<strong> 梅雨空に トマト鈴なり 陽射待 色付け笑う 梅雨明けの朝
ひのひら ろくべえ
「おもねる」(阿る)とは、面(おも)練る(ねる)顔を左右に向ける意、機嫌を取って相手の気に入るようにする。へつらう
追従する。(広辞苑)とある。日本の大企業たかたが民事再生法を提出した、事実上の倒産である。車社会を支えてきた日本企
業の倒産は、日本という技術大国にとっても痛手ではないだろうか。タカタの問題は経済評論家によると、車会社大手の顔色は
見ているが、消費者の顔は見ていなかった。そのために問題発覚後の対応が遅れたなどと評する人もいる。つまりリスクマネー
ジメントはできていなかったという事であろうか。力あるものに「おもねる」ことはできても消費者にはできなかったことが、
このような結果に至ったのではないだろうか。人間も同じことで時の権力者に「おもねく」だけでは成長はままならないという
ことではないだろうか。大声で秘書を罵倒したり暴力を振るう衆議院も、政党の幹部には「おもねいて」いたようだ、そのスト
レスを秘書に向けるとはもってのほかだが、時の幹部に阿諛追従(あゆついしょう)することだけはできていたのであろう。
「おもねる」ことがすべて悪ではなく、誰のために何のために「おもねく」のかが大切なのではないだろうか。私利私欲のため
だけに阿諛追従する姿は、大衆には受け入れられないのかもしれない。
阿諛追従とは人に阿って、こびへつらう事とある。阿諛とはお世辞を言って機嫌を取ること、追従はおべっかいを使う事と広
辞苑にある。つまり現代社会はこのような人が増えているのではないだろうか。努力なしで「おもねる」ことだけに知性を磨き
自分自身の人間性を磨くことを忘れてしまったのかもしれない。そのような人は。本末転倒で「おもねる」ことが人生の中心と
なり、自分らしさをつくりだすことは忘れてしまうのかもしれない。言い換えればそれほど時の権力が強いという事にもなる。
このまま発展を続けると、権力の増強がますます強くなり、ゆくゆくは独裁とか、一党支配などの状況になっていくのかもしれ
ない。国民はその点に注意を払う必要があるのではないだろうか。
対人援助の場でも、管理職や、経営者だけに「おもなく」タイプの援助者をよく見かけるが、本当にそれでいいのか自分を問
いただしてみてほしいものである。誰もが出世をしたい気持ちは理解できるが、人生とか出世というものは、急がば回れである。
自分の得意なものを獲得して、そのものを武器として活用することで、オリジナルな自分というものをアピールできる。確かに
受け取る側が気づかないことも多々ある。しかし自分の道を頑なに歩くことも必要なのではないだろうか。無能者が考える「お
もねく」ではなく、将棋の少年の様に、我が道を創るというプロセスの中にこそ、自分らしさを見出すことができるのではない
だろうか。対人援助と職業は地味な仕事である。何もない日常生活が当たり前、当たり前はだれも良い評価などくれない。しか
し、クライアントは喜んでいる。それでいいのではないだろうか。誰にも「おもねく」ことなく、人間として恥ずかしくない言
動を続ける援助をすることが、援助技術なのかもしれない。
ひのひら ろくべえ
「おもねる」(阿る)とは、面(おも)練る(ねる)顔を左右に向ける意、機嫌を取って相手の気に入るようにする。へつらう
追従する。(広辞苑)とある。日本の大企業たかたが民事再生法を提出した、事実上の倒産である。車社会を支えてきた日本企
業の倒産は、日本という技術大国にとっても痛手ではないだろうか。タカタの問題は経済評論家によると、車会社大手の顔色は
見ているが、消費者の顔は見ていなかった。そのために問題発覚後の対応が遅れたなどと評する人もいる。つまりリスクマネー
ジメントはできていなかったという事であろうか。力あるものに「おもねる」ことはできても消費者にはできなかったことが、
このような結果に至ったのではないだろうか。人間も同じことで時の権力者に「おもねく」だけでは成長はままならないという
ことではないだろうか。大声で秘書を罵倒したり暴力を振るう衆議院も、政党の幹部には「おもねいて」いたようだ、そのスト
レスを秘書に向けるとはもってのほかだが、時の幹部に阿諛追従(あゆついしょう)することだけはできていたのであろう。
「おもねる」ことがすべて悪ではなく、誰のために何のために「おもねく」のかが大切なのではないだろうか。私利私欲のため
だけに阿諛追従する姿は、大衆には受け入れられないのかもしれない。
阿諛追従とは人に阿って、こびへつらう事とある。阿諛とはお世辞を言って機嫌を取ること、追従はおべっかいを使う事と広
辞苑にある。つまり現代社会はこのような人が増えているのではないだろうか。努力なしで「おもねる」ことだけに知性を磨き
自分自身の人間性を磨くことを忘れてしまったのかもしれない。そのような人は。本末転倒で「おもねる」ことが人生の中心と
なり、自分らしさをつくりだすことは忘れてしまうのかもしれない。言い換えればそれほど時の権力が強いという事にもなる。
このまま発展を続けると、権力の増強がますます強くなり、ゆくゆくは独裁とか、一党支配などの状況になっていくのかもしれ
ない。国民はその点に注意を払う必要があるのではないだろうか。
対人援助の場でも、管理職や、経営者だけに「おもなく」タイプの援助者をよく見かけるが、本当にそれでいいのか自分を問
いただしてみてほしいものである。誰もが出世をしたい気持ちは理解できるが、人生とか出世というものは、急がば回れである。
自分の得意なものを獲得して、そのものを武器として活用することで、オリジナルな自分というものをアピールできる。確かに
受け取る側が気づかないことも多々ある。しかし自分の道を頑なに歩くことも必要なのではないだろうか。無能者が考える「お
もねく」ではなく、将棋の少年の様に、我が道を創るというプロセスの中にこそ、自分らしさを見出すことができるのではない
だろうか。対人援助と職業は地味な仕事である。何もない日常生活が当たり前、当たり前はだれも良い評価などくれない。しか
し、クライアントは喜んでいる。それでいいのではないだろうか。誰にも「おもねく」ことなく、人間として恥ずかしくない言
動を続ける援助をすることが、援助技術なのかもしれない。