三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

アネモネ

2008年03月31日 10時15分44秒 | Photo



 アネモネのむらさき濃くて揺らぐなし       水原 秋桜子

 アネモネや戻る寒さも二日ほど          奥田 とみ子

赤に近いむらさきのアネモネです。
露地植えです。配偶者はあまり鉢植えを好みません。
雑草の中に咲いています。
なんというか、濃い春です。



殺せと命じ、死ねと命じたものがいた

2008年03月30日 10時28分24秒 | 平和
一昨日の、「沖縄ノート訴訟」判決はごく当たり前の常識が反映されたものといえる。大江健三郎氏の勝訴を喜ぶ。

人を殺せと命じ、死ねと命じ、大勢の者が死んだ。
しかし、死ねといった覚えはない。勝手に国に殉じて死んだのだという。
百姓が、漁師が、職人が、商いをしていた者が軍人だと言われ、「軍人勅諭」というようなものを与えられ、戦場に連れて行かれ、戦争させられた。この者たちの命など「鴻毛の軽きに等しく」といって虫けらのように死なされた。
もっとも戦争で勇ましく戦ったものはほんの一握り、殆どは物資の補給を絶たれ、餓死していったという。
何が「鴻毛の軽きに等しく」か、家族にとって、愛するものにとって、軍人などではなく日本の市井に生きるものとしては地球より重い価値の命であった。

そういう「戦争」の最もひどい地獄に沖縄の人々はいた。
銃後を守るといって非戦闘員、年寄り、女、子ども、障害を持つものの命ももっと軽く扱われ、死んでいった。

いよいよ戦況が絶望的になると「捕虜になるな」と「生きて虜囚の辱めを受けるな」と手榴弾を渡された。
追いつめられて、手榴弾を爆発させて自決した。
そのときの日本軍の指揮官が「自決を命じた覚えはない」と言ったってそれはないだろう。沖縄の民衆が怒るのは当たり前だ。
しかし、文科省はそういう風に言ってる人がいるので教科書には軍の命令で自決させられたと書くのはよくないと教科書を書き換えさせた。

なぜか、どこかにかつての歴史的事実が明らかにされたくない人々がいる。その圧力を受けて文科省が、日本の政府が歴史を改竄しようとする。
南京事件では「大虐殺はなかった」、「従軍慰安婦問題」では「日本軍が強制した証拠はない」など侵略戦争と日本軍の蛮行を正当化する動きと軌を一にし、集団自決を「美しい殉国死」とまで教科書に書きたかったのだ。

この裁判を原告側で支援してきたのは「新しい歴史教科書つくる会」の藤岡信勝会長が主宰する「自由主義史観研究会」。学者とも言えない権力側に買われた狗というほかない連中だが。
さらには日本の侵略戦争を正当化する「靖国派」と呼ばれる政治家たちである。
憲法を変えて日本を戦争できる国にしたいという人々と合致する。

それにしても、係争中の裁判の一方の側の主張を根拠に教科書の検定意見をつけるという文科省、この愚かさには怒りを通り越して悲しくなってくる。


白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘…

2008年03月28日 08時58分00秒 | Photo


こぶしです。
残念ながらこれはわが山の樹ではありません。
近所のものです。
うちのは樹の高さは5メートルほどもあるのですが、少ししか花をつけません。
剪定ですね。

  白樺 青空 南風
  こぶし咲く あの丘 北国の
  ああ 北国の春
  季節が都会では 分からないだろと
  届いたおふくろの小さな包み
  あの故郷(フルサト)へ帰ろかな 帰ろかな

