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迷歩録   曼珠沙華

2016-09-25 14:43:50 | 日記
            彼岸花





       暑さ寒さも彼岸までと言うが

       今年はまだ暑さが続いている

       紅く染まった、曼珠沙華は稲穂の周りを取りか組む

       曼珠沙華もこの頃は一色ではなさそうだ

       庭には黄色だったり、桃色だったり、真っ白の花が

       咲いている。

       紅い花なら曼珠沙華という歌も

       時の移り変わりで変化しなければ

       植物学的には、同種なのか別物なのか

       どちらでもいい、そこに咲いてる花

       それを美しいと感じればいいのだ

       今年も咲いた曼珠沙華

迷歩録   ふせい

2016-09-23 13:48:57 | 日記
  柿熟れて  鱗きらきら  空高く  案山子見つめる  中秋の空

                             ひのひら  ろくべえ



    今、地方議会で政務活動費の問題が、話題となっている。富山県、富山市、山形県、など

   あちこちの地方議員さんが、不正請求をして遊行費や、プライベート費用に流用していたと

   いう問題である。この不正請求は地方議員だけではなく、国会議員など政治家だけの話では

   なく、様々な業種にわたることを国民はもっと知らないといけないのではないだろうか。

    例えば高騰を続けている医療費、足らない足らないと国民に負担をかけて、保険料を値上

   げを繰り返しているが、支払いの方は明確にされず、厳しくしています、チェックもしてま

   すと言うが、何故医療費の高騰が続くのかその本質には触れないままに、国民負担を増やし

   ていく、高学歴職業だから不正はないなどの性善説に縛られたものなのか、業界の政治性が

   強いのか、不正請求などはないのか、国民の目を厳しくする必要があるのではないだろうか

    つまり、不正というものは、不正をしているものが自覚をしていることは少ない、歴史的

   経過の中で当たり前になっていることの中に、不正はあるのではないだろうか?

