江戸城の詰め所 さて、時代劇に時に見かける江戸城の「詰所」とはどんなところだったでしょうか。まず、「大廊下」これは最上席で御三家クラスでなければ入れません。座敷に続く通路の廊下ではありません。ついで大広間、溜間(たまりのま)、帝鑑間(ていかんのま)、雁間(かりのま)、菊間(きくのま)、柳間(やなぎのま)となっています。「大広間」これは親藩の大名。外様の上席。国持大名の中の、外様の詰所です。
「溜間」は譜代大名の中の特別の家柄の大名、例えば井伊家、酒井家などの詰所。「帝鑑の間、雁間」は譜代大名の上席の詰所。「菊間」は一般の譜代大名の詰所。「柳間」は一般の外様大名の詰所です。 江戸屋敷。大名は、幕府から江戸詰めのための屋敷を拝領していました。現在の東大のある場所が、加賀藩の上屋敷跡であることはあまりにも有名です。赤門は、将軍家の息女、溶姫(やすひめ)が加賀藩に嫁入りしたことを記念して造られました。
ーーーby googleーー
5月は史跡巡りで、ニコライ堂、赤門、三四郎池などを散策した。どの上屋敷があったかというと、加賀藩の上屋敷があった。
江戸時代全国で班はいくつあったのだろう。276藩(275という説もあり)
「溜間」は譜代大名の中の特別の家柄の大名、例えば井伊家、酒井家などの詰所。「帝鑑の間、雁間」は譜代大名の上席の詰所。「菊間」は一般の譜代大名の詰所。「柳間」は一般の外様大名の詰所です。 江戸屋敷。大名は、幕府から江戸詰めのための屋敷を拝領していました。現在の東大のある場所が、加賀藩の上屋敷跡であることはあまりにも有名です。赤門は、将軍家の息女、溶姫(やすひめ)が加賀藩に嫁入りしたことを記念して造られました。
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5月は史跡巡りで、ニコライ堂、赤門、三四郎池などを散策した。どの上屋敷があったかというと、加賀藩の上屋敷があった。
江戸時代全国で班はいくつあったのだろう。276藩(275という説もあり)