は、千 昌夫の歌です。
だから北国の樹だと思っていましたが、近ごろは普通に園芸店などに苗が売られています。
すぐ大木になります。



「ニュー甲子園」

2008年03月26日 09時35分07秒 | スポーツ

『毎日新聞』のコラム『発信箱』です。
 
 毎日新聞 2008年3月25日 『発信箱』
「ニュー甲子園」  玉木研二(論説室)
 センバツ開会式で「ニュー甲子園ではつらつとしたプレーを」と声弾ませた中京大中京主将の選手宣誓。その新装(ニュー)で狭くなったファウルグラウンドで球を追い、カメラマン席に飛び込んだ安房の三塁手--。彼らの野球が好きでたまらないという表情が、あの春、祖父の世代に当たる球児にもあったに違いない。
 1947年3月30日。戦争で長く中断していたセンバツが復活し、甲子園球場に大観衆を集めた。敗戦直後の45年秋に球場は米軍に接収され、進駐部隊の施設に改装された。47年初め、やっと接収解除を得、このセンバツが甲子園を野球場としてよみがえらせる。出場はまだ旧制中学の26校。用具も乏しく、食糧を抱え、球場に寝泊まりするような状態だったが、グラウンドでは熱戦が続いた。
 決勝は徳島商と小倉中が対戦。内角ドロップの徳島・蔵本忠温、変幻のミラクル投法の小倉・福島一雄両エースの投げ合いは延長13回に及び、徳島が制した。
 自らも戦前、投手として大活躍し、都市対抗の「小野賞」に名を残す毎日新聞記者・小野三千麿は、その戦評をこう結んだ。「勝つもおごらず、負けるも悔いなき優勝戦にふさわしい延長戦となり、両チームの選手がニコニコとフェアプレーに終始したのに敬意を表するものである」
 球児たちはボールも握れなかった長い冬の時を抜け出、新生甲子園の土と芝に解放されたのだ。「ニコニコ」という表現がまことによい。
 そして今も無心の好プレーに、何世代も継がれてきたその喜びがみなぎっているようだ。時まさに球春である。

 筆者の気持ちはよくわかります。
 マスコミに携わる人々がそのことを忘れないで欲しい。
 プロ化され、商業ベースにのせられ、勝利至上主義に走るいまの風潮を招いた責任の多くは、煽り立てたマスコミにあると思う。
 TV・新聞をはじめとするマスメディアが、初心を忘れないことが大事なんじゃないか。

 


白木蓮

2008年03月24日 09時35分02秒 | Photo



真っ白な木蓮の花びらはなんとも言えない美しさです。
が、いかにも寿命が短いのです。
大輪の厚ぼったい花びらはすぐ薄汚れた感じになります。
夜のライトに照らされるとまた凄い、妖艶とでも言うか。


    大空に木蓮の花のゆらぐかな    高浜 虚子
 
    白木蓮の散るべく風にさからえる  中村 汀女

    木蓮の開くに昨日今日の雨     柏 禎

選抜高校野球開幕 だけど

2008年03月23日 17時24分19秒 | スポーツ
選抜高校野球がはじまった。今年は第80回だそうである。
日本列島大騒動となる。
例によって、新聞ではさまざまなファンだとか、いわゆる識者といわれるような人々が思い入れを語る。
昨日の『毎日新聞』の一面には、
「特待生問題有識者会議」の座長を務めるという堀田力氏が語っている。
曰わく「…高校野球で印象深いのは、攻守交代の全力疾走ですね。プロ野球でダラダラ歩いている姿を見ると興趣をそがれる。勝敗はともかく、全力を挙げて挑戦する姿勢が高校野球の魅力でしょう。云々」。
あれはほんとに全力で走っているのだろうか。
昨日の新聞なのでまだ今年の試合を見てもいないのに堀田さんがこう書くのは作られたイメージをそのまま書いているんだろう。
9回まで戦うとして、外野選手などは約100㍍の距離を18回全力疾走することになる。きついでこれは。
あれは「全力で走っているように見える走り方」で走っている。わりと選手たちを近くで見ることができるところに長くいたのでそう思う。
勝敗はともかくというが、勝敗がすべてではないのか。だからこそ「特待生問題有識者会議」というような高校野球史上初めて、前代未聞、の組織まで作られる。

それと今日の新聞に載った選手宣誓の言葉が気になる。
ずいぶんと耳をこらして聞いていたつもりだが、何を言ってるんだか、ただ吼えているばかり、絶叫しているといってもいいが、なんなんだろうあれは。

「80回の記念すべき大会でプレーできることを誇りに思い、父母や仲間、監督や多くの人に感謝しています。感動を与え、溌剌とプレーすることを誓います」
と言ったそうだ。
感動を与え、なんて、笑わしちゃいけない。
日本中の高校スポーツに毎日命がけで取り組んでいる選手たち、一人として他の人間に感動を与えようなどと思ってプレーするものなどいるものか。
硬式野球をやる者だけだろう。こんなことを言うのは。
この思い上がり。それを許す世間の風潮。
そして「全力で走っているように見える走り方」。

