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迷歩録   ひあたり

2017-06-16 13:19:49 | 日記
  <strong>空重く  新緑揺れる  山里に  電波で届く  不信の政治


                              <strong>ひのひら  ろくべえ




   陽あたりというものは植物にとっては欠かせない自然現象、その現象によって大きく育ったり、育たたなかったりする

  特に畑の野菜にとっては大切なものなのだが、沢山当たればいいというものでもない。適度という事が大切である。

  梅雨の時期その日当たりぐわいが野菜の出来を左右する。諺に「日陰の梨」というのがある。日当たり悪い梨は形はでき

  るが味が悪いという意味らしい。

   現代社会資格は取得したがその内容は伴わないという事と同じではないだろうか。対人援助の場での不祥事を見てみる

  と、その裏にある、資格のみありき、人間性を問わない方向が明確なのではないだろうか。つまり日の当たらない梨にも

  似た人たちの存在があるのではないだろうか。

   中央で行われている政治家と官僚のバトルのように、目を向けなければいけない国民はそっちのけで、自分たちの保身

  のみを優先する。そのためには堂々と嘘つく定例記者会見などを行っている人と同じではないだろうか。

   文章は怪文章などと言っていてそんなものはないと言っていた人が、あったとなると、自分の間違いを謝ろうとせず政

  権の中枢に居座り続ける。そのような構造が日本の姿であることを国民は目の当たりにしている。その人達が日当たりを

  捜査して国民を育てていることしっかりと見つめておくことが大切なのではないだろうか。

   それ故に資格を得たからそれで充分ではなく、資格を得てからの努力こそが最も大切な行動なのではないだろうか。形

  だけの、外見だけの品物になるか、中身も充実した品物になるかは、形ができてからどのように生きるのかという事では

  ないだろうか。資格を得ることが最終到達点ではなく、資格を得て信頼される対人援助者になることが最終到達点として

  日々学習をしてもらいたいものである。

   日陰の梨にならないように、自分は何をどのようにしたらいいのかを自分で考え、決断していくことが大切な事なので

  あろう。日当たりは大事である植物は選べないが、人間は選べる、その違いをしっかりと自分を見つめ、人間だけが持つ

  援助という行為を見つめてほしいものである。