平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2019年9月8日 生者、死者を問わず、慈しみを惜しまれない神

2020-02-07 23:51:14 | 2019年
ルツ記2章1〜12節
生者、死者を問わず、慈しみを惜しまれない神

 ナオミは、悲しみのなかをモアブ人の嫁ルツを連れてベツレヘムへ戻ってきました。彼女は、挨拶に来た町の女性たちに、自分をナオミ(快い、喜び)などと呼ばないでマラ(苦い、苦しみ)と呼んでくださいと言い、「全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです」、「全能者がわたしを不幸に落とされた」と嘆きました。しかし、だからといって神様はおられないと思うことはせず、また、他の神々を拝むということもしませんでした。彼女は、あくまでも真の神様と格闘し続けていたのです。
 それから、故郷のベツレヘムへ戻ってきても、無一物の彼女たちは、何とかして食べていかなければなりません。そこで、嫁のルツは、「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落穂を拾わせてもらいます」と言って、ある人の畑にでかけていきました。落穂を拾うことは、寡婦たちの権利のようなものでした。律法でも、寡婦と孤児、寄留者たちへの保護が謳われています。そして、彼女の行った畑は、たまたま亡くなった夫エリメレクの一族のボアズが所有する畑でした。たまたまと聖書には書かれていますが、神様のお導きによりということであったのでしょう。
 そのボアズにとって、ルツは、初めて見る人物であり、すぐに目がとまりました。それで、召し使いに、あの女性は何者かと聞きました。召し使いは、ルツの素性を話しました。ボアズは、ルツが自分の親戚筋にあたるナオミの息子の嫁だったことを知りました。ボアズは、他の者の畑に行くには及ばない、自分の畑で落穂拾いをするようにと、ルツに親切にします。ルツが、よそ者の自分に厚意を示すのはどうしてですかと問うと、ボアズは「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」と優しく語りかけるのでした。
 しかしそうでなくても、先ほども申しましたように、既に律法のなかで孤児や寡婦の権利については述べられておりました。申命記10:18「孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる」。申命記14:28「三年目ごとに、その年の収穫物の十分の一を取り分け、町の中に蓄えておき、あなたのうちに嗣業の割り当てのないレビ人や、町のなかにいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさい。そうすれば、あなたの行うすべての手の業について、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう」。
 申命記24:19「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される」。ボアズは、幼い頃から、これらの律法については聞いていたはずです。しかし、律法で書かれている以上にボアズは、ルツが落穂を拾うことで、いろいろと便宜を図ってやりました。それだけでなく、パンを与えたり、炒り麦を与えたりと、それは、とても親切にしてあげました。
 また、若い者に、ルツのために刈り取った束から穂を抜いて落としておくように命じました。そうして、ルツがその日集めた穂を打って取れた大麦は1エファ(23リットル)ほどにもなりました。ルツは、それを背負って町に帰りました。詩編126編の5節から6節の箇所を思い起こします。「涙と共に種を蒔いた人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌を歌いながら帰ってくる」。ナオミのこれまでの人生を思うとき、彼女は、モアブの地で一生懸命種を蒔いたことでしょう。夫エリメレクが死んだあとは、特にそれはつらいつらい生活で、涙と共に種を蒔くといってもいいような毎日だったのではないでしょうか。