野球という「ゲーム」は好きだけど、高校野球にはもう一つ乗れない所以である。


一国皆私欲世界となりぬ 

2008年03月21日 08時04分53秒 | 堪忍袋

 「衣食足りて礼節を知る」という。
 足るということを知らない。だから、礼節など知るはずもない。際限もない私欲の追求。
 それが今の高級官僚の姿か。財源は税金。
 3月18日の『毎日新聞』の「発信箱」

【  発信箱:万里をおもう=玉木研二(論説室)
 「一国皆私欲世界となりぬれば、勘定も帳面も名のみにて、何の用にも立たぬなり」と警世の書「東潜夫論(とうせんぷろん)」(岩波文庫所収)に記したのは帆足万里(ほあしばんり)である。江戸後期、豊後(大分県)日出(ひじ)の学者。儒学から独学の蘭学まで広く修め、教えた。「一国」とは幕藩体制の役人世界を指す。
 社会保険庁、国土交通省、防衛省と、つい重ねて読みたくなる。確かに、これが机上論や観念的な説教ではないのは、彼自身、ガタガタにむしばまれた日出藩の財政立て直しを命じられ、3年間苦闘したからに違いない。
 その筆鋒(ひっぽう)描くところ、リアルである。例えば、江戸の留守居や大坂蔵屋敷に派遣された者たちの不届きぶり。遊興のために「九十両の払ひには百両と請取をかゝせて十両を私(わたくし)し、八十銭の米は七十九銭と入札させて、千石売れば一貫目の銀を盗む」。町の金貸しからの借金は元利とも踏み倒し、それが手柄になる。
 万里は社会経済の視点から田畑荒廃も憂える。村単位にあるはずの土地台帳「水帳」が現実の変化と一致せぬまま放置され、用をなさない。水帳と実際の田地を引き合わせるチェックを「坪押し」(何だか「名寄せ」を想起させる)というが、長年ほったらかしではままならない。
 「利口になりて、骨折りて利少き事はせず、薪(まき)を売り、日傭(ひやとひ)をとり、米を買つて食ふ方勝手よき」ゆえ辺地のやせた土地は次々に放棄され、人々は城下町へ流れた。
 万里はペリー来航の前に没し、幕末の動乱や新社会を見ることはなかった。だが、その先哲の目、今の世まで見通していたかのようである。
毎日新聞 2008年3月18日 0時04分  】


月給を上げろ 金利水準をマトモな線へ戻せ!

2008年03月19日 10時36分31秒 | 読書

  月給を上げろ 金利水準をマトモな線へ戻せ!
  全く同感である。
 昨日の『毎日新聞』経済欄のコラム「経済観測」から  

「なぜ個人消費が?」
 経済には「合成の誤謬」ということがある。部分では正しい判断であってもトータルとなってみるとその反対の結果が出るというものだ。 企業は利益を出さなければならない。そのためにはコスト圧縮である。人件費も聖域ではないから賃上げの要求はできる限り抵抗する。
 日本の稼ぎ頭トヨタ自動車が1000円、2000円のベースアップに手間どっているのも「儲かっているからアマくすると」という三河スピリットであるが、他の企業からすると「トヨタでさえああなのだから」と財布のヒモも固くなる。
 結果として個人消費は沈滞化し景気は本格的浮揚とはなりにくい。まさかトヨタが日本経済を灰色にしたいと思っているとは考えないし、1台でもクルマを売りたいと努力しているのに決まっているのだが、こと志と反している。
 ゼロ金利もそうだった。企業は債務者だから、金利負担を極限まで下げると決算は楽になる。確かにその通りだったが、金利の受け取り手、個人のフトコロまでは考えが及ばなかった。先進国の国債、定期預金は4、5%が暗黙の水準。
 1300兆円の5%は65兆円である。それが3年、5年とカットされたらどうなるか。
 消費税1、2%で神経質になるのに、このマイナスは大きすぎる。日本の貯蓄者は保守的だから、利息のほとんどつかぬ通帳を後生大事に持っているが、外国ならば直接投機か外貨預金に奔流の如く逃げたであろう。預金者はナメられている。
 それで「景気は本格的な消費回復にはほど遠く、依然として輸出、設備投資が支えている」と。なぜだろう。シラジラしい。月給を上げろ。金利水準をマトモな線へ戻せ。    (三連星)

