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迷歩録   どらふと

2017-10-26 06:40:22 | 日記
  足震え  靴下はいて  夜明けかな  庭で見上げる  晩秋の空



                                  <strong>ひのひら  ろくべえ





     今日は多くの野球ファンが見守る、プロ野球ドラフト会議の日、注目選手がどの球団に行くのか気になることである。

    高校野球で活躍し全国的に有名になった選手などは特に気になる所である。

     そもそも「どらふと」とは、図案、草案、草稿、為替手形、徴兵、などを意味する言葉だそうな、それでも球団の案に

    ふさわしい選手をくじによって獲得する一方的な制度が、プロ野球のドラフト会議ではないだろうか。過去にも様々な問

    題を引き起こしたことは記憶にあるのではないだろうか。

     プロ野球球団という企業側の論理だけで、くじを行い、一人の青年の人生を決めてしまう制度が本当に人間尊重を考慮

    した制度なのだろうか。疑問を持たざる負えない。本人の意思を反映したドラフト会議というものに改革できないものであ

    ろうか。不運と幸運の差が激しすぎるくじ引きではなく、球団と本人が納得できる交渉となるような会議というものを模

    索するのも大切なのではないだろうか。

     プロ野球の更なる発展を願うとするならば、企業側の論理だけではなく、選手側の論理も考慮した、プロ野球であって

    ほしい、そうなるのは社会の先端として人権を最大限尊重したドラフト会議であることを一プロ野球ファンとして願うば

    かりである。

     まだまだ日本は企業側有利の採用方法を行っている。就職というものは、企業と個人の話し合いで、採用については雇

    用契約であることを国民も今以上に知る必要があるのではないだろうか。

     常に採用する側も採用される側も対等な立場で話し合い、同じ目標を達成するために、どのような役割を期待し、どの

    ようにそのことに応えるかなどの詳細を明確にしての雇用契約ということが理想である。企業も勿論であるが労働者も契

    約関係という事を、意識して行動しなければならないのではないだろうか。

     プロ野球のドラフト会議制度というものが、社会に与える影響を考えた上で発展させる責任が、プロ野球界にもあるの

    ではないだろうか。ドラフト会議を楽しみにしてる一野球ファンからの提言

迷歩録   けんきょ

2017-10-25 11:11:23 | 日記
 <strong> 寒さ来て  炬燵恋しいや  山の郷  冬越準備  急ぎ足かな



                                 <strong>ひのひら  ろくべえ





    晩秋の台風の中の選挙で勝利した自民党議員はやたらと「けんきょ」を連発して、勝利をひた隠しにしている。

   「けんきょ」(謙虚)を漢字辞典で調べてみると、謙はへりくだる、こころよくする、でしゃばらない、ゆずる

   などの意味があり、虚にはむなしい、いつわり、うつろと言った意味があるらしい。謙虚とは控えめで素直な事

   (広辞苑)とある。この言葉を盛んに使うということは今まではそうでなかったということなのであろう。

   いくら綺麗な言葉を並べてみても、問題は言葉の問題ではなく、その言葉を使っている人物の基本的な姿勢や考

  え方が見え透いているという事に気づかなければならないのではないだろうか。

    謙虚な姿勢になるというのであれば、その言葉を理解し態度で表すしか国民には伝わらないのである。記者会

  見や、講演会場などでの態度、上から目線の言葉、そのような姿勢をとってる限り「けんきょ」とは程遠いことと

  なる。言葉巧みに人気を博したり、人を騙す行為を詐欺という。このような人を支配する人に謙虚などと発言する

  人が多いことに気づきたいものである。

   対人援助職は、読んで字のごとく人を相手にした仕事である。その仕事の中で謙虚さを無くしてしまうとクライ

  アントからの信頼を得ることはできない、つまり失業といことになる。政治家はそのような事はない、言葉を使い

  捨て、姿勢など関係ないその場その時で使い分けている。排除の言葉を発した政治家も、言葉の使い方と記者会見

  で発言したが、言葉の使い方ではなく、使った人の考え方、姿勢というものを国民は捕らえたのであろう。

   謙虚という言葉を広辞苑で調べて、自分たちの態度を改めてほしいものである。

迷歩録   ぬきさし

2017-10-24 07:14:32 | 日記
   <strong>そよ風や  柿のみ揺らす  夜明けかな  寒さ襲いて  動きや鈍る


                                    <strong>ひのひら  ろくべえ




     選挙で自民党が勝利を収めた、森友学園問題、加計学園問題、憲法改正問題、様々な問題を抱えたままの勝利

