終戦から72年目となる今日、8月15日
改めて戦争の恐ろしさをかみしめる
あの日6才の私は 78歳になった・・・
「今日、夕ごはん 何にしょうかなぁ」
「俺、だんご汁!かぼちゃのネ」
「うわぁー、もう、かぼちゃは飽きた!」
と云ってしまってから、はたと口をつぐんでしまった。
あの暑い夏の日から56年が過ぎた。
今年は、小泉首相の靖国神社参拝で話題を誘ってしまった終戦記念日。
当時、6才のわたしは戦争の意味は良くわからず、ただ「もう防空壕に走って行かなくてもよいのだ」と思ったものだ。
空襲で焼け野原となった大牟田。
焦土と化した自分の家らしき跡にたたずむ。
焼け残った水道管の壊れた蛇口から、チョロチョロとこぼれる水を
小さな手ですくってみた事を思い出す。
そして、空腹を満たしてくれたのは“かぼちゃ”が王様ではなかったか。
硬い皮はもとより種までも食べていたから。
大きなリュックを背にした母に手を引かれ、
一里から二里以上も歩いて田舎へ買出しにも行った。
「ほゥ、おじょうちゃんも歩いて、ようこられましたのう」と
農家のおばあさん。
おまけに頂いた 大きな “かぼちゃ ”
おばあさんの姉さんかぶりの白い手ぬぐいが、今も目に焼きついている。
その大切なかぼちゃを「もう、飽きた」などと云ってごめんね。
( H・13・9記 )
古い記事ですが、16年も前に書き留めた ”人生しあわせ綴” から拾ってみました。
終戦記念日をむかえるたびに思いだします。
こうして平和な日々を過ごすことができる今に
厚く感謝の気持ちをこめながら・・・ 杏子
戦争中に食べたから もう食べるによばん
と言ってましたが そのくせカボチャの煮物は
定期的に作り目を細めながら食べていました。
今日本人の多くが平気で食べ物を捨てる現状を
見ると悲しくなります。そういう私も食べ物は
捨てませんが他での無駄はいっぱいしており
反省せねばなりません。
戦中派ならずとも熱いものがありますね。
車の中へ忘れ物。
おもいだしたのが翌日、はりこんだロース肉とお豆腐がNO !に。
なくなく廃棄しました。
うっかりのミスで無駄しています。
子供時代には周りの大人に散々戦争中戦後の苦労を聞かされて育っていますから・・・
それにケアセンター訪問で従軍された方やら
その頃子供だった人やら殆どが戦争を体験された方ばかりですから
こんな環境にたまたま立ち会うご縁は一体何だろうと思いますよ
牛のエサよりもっとひどい豆かすで育ったような人やら
皆さん子供ながらに散々な体験をされた話を
未だに聞かせられます
そう考えたら戦後生まれの私はあまりに恵まれているなと思うのです
最近きな臭い話題がよく出てくるようですが
この年でそんな悲惨な目には遭いたくありません^^;
白米の中に大根の葉やサツマイモがゴロゴロして、お米は殆どなし、おやつはかぼちゃです。
配給のパンの中の餡はなんとフスマでした。
私。これがどうしても食べられなくて、祖母や母に叱られて泣きました。
そして、父が復員してきました。今でも昨日のように思い出します。
終戦 72年目 私は3歳の時でした。
私の場合 宮城県でしたので、北の山を眺めると、真っ赤な夜空が焼き付いています。防空頭巾をかぶってお寺の山(防空壕)に逃げたのだけは覚えているんですよ。
仙台にB29がとんで爆弾をおとしたんですね。それだけが記憶に残っています。
その頃の食べ物といえば 大根 かぼちゃなどでしたね。
家は米穀商をしてたので食べ物には困らなかった思い出があります。
今は何でも手に入りますが、その反面
この世界中でいろんなことがありすぎますね。
昨日はお盆で来ていた子ども 孫たちが帰り今日はのんびりとしています。
終戦の年10歳小学3年生、父は私が小学
2年生の時に北支の戦場に、母(継母)は嫁に来て8か月で父に召集令状、伯母(母が年長組の時に亡くなり母替わり)。
終戦の時家族バラバラです。
この時代の話は話し出したら止まらないのでこの辺で。
終戦の11月に集団
辛く苦しい戦争の話を、実際に体験したものが伝えることができるのは、私たちの年代が最後でしょうね。
戦争忘れじ・・・
絶やすことなく、つぎの時代の子供たちがしっかりと引き継いでくれるものと思います。
食糧難時代に育ったわたしでも、今こうして元気にいられることに感謝しています。
キミコさん、暑さに負けずに今日も一日
がんばりましょうね。
お父様が元気で復員されてよかった、よかった。
実父は、目の病で戦争途中で帰ってきましたが、夫の父親は終戦間際の6月にフイリッピン・レイテ島で悲惨な戦死、遺骨はちいさな石ころがひとつ。
昨日、ふらりと散歩にでた夫は「ひとりで両親の墓参りにいってきた」といい、
「父ちゃんに感謝してきた」とも。
切ない一日だったようです。
なつかしいことばです。親もと離れてのさみしい疎開生活でしたね。
就学前の私は、家族で熊本の親戚に疎開しました。
生まれたれたばかりの弟含めて家族6人
親戚とはいっても大家族で転がりこんだ、こども心にも気兼ねの辛い日々でした。
空腹をみたしてくれたかぼちゃ、そして紫色のもぎたてのなすび、生で食べたあのおいしさ、忘れません。
つらい思い出 終生消えません。
平和である今に感謝です。
お盆でのお疲れ、ぬけましたか?
久しぶりに賑やかな団欒、よかったですね。
>防空頭巾をかぶって・・・
3才でも記憶に残る・・・
悲惨な過去の出来事、もう再び起きないでほしいもの。
それにしても、アメリカと北の恐ろしい対話。どちらも譲らない体制に
恐怖がよみがえります。
孫や子らに戦争はいりません。