平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2019年12月8日 正しい人と正しくない人をつなぐイエス様

2020-03-01 13:07:51 | 2019年
マタイによる福音書1章18節〜25節
正しい人と正しくない人をつなぐイエス様

 正しい人とはどのような人のことを言うのでしょうか。当時は、宗教的な規範だけでなく、生活規範ともなっていた律法を守る人のことでした。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」とあります。「正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず」とは、どういうことだったのでしょうか。
 つまり、この正しい人は、マリアが妊娠したことが表ざたになる前に、ひそかに縁を切っておこうと考えたということです。ヨセフは、マリアが妊娠したことが発覚したとしても、自分とは関係のないことだと言えることになります。もうかかわりたくない、というのが本音だったようです。
 彼は、正しい人であったので、正しくない人とはかかわりを持ちたくなかったというのが、正直な思いであったでしょう。マリアは自分を裏切った正しくない人、自分以外の人間との間に子供をもうけた不埒な女性、姦淫を犯した罪ある女性との烙印をヨセフも押したのではないでしょうか。ヨセフは、初め、マリアを信じることをしませんでした。
 マリアが、妊娠したことがわかったとき、ヨセフは、人伝えにそのことを知ったか、そのことの説明をマリアから聞いた可能性もあると思いますが、彼は、それでも、マリアの言うことを信じることができませんでした。当然、そこには怒りもあったと思います。
 クリスマスの物語を時系列に考えようとしたときに、これについては、マタイとルカの二つの福音書に記されているお話がありますから、これらのお話を合体する形で、普通は、クリスマスの物語は、私たちのイメージのなかにあります。このとき、マリアが妊娠していることが発覚したというのですから、それは、あのガブリエルの受胎告知のあとということになります。
 ヨセフは、マリアの妊娠がわかったとき、ひそかに縁を切ろうと考えたのでした。ひそかに縁を切る方法は、離縁状を渡したことを証しする二人の証人がいればよかったのです。このような手続きをとれば婚約破棄が正式に許される時代でした。そうすれば、表ざたにせずに済むのでした。それでは、ひそかに縁が切れるということのメリットは、どこにあったのでしょうか。自分の名誉があからさまに地に落ちることはないということがあったかもしれません。うやむやとなりうわさ程度で話は落ち着くかもしれないのです。ヨセフが正しい人であったというとき、それは、穢れを自分の身に帯びないようにすることであったと言えるでしょうか。
 しかし、このとき、ひそかに縁を切るという方法をとったとしても、マリアの立場やこれから起こるであろう彼女の身の上のことについては、深く考えていたということにはなりませんでした。マリアが、いろいろな世のそしりから免れるためには、ヨセフと結婚をするということ以外に道はありませんでした。そうでなければ、生まれてくる子どもは、誰の子かということになり、やはり、姦淫の罪を犯したというレッテルが貼られることになったでしょう。
 ファリサイ派の人々のように、自分のことを正しい人と考えている人ほど、困るということはありますね。総体として、自分はいつもこれこれのことを守り、やっているから他の人よりも正しいよい人間だと思っているという意味です。似たようなことで言うと、人は意見を述べるときには自分が正しいと考えて言うわけですが、あまり他人の意見を理解しようと言う努力が足りないと、これは私自身の反省もこめて言っているのですが、ちょっと困るということもありますね。
 むしろ、救いという点では、自分は悪い人間で、どうしようもないと考えている人の方がまだましかもしれませんし、救いようがあるでしょう。放蕩息子のたとえ話を私たちは、知っています。そこに描かれている正しい兄と放蕩息子と呼ばれるダメな弟と、どちらが神様に喜ばれているのでしょうか。もちろん、放蕩息子は悔い改めて父親のところに戻ってきましたので、喜ばれたというのはあるのですが、あのたとえ話の後半部分は、罪を悔い改めて戻ってきた弟のことを喜ぶことのできない残念な兄の態度について言及しております。正しい人は、正しくない人を受け入れていくのが難しいのです。正しい人は、正しくない人にレッテルを貼りたがるのです。ファリサイ派の人々や律法学者の人々がそうでした。