    である。勝利をしたことで、前に進むしかない状況を国民は与えた。その状況は「ぬきさし」ならぬ状況をつく

    ったということでもある。

     ひたすら憲法改正に向かうしかない「ぬきさし」ならぬ状況ということである。ということは憲法改悪という

    方向に突き進むことが明らかになったということではないだろうか。いくら記者会見で真摯にとか、丁寧にとか

    言う言葉を並べてみても、その言葉の裏には「ぬきさし」ならぬ心理が働いているのではないだろうか。

     小池東京都知事の造反によって、自民党勝利に導き自民党を助けた、恩を売った東京都知事の国民を愚弄した

    行動に気づいている国民も多いのではないだろうか。綺麗な言葉の裏には必ず刺がある。この刺に引っかかると

    「ぬきさし」ならぬ状況に追い込まれる。

     人間関係も同様のことが言えるのではないだろうか。コミュニケーションの導入時に言葉が浮いて、近寄って

    くる関係は後々に破綻する関係が多い傾向にある。そのことも「ぬきさし」ならぬ関係をつくり、獲物かしょう

    とする意図があるのではないだろうか。

     クライアントの関係はこのような関係を築いてはならない、つまり最初から最後までヒフティ、ヒフティの関

    係を築き、その中での信頼関係というものを目標としなければならないのではないだろうか。

     政治の世界は、駆け引きとしての人間関係だが、対人援助の場の人間関係は信頼という言葉だけを目指す人間

    関係なのではないだろうか。

     この違いを間違うと、とんでもない人物評価となるばかりでなく、対人援助活動そのものを不可能としかねな

    いことになる。人間関係は「ぬきさし」にならないように注意をしながら信頼関係を構築することを目指したい

    ものである。

迷歩録   しんぱん

2017-10-23 07:15:21 | 日記
  久方の  青空高く  澄み渡る  高隈の郷  台風一過や


                               ひのひら  ろくべえ>




    審判と聞くと、中立で倫理観高く、間違った判定はしないというイメージが強いのではないだろうか。

   昨日、日本の国会への審判が国民によって行われた。結果は多くの人が知っているように、保守の圧倒的

   勝利という結果となった。

    しかしこの結果が国民が求める結果なのかというと、そうでもない部分があるのではないだろうか。国

   民が、審判をしたのだからと、今まで以上に驕りと傲慢が表面化することにもなりかねない自民党、危険

   な状況であるあことは変わりない。

    国民はさらなる厳しい目で審判を続ける必要があるのではないだろうか。憲法を数の論理で改正し、防
 
   衛隊とする、自衛隊法改正、消費税の更なる導入、今以上に国民が置き去りにならないように願いたいも

   のである。

    審判という立場は、その時その場で違ってくるが、日常的に審判という行為を行っている自分という者

   を、見つめてみるのも勉強になることではないだろうか。

    人間関係の中で、このような審判を一日の中でどのくらい行っているか、関係性の強い家族の判断から

   職場、あるいは公共的制度、様々な所で審判という判断をしながら人間は日常生活を送っている。その行

   為、判断が、他者に対する影響は絶大なのではないだろうか。

    その多くが好きという審判と嫌いという審判は、明暗を分けることにもなる。あるいは審判しない無視

   という判断は、絶望を与えてしまう。このように「しんぱん」というものは、人間関係の根底に流れる、

   繋がりを断ち切ったり、あるいは強い繋がりにする力を持っているのである。

    今回の国民の審判は、後々に後悔という言葉を強調することにもなるのかもしれない。
    

迷歩録   あきあらし

2017-10-21 07:33:32 | 日記
            あきあらし




       南の海で生まれた嵐が

       今、向かっている晩秋の日本

       秋の実り

       柿、梨、みかんなどを

       ふるい落として

       実りを台無しにしてしまう

       秋嵐

       海、山、大荒れとなる

       人々はなすすべがない

       これが自然と思い知らされる

       秋嵐

       ただただ静かに通りすぎるのを待つのみ

       何事もないことを祈りながら

       肯定するしかない

       これがコミュニケーションの基本

       どのように出会い

       どのような関係の中で

       自分をつくっていくのか

       秋嵐は教えてくれる

       待つこと重要性と肯定からの出発を

       秋嵐

       静かにお通り下さい

       逆らうことは何もしません

       早くに通り過ぎてください

       秋嵐様、