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迷歩録   かったつ

2017-06-15 10:18:40 | 日記
   暖かき  梅雨の晴れ間に  茄子が生る  隣の胡瓜  負けじと実


                                  ひのひら  ろくべえ




   「かったつ」(闊達)とは、度量が広く、物事にこだわらない事。せこせこしないこと。(広辞苑)とある。

   今朝、共謀罪が強行採決で成立した。なぜに急ぐのかは不明だが、急がなければならない理由を明確にしな

   いままとは、国民を見下げている行為ではないだろうか。これでますます現政権に対する不信はつのるので

   はないだろうか。

    闊達な政治を行ってほしいものだが、そうもいかないのか、国民が許さないのか、行先不明の強行政治に

   苛立ちさえ感じる朝である。

    闊達自在という言葉もある。これは何物にもとらわれず、心が広くのびのびしていて、思いのままに行動

   するようす。(広辞苑)とある。心広き人、春を愛する人、などと称される人の事であろう。このような人

   物が対人援助には向いているのであろうが、机に向かう勉強だけではなかなか、このような人物となるのは

   難しい、現に高学歴だから、好人物がイクオールになるかというと、そうでもないような気がする。先生と

   呼ばれる職業人の不祥事は沢山ある。勉強とは闊達自在な人物を目指すことなのかもしれない。先生と呼ば

   れることを目指す勉強ではなく、闊達自在な人物になるための勉強を大切にしてほしいものである。また社

   会もそのような人物に対しては寛容であってほしいものである。しかし現代社会は、良きも悪きも同じよう

   に扱われる時代、過ちは許されない傾向が強い。そうではなくて、それまでの生き方がどうであったかを吟

   味した評価というものを大切にしてほしいものである。

    教育も医療も福祉も、そこに求められるものは闊達自在の人物ではないだろうか。今の政権のような対応

   を個人がしてしまうと、たちまち多くの人から受け入れられなくなってしまう。人間関係の破綻である。自

   分は、悪気はないと、その気はないと思っていることでも、マイナスなイメージでネガティブに捉えられて

   しまう。こうなってしまうと対人援助の場での人間関係は苦しくなるばかりで、楽しいことを見出せなくな

   ってしまう。だからこそ闊達自在の人物像を目指して、日々の修行が大切なのではないだろうか。上から目

   線の評価だけでなく、当事者目線あるいは下から目線を持つことで、より多くの人々の胸の内に近づくこと

   ができる。そのことが闊達自在な人物像に近づける路なのかもしれない。