その通りではないか。
いつまで国民をコケにすれば気がすむ。
我々もその気にならなければ、しまいには殺されるで、ほんま。 

 


杏が満開に

2008年03月18日 16時30分19秒 | Photo


あんずが満開になりました。
落葉果樹の中では、最も好きです。
真紅のつぼみ、ピンクの花。
今年は開花が遅かったようです。
メジロなどが沢山よってきます。
半ば野生化してしまってちゃんとした実をつけません。
毎年、剪定しなければ、肥料をやらなければと思うのですが、ついほったらかし。
実も美味しいのですが。
生食も、ジャムも、あんず酒もいけます。
 



クロッカス 紫・白

2008年03月16日 08時13分28秒 | Photo



かおるちゃん おそくなってごめんね
かおるちゃん おそくなってごめんね
花をさがして いたんだよ
君が好きだった クロッカスの花を
僕はさがして いたんだよ
かおるちゃん おそくなってごめんね
かおるちゃん おそくなってごめんね
君の好きな
花は 花は 花はおそかった

かおるちゃん 君の白いその手に
かおるちゃん 君の白いその手に
花を抱かせて あげようね
君と夢にみた クロッカスの想い出
花を抱かせて あげようね
かおるちゃん おそくなってごめんね
かおるちゃん おそくなってごめんね
君の好きな
花は 花は 花はおそかった

これは歌詞の一部、
昭和42年頃、美樹克彦という歌手が歌ってました。
それほど好きな歌というわけではなかったが、
この花が咲くと思い出します。
いつも初午の頃です。

黄色いクロッカスに続いて、今満開です。
写真は良くないですね。

またもばくち公認の企み

2008年03月15日 09時07分01秒 | 堪忍袋

 またもカジノを合法化しようとする動きがあるようだ。いままで幾度も噂になるが良識の力に押されて立ち消えになってきたが。
 国民からあぶく銭をむしり取ろうという企み。誰が儲けて誰が泣くのか。そのことをよく考えないと。これには絶対にのせられてはいけない。
 そんな企みのお先棒を担ぐのはいつも何処かに飼われている政治家。
 以下『毎日新聞』3月14日付 経済欄コラムより

【 「カジノ合法化反対」
 日本でも法律でカジノを公認させようとする動きが強まっている。
 パチンコの年間売り上げ30兆円強が大幅に減少し、消費者金融に対する規制強化と相まって、ギャンブル業界は厳しい景況感に沈んでいる。
 そのお陰で、家庭崩壊が減り、いかがわしい商売が不振を極めているとか言われる。断片的な情報ではあるが、“堅気”な人間の目から見ると、「世の中は少し良くなった」との感がしないでもない。
 しかし、ギャンブル業界は、起死回生の策に打って出ているようだ。中国のマカオがカジノで一気に活気を取り戻したのを見て、日本にもカジノを取り込もうと動き出している。
 これに、新しいリゾートの活気に押されて客足の落ち込みに悩んでいる温泉地の有志たちが呼応して、政界などに働きかけているとも聞く。
 それあってか、自民党には「カジノ・エンターテイメント検討小委員会」が、民主党には「娯楽産業健全育成研究会」ができて、カジノ合法化への動きが始まっている。
 日本人の倫理観が問われ、この国は何に向かって進むのか。政治家や指導者に、それをハッキリ言えと求められている現時点で、こんな動きが始まっているのは見るに堪えないし、放ってはおけない。
 筆者の結論は、カジノ合法化絶対反対だ。
 日本の将来にとって、カジノがプラスになるかマイナスになるか。自民党と民主党は、カネには目もくれず、冷静に明快に判断してもらいたいものだ。(大三)

毎日新聞 2008年3月14日 (大三) 】

 

 

 


内のチヨが隣のタマを待つ夜かな

2008年03月14日 16時25分24秒 | くらし

気温も高く、暖かい雨である。

   内のチヨが隣のタマを待つ夜かな   子規

正岡子規の句である。
無季の句で紹介されている。
無季であるが、猫の発情期は普通には、遅い冬から春先であろう。
いかにもそういうぬくもりを感じる。
しかし、猫も人間くさくなって年中発情しているようだけど。

こんな俳句もあるんだな。