 そして、種蒔きのあと、その実りを見ることになるのは、モアブの地ではありませんでした。また、このとき、束ねた穂を背負い、喜びの歌を歌いながら帰ってくるという言葉に相当する内容は、強いて言えば、嫁のルツを伴って帰ってきたということくらいでした。それすらも、モアブをあとにするときのナオミには、お荷物であったかもしれないのです。しかし、今やそのルツが唯一の稼ぎ手となって、ナオミに食物を与え、豊かさへと導いてくれているのでした。
 ナオミが、一体どこで落穂を拾い集めたのかと聞くと、ルツは、ボアズという人の畑だと答えました。そこでナオミは、「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」と言いました。ナオミが故郷へ戻ってきたとき、彼女は神にひどい目に遭わせられた者、不幸にさせられた者であり、それは何の望みもない、死んだ者も同然といった気持ちであったのではないでしょうか。「出て行くときには、満たされていたわたしを主はうつろにして帰らせたのです」、帰って来た当初、そういった気持ちがナオミの心のうちを支配しておりました。
 しかし、今、ナオミは、神様は、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない方なのだといった信仰、確信がよみがえってきたのでした。自分はもう死んだも同然の存在だと思っていたけれども、そうではなかった、神様は、生きている者にも、死んだ者にも、同様に、慈しみを惜しまれない神様だった、そう思えてきたのでした。
 ひょっとしたら、このとき、先に死んだ夫のことや息子たちのことを頭に思い浮かべていたという可能性も否めません。自分やルツがこのように慰められることは、生きている自分たちはもちろん、死んでしまった夫や息子たちにとっても、それは神様のなさるそれは慈しみであるだろうと、捉えられないことはありません。そして、わかったことは、このボアズは、自分の親戚筋で、ナオミの家を絶やさないようにする責任のある1人だったのです。
 ルツは、ボアズが、「うちの刈り入れが全部済むまでは、うちの若者から離れないでいなさい」と言ったことをナオミに伝えました。ナオミは、それを聞いて、「わたしの娘よ、すばらしいことです。よその畑で、だれからもひどい目に遭わされることもないし」と安心しました。当時のことですから、よそ者であるルツが見知らぬ人の畑に行って、ひどい目に遭わせられるといった不安はぬぐい切れなかったと思います。しかし、自分の親戚のあのボアズのところならば、安全だ、とナオミは安心しました。
 ルツは、神様に導かれてボアズの畑に行きました。そこで、たくさんの落穂を拾う恵みに与りました。集めた穂を打って取れた大麦は、1エファ(23リットル)にもなったといいますから、それは、随分な量だったに違いありません。それほどに、彼女は、一生懸命になって落穂を拾い集めたのでした。そして、ルツは、大麦と小麦の刈り入れが終わるまで、ボアズのところで働く女たちのあとについていって、そこで落穂を拾い続けることができたのでした。その間、どれだけの量の落穂を拾い集め、蓄えることができたでしょうか。文字通り、このときのベツレヘムは、ナオミとルツにとって、パンの家になったのでした。
 今日は、敬老の日の礼拝を守っています。私たちの教会の敬老の日対象者は、75歳以上の方々ですが、29名おられます。教会員は、約150名ですから、ざっと5分の一の方々が、いわゆる後期高齢者ということになります。すばらしいですね。ご高齢者がたくさんおられる教会は、それだけ多くの豊かさに溢れています。多くの方々の信仰と長い人生を経て培われた知恵がその教会には集まっております。
 これらの方々の中には、およそ、ナオミと同じような人生を歩んだ方々も少なからずおられるはずであります。あのときには、満たされていたのに、今では、うつろになってしまった、否、あのときには、うつろだったけれども、今は満たされている、そういう方もおられることでしょう。しかし、神様は、「生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない」方なのであります。人生に山あり、谷あり、いい時もあれば、不幸だとしか思われない時もあります。しかし、いずれのときにも、神様が共におられて慈しみをお忘れではないことがわかります。
 誰もが、ナオミの人生をどこかで味わってきているのではないでしょうか。しかし、今日、私たちは、そのナオミを離れずについてきた異邦のモアブ人ルツが、ボアズの畑で多くの落穂を拾った箇所を読みました。彼女は、守られて朝から夕暮れまで、ずっと落穂を拾い続けたのです。そして、気がつけば、その量は、思いもよらない大きなものになっておりました。私たちの人生もそうなのではないでしょうか。