 しかし、聖書に描かれているイエス様は、正しい人よりも正しくない人々と食事をしている風景がより多く描かれています。それは、なぜなのでしょうか。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためであると言われました。ですから、イエス様は極力、彼らとの交わりを大切にし、正しいユダヤ人たちには考えることもできなかったでしょうが、いわゆる罪ある者たちと共に食事もされました。
 私たちは、これこれをしなければ正しい人とは言えないという範疇を大事にしながら暮らしている正しい人、一般社会のなかにある道徳、倫理的な意味で、ということで言えば、正しい人のときもあれば、正しくない人のときもある、いつもいつも正しい人ではいられない、それが、生身の私たちの姿です。もちろん信仰的にこれこれこうした生き方が、神様の喜ばれる生き方ですよとわかっていても、できるときとできないときがあります。
 とにかく、この人は正しい人、この人は正しくない人とレッテルを貼ることを平然としていたのが、ファリサイ派や律法学者たちでした。この人は正しい人、この人は正しくない人、そこにおいて、この人は救いに与れる人、神の国に行ける人、この人は救いからもれた人、そういう具合にレッテルを貼ります。しかし、この人は正しい人、この人は正しくない人、そういう人は誰もおりません。ときに正しく、ときに正しくない人がいるだけです。そういった意味においても、すべての者が罪人です。
 ここでのヨセフは、正しい人の冷たさを感じさせます。逆に、もっと怒って、法廷でもどこでも訴えることをした方が人間らしく思われます。しかし、当時は、それをすれば一発で、姦淫の罪の汚名を着せられることにマリアはなりますから、それもまたできなかったのかもしれません。そこには、わずかばかりのヨセフの優しさがあったという見方もできないことはありません。
 あるいは、再三述べているように、このような女性を妻に迎えようとしていたのかと、正しい人の誇りを傷つけられたくないというヨセフの思いもあったかもしれません。いずれにしても、その場はひそかに縁を切るということでヨセフは、やりすごせたかもしれませんが、マリアの方は、出産のときを迎えることになれば、マリアは窮地に立たされ、最悪の場合は、姦淫の罪を着せられ、石打ちの刑に処せられることもあったでしょう。ヨセフは、そこまでのことを考え、マリアのことを思いやることはできませんでした。
 このようにひそかに縁を切ろうと考えていたときに、天使が夢の中で現れます。そして、「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」。ヨセフは、このみ告げを聞いて、これらの事柄を受け入れていきます。そして、マリアを妻として受け入れます。また、生まれてきた子供にイエスと名付けました。名前をつけるという行為は、この子は自分の子供ですという、認知する行為でもありました。
 ヨセフは、イエス様を神様から託された子ども、聖霊によって与えられた子供として認めたのでした。ここでヨセフが、自分の正しさを貫こうとしたならば、このことはなりませんでした。その正しさは、マリアの存在をすら危うくすることにもなりかねませんでした。正しさが完了するとき、一方において、悪の存在が明確にされ、抹殺されることもまたあるのだと知らされます。
 さて、水曜日の日に、私たちのバプテストの一人であった中村哲さんが、何者かに、アフガニスタンの奉仕されているところで、銃撃され、一時は命に別状はないとのニュースが流れましたが、しばらくして、亡くなったという知らせに変り、私たちは、大きな衝撃と悲しみに包まれました。
 私が、西南学院中学校の教員をしていた頃、あれはこれから神学部に学士入学をしようと考えていると校長室で、校長と話をしていたときのことでした。ちょうど中村さんが校長室を訪れて、これからパキスタンのペシャワールというところで医療にあたるというので、ご挨拶に訪れて、そこでお会いして、校長から紹介をいただいたことがありました。
 中村さんも西南学院中学校の卒業生でした。私は、改めて、中村さんがなさったお仕事をいろいろと考えてみました。中村さんの死は、殉教といってもいいのではないでしょうか。ストレートにイエス・キリストを述べ伝えるということこそ、されませんでしたが、その後ろ姿は、まさに、キリストの弟子としてのそれではなかったのかと思われて、仕方ありません。
