先日の4土曜会のあといつも、間をおいて講評がメールで送ってくる。こちらも忘れたころに、もう一回間をおいて、句と対峙している。
どういった展開となるか、俄かに信じがたい気持ちを少なからず左右してくる。
果たして今回どんな対応でおくってくるか。
いつも裏をかいて、思惑とは違った講評で、
驚かされる。
お会いした人でないので、親しみがあるというわけでなく、戸惑いと共に送らてれた批評に接している。
こういったものの影響があるのですか、というので読んでいたのですが、タイムラグのある好評を読めば毎回満身創痍になる。
まえは読まずに削除していたけれど、そうはいかなくなってきている。
これは独自のこだわりのある講評だと最近は理解できるに至っている。
どういった展開となるか、俄かに信じがたい気持ちを少なからず左右してくる。
果たして今回どんな対応でおくってくるか。
いつも裏をかいて、思惑とは違った講評で、
驚かされる。
お会いした人でないので、親しみがあるというわけでなく、戸惑いと共に送らてれた批評に接している。
こういったものの影響があるのですか、というので読んでいたのですが、タイムラグのある好評を読めば毎回満身創痍になる。
まえは読まずに削除していたけれど、そうはいかなくなってきている。
これは独自のこだわりのある講評だと最近は理解できるに至っている。