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迷歩録   きょうせい

2016-09-21 14:27:45 | 日記
  夏終わり  つくつくぼうし  告げるかな  秋雨前線  留まり過ごす

                               ひのひら  ろくべえ


   「きょうせい」という言葉はひらがなでは、なかなか通じることが難しい言葉である。しかし漢字にすると一目瞭然

   すぐに伝わる。日本語の難しい一面であろう。広辞苑で「きょうせい」を引いてみると、共生、強制、矯正、共成、

   強勢、共棲、強盛など13もの漢字が示されている。そこで対人援助に関係が深い「きょうせい」は、共生と矯正では

   ないだろうか。福祉の場では共生を目標として援助というものを考えるが、医療の場では主に矯正を考えることが多

   いのではないだろうか。

    福祉の世界も、医療に強く影響を受けている施設と福祉そのものを追求している施設とでは「きょうせい」の捉え

   方も違うのではないだろうか。それ故一概には言えないが「きょうせい」という言葉をどのように捉えているかで、

   その施設のレベルを測ることもできるのではないだろうか。

    「きょうせい」医療の場では矯正(欠点を直し、正しくすること)が大手を振ってまかり通っているのではない

   だろうか、教育の現場もそうかもしれない。この価値観が大きな問題を引き起こすことにもなる。

    科学的思考が主流の今の時代特に科学的矯正という事が医療援助だと勘違いしている対人援助者が多いのではな

   いだろうか。自分たちの価値観、知識の押しつけをしていることには気づかず、根拠を持って援助している、その

   援助が通じていないので、援助者がくたくたになっている。そんな光景見たことはないだろうか?

    科学的でなくてもその人の気持ちいい、つまり快感に届く援助というものを模索する姿勢にかけているのではな

   いだろうか。先日もこのような相談を受けた、認知症の患者さんが、人といる時は機嫌がいいが、家族といると、

   我儘を言う。どう指導したら良いかという相談であった。私はまず、我儘という言葉の捉え方を聴いた、すると援

   助者はその日に思い付いた買い物に行きたいとか、映画に行きたいなどを要求するという話であった。よく考える

   ようにアドバイスした。我儘と捉えているクライアントの要求は、援助者にとっては我儘だけど、本人にとっては

   満たしたい要求なのではないだろうか。そうであれば何とか満たす方法を考え模索するのが援助者の行動規範では

   ないだろうか。それなのに援助者の都合で我儘だの要求ができないことばかり、などと否定的にかかわっていない

   だろうか、その点から点検するようアドバイスした。

    援助者の気持ちも解らないではないが、援助という捉え方が矯正ということであれば、どうしてもならないこと

   の方が多いのが援助である。矯正を考えるよりは、共生を考えた援助を考えてほしいものである。強制や強勢、強

   請であってはならない。共生、共成、協成、協生、共棲であってほしいものである。