 私たちは、ある意味では、神様の畑で生まれてからずっと落穂を拾い続けることを許されてきたといってよいかもしれません。小さな落穂を一つ一つ、腰をかがめて拾ってきたのです。小さな恵みに対して、腰をかがめ、つまり、感謝して、それを一つ一つ拾います。それは、あたかも神様に対する謙遜な姿勢です。
 そうやって、私たちの人生に起こる一つ一つの出来事、恵みのあれこれを集めてまわります。どこそこに神様の恵みが与えられているのではないか、はじめはわからないけれども、目を凝らしてみると確かにそれは恵み、落穂です、そんな具合で、恵みはほうぼうにあるのではないか、土や藁の間に紛れて、その麦の穂は落ちている、なかには一見それが麦の穂であるとはわからない、そのような恵みを集め続けているのが、私たち信仰者の姿勢なのではないか、そんなふうにも思います。
 拾い集め続けていくと、気がつけばかなり多くの量になっています。23リットルの量ですから、重さではもう20キロを超えるほどでそれを担いで歩いて帰るには大変だったかとも思います。ナオミの嫁のルツは、恵みを一杯背負って、家路についたのです。この落穂ひろいは、実にじみな作業です。根気強く、目を凝らして集めていかないと、小さすぎてわかりません。
 私たちは、今日このとき、自分の幼い頃からのことを思い起こしてみましょう。ご高齢の方々だけでなく、この礼拝に出席しているすべての方々にそのことを御願いしたいと思います。お生まれになったときのことを思い起こしてみてください。そのときのことは、私たちはおぼえていませんが、ご両親から、或いはご兄弟やご近所の方から、お聞きになったことがあるでしょう。
 両親が喜んで、こんな名前をつけてくれたとか、そのなかに麦の穂ほどの恵みがありませんでしたでしょうか。ありましたら、それをまず一つ手の中に握りしめてください。その恵みを捨てることなく、小学生の頃に起こった出来事や普段のようすを思い起こしてください。どのような風景が浮かんできたでしょうか。無邪気に、夕暮れまで友達と遊び回っていた風景、それもまた手の中に納めるのです。中学生以降のそれぞれの学生の時代のなかに、麦の穂と思われるものはなかったでしょうか。友人との出会いとか、真理を求めることのすばらしさだとか、その恵みの麦の穂もまた手の中に納めるのです。
 そして、今に至るそれぞれの時代にはどうでありましたか。そのなかに一粒の恵みの麦の穂は落ちていませんでしょうか。この恵みの穂は、いわゆる良いことばかりとは限りません。悲しいことやつらいことも、ありました。しかし、今にして思えば、それらもまた、輝くばかりの穂だったのだと、見えてこないでしょうか。受験に失敗した、事業に失敗した、仕事がうまくいかなかった、病になった、結婚生活や家族との生活での問題もあったことでしょう。あのときは、ただの殻であって、その中に麦が入っているなどと、とても思えなかったけれど、そうか、あそこにも、麦は入っていたのだと今になって気づくことはないでしょうか。
 ナオミは、どうして再びベツレヘムへ戻ってくることになったのでしょう。どうして、もう頼むから自分の故郷へ帰って欲しいと思っていたルツと一緒に戻ってくることになったのでしょうか。そして、それらのことは、当初は、すべて殻、負と思われたことでしょう。しかし、あれらのすべてが麦の穂だと信じられるときがやってきたのです。
 「生きている人にも、死んだ人にも慈しみを惜しまれない主」、そのような神様の存在を思うことができるようになりました。気づいたとき、思い返した時で間に合います。そのとき、それもまた、恵みの一粒の麦の穂として手の中に納めるのです。
 私たちは、今日のナオミのように、今に至るまで、ボアズの所有でない神様の畑で、人生の麦を拾い続けてまいりました。一粒の麦をも粗末にすることなく大事に保持しながら、さらに一つ、また一つと集め続けてきたのでした。新しい麦の穂が見つかったので、前のものはもういらなくなったということではありません。その麦の穂は、一つ一つが、輝くようなもので、積み重なって、大きな恵みになっていたのです。敬老のこの日、ご高齢の方々も、そして、私たちも、気がつけば、背中に負うこともできないほどに、多くの実りをいただいて、神様の家路につくことになったと、人生を振り返って思うのです。


平良 師

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