    業界の当たり前は、社会的には不正であることもある。ゼネコンの談合システムなどもそ

   の一つであろうが、様々な業界に日本の不正は浸透しているのではないだろうか。業界チェ

   ックはななの関係で働かない日本、戦前から続く、お上はいつも正しいという発想、言

   っても何ともならないという発想が蔓延している。民主主義になってまだまだ新しい日本、

   その主役は国民一人一人なのだから、あらゆる業種、特に税金を活用する、補助金や健康保

   険、介護保険に代表されるお金の使われ方は点検が必要なのではないだろうか。

    市民の代表である議員が行うべきことだが、日本の議員はその役割を果たさないことが多

   いのであろう。

    この不正というのは、自分は気づかないがその片棒を担でいることもある。特に対人援助

   の場にいる者は、自分の職場はどうなのか点検して、職場内不正撲滅を行わなければ、日本

   から不正はなくならないのではないだろうか。行きつく先は財政赤字で、国ごと破たんをし

   てしまう。ギリシャなどと同じことが日本で起きてしまうという事である。税金や国民負担

   の費用に頼っている業種は特に注意が必要ではないだろうか。

    経済性だけではないが、経済性が大切なことは火を見るより明らか、だからこそ国民の目

   を厳しくして、不正を無くす方向を持たないければいけないのであろう。それはだれかがし

   てくれることではなく、一人一人が厳しい目を持って、選挙の時に判断するという事ではな

   いだろうか?不正は身近な問題、今日も傍で起きてる可能性もある。知らず知らずに不

   正の片棒を担いでいたなどと言う事にならないよう注意したいものである。
   

迷歩録   はげまし

2016-09-22 15:49:31 | 日記
  黄金色  広がる野里  道行かば  虫たちの声  行進曲や


                             ひのひら  ろくべえ


    スポーツの世界で、指導者という立場にある監督やコーチ達の励ましの言葉が気になる。特に監督ともなると

   試合中に罵倒するような言葉を使う。ある意味そのことが当たり前のようになっている。昨日もある番組を見て

   いたら弱小チームを、日本一に導く名物監督を特集してる番組を見ていると、試合中にもかかわらず選手の高校

   生を、馬鹿呼ばわり、励ますつもりだろうが、やる気を削ぐことに、もなるのではないだろうか。案の定そチーム

   は日本一にはなれなかった。決勝戦で負けてしまった。

    励ますことは罵倒する事とは違うのではないだろうか。勿論監督と選手という関係性があっても、人間と人間

   の関係には変わりない。その監督に指導受けた者が指導者になった時、同じような指導方法をとる、指導の連鎖

   といういうものが起きてしまう。

    世界に通じる指導やコーチというものは、言葉の使いようも大切ではないだろうか。特に日本語は言葉に幅が

   ある。捉え方が違う場合が多い。そのことを考慮した使い方が必要なのではないだろうか。

    さらには励ましに「がんばれ」「頑張れ」の一辺倒の人もいる。頑張れという励ましは。混乱を引き起こすこ

   ともある。まな板の上の鯉に頑張れと励ますような声掛けをしたり、目いっぱい頑張っている人にまだ頑張れと

   励ます人、聞いた人はどうすればいいのだと混乱することにもなる。励ましであろうと相手に効果的に伝わる言

   葉を選び、相手が奮い立つことができるような言葉をかけたいものである。

    リハビリ(機能回復訓練)などのおいても、抽象的な頑張れでなく、具体的に進め方とか方法などを具体

   的に示す励ましがよいのではないだろうか。よくできてます、今のまま続けましょうなど、具体的な言葉の励ま

   しが欲しいのではないだろうか。

    スポーツ界の当たり前の叱咤激励的な励ましは卒業したいものである。

迷歩録   きょうせい

2016-09-21 14:27:45 | 日記
  夏終わり  つくつくぼうし  告げるかな  秋雨前線  留まり過ごす

                               ひのひら  ろくべえ


   「きょうせい」という言葉はひらがなでは、なかなか通じることが難しい言葉である。しかし漢字にすると一目瞭然

   すぐに伝わる。日本語の難しい一面であろう。広辞苑で「きょうせい」を引いてみると、共生、強制、矯正、共成、

   強勢、共棲、強盛など13もの漢字が示されている。そこで対人援助に関係が深い「きょうせい」は、共生と矯正では

   ないだろうか。福祉の場では共生を目標として援助というものを考えるが、医療の場では主に矯正を考えることが多

   いのではないだろうか。

    福祉の世界も、医療に強く影響を受けている施設と福祉そのものを追求している施設とでは「きょうせい」の捉え

   方も違うのではないだろうか。それ故一概には言えないが「きょうせい」という言葉をどのように捉えているかで、

   その施設のレベルを測ることもできるのではないだろうか。

    「きょうせい」医療の場では矯正(欠点を直し、正しくすること)が大手を振ってまかり通っているのではない

   だろうか、教育の現場もそうかもしれない。この価値観が大きな問題を引き起こすことにもなる。

    科学的思考が主流の今の時代特に科学的矯正という事が医療援助だと勘違いしている対人援助者が多いのではな

   いだろうか。自分たちの価値観、知識の押しつけをしていることには気づかず、根拠を持って援助している、その

   援助が通じていないので、援助者がくたくたになっている。そんな光景見たことはないだろうか?

    科学的でなくてもその人の気持ちいい、つまり快感に届く援助というものを模索する姿勢にかけているのではな

   いだろうか。先日もこのような相談を受けた、認知症の患者さんが、人といる時は機嫌がいいが、家族といると、

   我儘を言う。どう指導したら良いかという相談であった。私はまず、我儘という言葉の捉え方を聴いた、すると援

   助者はその日に思い付いた買い物に行きたいとか、映画に行きたいなどを要求するという話であった。よく考える

   ようにアドバイスした。我儘と捉えているクライアントの要求は、援助者にとっては我儘だけど、本人にとっては

   満たしたい要求なのではないだろうか。そうであれば何とか満たす方法を考え模索するのが援助者の行動規範では

   ないだろうか。それなのに援助者の都合で我儘だの要求ができないことばかり、などと否定的にかかわっていない

   だろうか、その点から点検するようアドバイスした。

    援助者の気持ちも解らないではないが、援助という捉え方が矯正ということであれば、どうしてもならないこと

   の方が多いのが援助である。矯正を考えるよりは、共生を考えた援助を考えてほしいものである。強制や強勢、強

   請であってはならない。共生、共成、協成、協生、共棲であってほしいものである。

迷歩録   あらし

2016-09-20 20:31:00 | 日記
  台風だ  栗の木折れて  暴れ行く  吹き飛ばすかな  猛暑の淀み

                              ひのひら ろくべえ



   台風16号が大隅半島に上陸、暴れるだけ暴れて過ぎ去っていった。畑の周りにあるヒノキ直径50センチ高さ15メートル

  の大木が畑の真ん中に倒木する。夜半から停電する騒ぎ、何が何だかわからないままに大被害、もちろん畑のナスもオクラ

  も、右に左に倒れまるで大きな獲物が引っ掻き回したような光景、凄い雨と風の前にはなすすべなし。自然の凄さを改めて感

  じさせられた一夜だった。暗闇の中で雨音風音の轟音を聴くしかできない、ただひたすらに通り過ぎて行くのを待しかでき

  ない。人間一人の未熟な姿がそこにはあった。

   日頃自分が傲慢になったり、偉そうにしたり何でもできるような顔をしていたことが、暗闇の中で恥ずかしく、蟻にも満

  たない自分の姿が透けて見えた気がした。

   停電は今日の18時過ぎまでかかった。電気におんぶに抱っこされている日常生活であることが、何とも歯痒くイライラす

  る自分がそこにはあった。

   自然に対してウイルスほどもない人間、自分の姿に改めて幻滅をした。そんな世界で人間関係や、浮気や、不倫だと大騒

  ぎする人間の世界など、一夜にしてなくなるという事は、人間は如何にくだらないことに時間を割いているのか、不思議で

  ある。自分の思いのままに生きたらいいのに、たかがウイルスにも満たない自分なのに。