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迷歩録   らっかん

2017-06-01 12:56:22 | 日記
  朝靄を  突き抜ける声  鶯や  谷を渡りて  相手を探す



                               ひのひら  ろくべえ 


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    「らっかん」(楽観)とは、すべての物事を好都合に考えること、将来の成り行きに明るい希望的な見通しをつけること(広辞苑)

    とある。楽観とは、自分の見通しで、相手の見通しではない。このことを誤解している人も多いのではないだろうか。

     対人援助の場で、楽観的見通しとなれば、確実に好結果が得られることが明らかな時以外は、楽観的となりかかわりを進めては

    ならないのであろう。つまりクライアントを軽んじる考え方と言う印象を与えてしまうからである。人間はそれぞれにパーソナリ

    ティーが存在する。そのことを軽んじることを与えるようなかかわりは基本的に行う事はできない、それが対人援助というもの、

    自分自身の将来などを楽観的に捉えていくという考え方はそれはそれでいいのだが、対相手という事になれば、それは行ってなら

    ない考え方なのである。

     対人援助の場での考え方は常に客観的に捉えるという基本的姿勢を崩してはならないのである。そのことを貫くためにも楽観的

    見通しなどと言う事はとんでもないということになる。

     一見楽観的と言うと、すべての人々に当てはめたくなるが、楽観的な考え方のために失敗を繰り返すという事もあるのである。

    自分自身に対しての捉え方は楽観的でいいのだが、他者に対する捉え方は悲観的でなく客観的に捉えられる訓練を重ね、技術とし

    て援助の場で活かすことが大切なのではないだろうか。

     これが対人援助技術のコツでもあるのであろう。楽観的でも悲観的でもない客観的が理想であることを基本にしてかかわりを重

    ねていくことが大切な事ではないだろうか。

     みちびき衛星が打ち上げ成功のニュースが報道されている。人間の社会も空からの管理という方向がさらに進化して、何もかも

    丸見えの時代がそこまで来ている。そんな時代なのだが楽観視はできない。そんな時代だからこそ自分自身でプライベート空間を

    確保し、空から見えない空間を確保して、パーソナリティーを護る必要があるのだろう。情報に振り回されず楽観的にならず、自

    分を護るものは自分という原点を大切にして、日常生活を組み立てる必要な時代なのではないだろうか。