印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

尾張町交差点(銀座四丁目)

2011-09-30 19:46:48 | 近代史
京橋から新橋までの中央どうりを銀座どうりとよぶ。明治、大正のころは4丁目しかなかったという。銀座を埋め立てた藩名をとった。尾張町・加賀町・出雲町や竹や職人で一町をなした、竹川町など。その由緒ある町名を廃止して昭和5年3月に銀座8丁目ができたという。

友人が銀座8投目の土地を買ったのは、まだ土地の価格など、高くなく、整備してない時代であったようだ。

明治10年代の銀座の古い写真に、尾張町交差点から京橋方面を映したのが特に多いいという。銀座のシンボル、服部時計店は明治27年にこの場所に移設したという。

去年の今頃、東京湾クルーズに行った後、皆と分かれて、築地から銀座4丁目交差点まであるいてきて、有楽町から、京浜東北線に乗って帰った。

今後TV江では徳川秀忠が家康の後をついで、家光へ外様大名の上屋敷がととのい、江戸の街ができあがっていくようである。赤門もここにちかい。その昔根岸、や谷中あたりに、わび住まいであったろう。西日暮里から寺や、神社を4つほど眺めて歩いた。この辺りは、わび住まいからは、郊外という部分であったようだ。

みなさんと連れ立って風情を愉しんだ。そんな感じだ。夕焼けだんだんのうえで、20人弱での反省会で、江戸の庶民の味わいを愉しんだ。

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