明け方の 爽やか気温 二度寝かな 秋の足音 近づきにけり
ひのひら ろくべえ
「ふらあい」と言うと、人間同士を思い浮かべることが多いが、人間は人間だけではなく、様々なものと
「ふれあい」ながら生きている。人間にとって都合いいもの、都合の悪いものどうでもいいもの、まさにい
ろいろである。取り分け都合のいいものは、それほど不快感を感じないが、都合の悪いものは不快感極ま
りない、その代表的なものが、昆虫類ではないだろうか。朝方や夕方に畑に行くと、すぐさま寄ってくる
のは、虻と蚊など極小昆虫である。顔の周りを羽音たてながら、飛び回る、飛び回るだけではない、肌露
出部分に刺す、嚙みつくを繰り返す。自分と大きさだけを比べれば、比べようもないぐらい小さい、それ
でも不快を与えるパワーは、自分より何倍も凄い、しかしこの不快な小昆虫であろうと、触れ合いながら
生きているのである。彼らは不快を与えようと活動しているのでなく、生きるために必要な行動をとって
いるだけなのである。
触れ合うとは、自分にとって都合の良いことばかりではないが、それでも触れ合いながら生きて行かな
ければならないのである。
昨日は台風が通り過ぎて行った、この台風とも触れ合いながら生きて行くことが必要な事、人間のご都
合主義だけでは割り切れないことが、この地球上には起きるのである。人間同士の恋愛もまた同じこと、
割り切れる恋愛もあれば、割り切れない恋愛もある。不合理であっても触れ合う事の大切な関係もある。
そのことを理解した上でも触れ合いこそが、大人のふれあいなのではないだろうか。
触れ合う事は自分中心ではなく、相手中心なのである。相手があってこその自分ではないだろうか。
来るもの拒まず、去る者追わず、一時の「ふれあい」を充実させる関係を構築したいものである。
ひのひら ろくべえ
「ふらあい」と言うと、人間同士を思い浮かべることが多いが、人間は人間だけではなく、様々なものと
「ふれあい」ながら生きている。人間にとって都合いいもの、都合の悪いものどうでもいいもの、まさにい
ろいろである。取り分け都合のいいものは、それほど不快感を感じないが、都合の悪いものは不快感極ま
りない、その代表的なものが、昆虫類ではないだろうか。朝方や夕方に畑に行くと、すぐさま寄ってくる
のは、虻と蚊など極小昆虫である。顔の周りを羽音たてながら、飛び回る、飛び回るだけではない、肌露
出部分に刺す、嚙みつくを繰り返す。自分と大きさだけを比べれば、比べようもないぐらい小さい、それ
でも不快を与えるパワーは、自分より何倍も凄い、しかしこの不快な小昆虫であろうと、触れ合いながら
生きているのである。彼らは不快を与えようと活動しているのでなく、生きるために必要な行動をとって
いるだけなのである。
触れ合うとは、自分にとって都合の良いことばかりではないが、それでも触れ合いながら生きて行かな
ければならないのである。
昨日は台風が通り過ぎて行った、この台風とも触れ合いながら生きて行くことが必要な事、人間のご都
合主義だけでは割り切れないことが、この地球上には起きるのである。人間同士の恋愛もまた同じこと、
割り切れる恋愛もあれば、割り切れない恋愛もある。不合理であっても触れ合う事の大切な関係もある。
そのことを理解した上でも触れ合いこそが、大人のふれあいなのではないだろうか。
触れ合う事は自分中心ではなく、相手中心なのである。相手があってこその自分ではないだろうか。
来るもの拒まず、去る者追わず、一時の「ふれあい」を充実させる関係を構築したいものである。