、国土を破壊され、焼き尽くされ、三百万人以上の人命を失った。空襲を受けた東京では約十万人、沖縄の地上戦では軍民合わせて約二十万人、原爆を投下された広島と長崎では、約三十万人が犠牲になった。》

今日の日本は、その反省から出発した。その根拠となるのは「日本国憲法」である。
  


   

ジェームス三木『憲法はまだか』 Ⅰ

2005年11月16日 12時46分35秒 | 教育 
ジェームス三木
小説『憲法はまだか』(角川書店)
冒頭部分
《人はみな歴史の中継ランナーである。祖先から受け継いだ大事なバトンを、子孫に渡さなければならない。私たちはいま、どんなバトンを、次の世代に渡すつもりなのか。
 二〇世紀・・・・。
 人間は空を飛べるようになった。するとたちまち、空から爆弾を落とすことを、誰かが考えついた。なんという浅はかさ、なんという罰当たり、空から爆弾が降ってくるなんて、私たちの祖先の誰が想像しただろう。
 鏡を見よ。自分の目を見よ。私たちの手にいまあるバトンは、大量殺戮に血ぬられている。無分別な軍事力の増強と、ビジネス万能主義は、核兵器、大気汚染、地球温暖化、環境破壊、ダイオキシン、サリン、炭疽菌などを次々に生み落とした。そして索漠とした精神の荒廃・・・。
 二〇世紀の人類は取り返しのつかない罪を犯した。私たちは、祖先に対しても、子孫に対しても、顔向けのできない世代である。土下座しても懺悔しても、汚れきったバトンは隠せない。心を入れ換え、背筋をまっすぐに伸ばし、二十一世紀に向けて、誇らしく渡せるバトンを、いますぐ探さねばならない。
 国家の基本法である憲法もまた、世代から世代へと、引き継がれるバトンである。日本では、明治二十二年に発布された『大日本帝国憲法』が、五十七年後の昭和二十一年に『日本国憲法』変えられた。筆者はいま、この劇的なバトンチェンジが、どんな人々の手で、またどういう状況の中で行われたかを、非力ながら書き始めようとしている。
これも次の世代に渡すバトンの一つとして。》

 と、ここから「大日本帝国憲法」を廃し、現行「日本国憲法」がどう生み出されていったのか、小説として語る。もちろん史実に忠実に。