 中村さんは、あちらはイスラム社会ですので、その社会のなかになじむところから始めたと思います。異邦人には、異邦人のようになったといった具合ですね。しかし、彼が目指したのは、ペシャワール、あるいは、隣接のアフガニスタンの人々の暮らしが少しでも豊かになること、安定することです。医療をされているなかで、健康を考えると飲料水を確保することが先決だと考え、井戸を何カ所も掘られました。また、荒涼たる荒地を農地に変えられたら人々の暮らしもよくなるのではと考え、灌漑用水路建設に着手されました。
 そして、今や、荒涼たる土地だったところが、緑地となり、立派な畑が広がっております。そのやり方も、地元の人々の雇用の場につながるようなやり方で、建設作業も行い、このやり方であれば、いつでも現地の人々の力だけで補修でき、長く成り立っていくといった方法でことを成していったのでした。今では、毎年、確実に穀物が育ち、収穫ができるといったところにまでなりました。
 おそらく、中村さんは、多くのことをアフガニスタンの国の事情やそこに住む人々に合わせて、行ったと思います。あちらの事情を十分に考慮しながら、医療でも、井戸掘りでも、灌漑用水路工事でも、行ったことでしょう。だからこそ、あちらの人々から愛され、信頼されたのだと思います。徹底して、アフガニスタンの人々の暮らしや文化やすべてのことをあちらに合わせ、敬意を払いながら、事を成していかれたと思います。そのありようは、イエス様のありように近いものがあったのではないか、と私は思うのです。
 つまり、中村さんは、自分の正しさを貫こうとはされなかったと思うのです。中村さんは、キリスト者でありましたから、ちなみにペシャワールに行かれるときには香住ケ丘教会の会員であられました、ですから、当初は、イスラムのいろいろな文化や考え方など、受け入れがたいものもあったのでしょうが、何が一番、彼らのためになるのかを考えられて活動されていかれたのでしょう。
 結局、中村さんは、アフガニスタンでは外国人でありながら、名誉市民権をもらうまでに至りました。多くの方々から尊敬され、愛されました。国内外からも多くの賞を得ております。なんと、イスラム教の礼拝堂であるモスクの建設、また、イスラム教の教育機関(神学校)まで、市民の要望に応じて造られたことがありました。しかし、中村さんは、徹底した平和主義者であり、憲法9条のない国は、日本ではないとまで言われておりました。
 イエス様が、どのような人々と交わりをもたれ、食事を共にされていかれたか、私たちは聖書から知らされています。当時としては、いわゆる正しくない人々でした。つまり、律法という枠のなかでは生きていない人々でした。律法を守ることをしなかった、なかには、生活に追われて、それができないという人々もいたことでしょう。
 律法を守って生きていた正しい人々の中には、そうしない、そうできない人々に罪人というレッテルを貼り、救いからもれた罪ある者たちだと、蔑む者たちも少なからずおりました。ヨセフが、正しい人としてのありようを貫こうとすれば、結局、マリアに姦淫の罪を背負わしたり、マリアを石打刑においやったりということになったでしょう。正しい者同士が戦うのが戦争です。双方に、自分の方に義があると主張して、戦争は行われます。正しい者が、敵対する者を殺す、これが戦争です。正しい者が、人を死に追いやることは少なからずあるということです。
 イエス様は、救いからもれたと言われている人々と寄り添い、彼らに神の国を語っていかれました。それは、当時としてはいわゆる正しい人としての在り方ではありませんでした。しかし、抑圧され、貧しくさせられていた人々にとっては、イエス様の存在は、大きな励ましとなり、解放へとつながり、希望であり、とてもありがたいものであったに違いありません。
 中村さんが、そこまで自由であったのは、誠に、イエス様に出会わされていたからだと思います。あちらの人々の気持ちに寄り添いながら、彼らの幸せを念頭において、医療をはじめ、井戸掘りや灌漑用水路建設などまで、なすべきことをされたのでした。中村さんもキリスト者としての枠に留まることなく、真実には留まったと思いますが、キリスト者としての形にこだわるのではなく、彼らの欲するものを幸せにつながるようにして、与えられたのでした。
 ヨセフとマリアに共通して与えられたのものは、御使いからのメッセージでありました。それぞれの心の障壁を乗り越えることのできるメッセージでした。恐れるな、神様が共におられる、イエス(神は救い)という名前をつけなさい、これらは二人に共通して与えられたメッセージでした。二人がそれぞれのもっていた正しさを超えることのできたメッセージでもあったかと思います。私たちは、他者と本気で生きようとするならば、自分のそれまでのいわゆる正しさを捨てる必要があるかもしれないのです。


平良憲誠 主任牧師

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