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迷歩録   しんぱん

2017-10-23 07:15:21 | 日記
  久方の  青空高く  澄み渡る  高隈の郷  台風一過や


                               ひのひら  ろくべえ>




    審判と聞くと、中立で倫理観高く、間違った判定はしないというイメージが強いのではないだろうか。

   昨日、日本の国会への審判が国民によって行われた。結果は多くの人が知っているように、保守の圧倒的

   勝利という結果となった。

    しかしこの結果が国民が求める結果なのかというと、そうでもない部分があるのではないだろうか。国

   民が、審判をしたのだからと、今まで以上に驕りと傲慢が表面化することにもなりかねない自民党、危険

   な状況であるあことは変わりない。

    国民はさらなる厳しい目で審判を続ける必要があるのではないだろうか。憲法を数の論理で改正し、防
 
   衛隊とする、自衛隊法改正、消費税の更なる導入、今以上に国民が置き去りにならないように願いたいも

   のである。

    審判という立場は、その時その場で違ってくるが、日常的に審判という行為を行っている自分という者

   を、見つめてみるのも勉強になることではないだろうか。

    人間関係の中で、このような審判を一日の中でどのくらい行っているか、関係性の強い家族の判断から

   職場、あるいは公共的制度、様々な所で審判という判断をしながら人間は日常生活を送っている。その行

   為、判断が、他者に対する影響は絶大なのではないだろうか。

    その多くが好きという審判と嫌いという審判は、明暗を分けることにもなる。あるいは審判しない無視

   という判断は、絶望を与えてしまう。このように「しんぱん」というものは、人間関係の根底に流れる、

   繋がりを断ち切ったり、あるいは強い繋がりにする力を持っているのである。

    今回の国民の審判は、後々に後悔という言葉を強調することにもなるのかもしれない。