陸 羯南(くが かつなん、安政4年丁巳10月14日(1857年11月30日) - 明治40年(1907年)9月2日)は、日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。正岡子規を育てた。幼名は巳之太郎、のち実、号が羯南。▼病弱で、性格も穏やかで、お故郷ことば丸出しの俳句青年がなぜ編集主任に、という理由は、人材不足だけだったのか?▼むしろ、あの偏屈な夏目漱石と交わり、徹底した天才リアリストの秋山真之・海軍中将と生涯の友と認め合い、高浜虚子・河東碧梧桐を従えるだけの「何か」があったのではないか。▼その「何か」を「人間的魅力」といってしまうと、通俗一般論の域を出ない。第一、そんなホンワカしたものだろうか。
▼旧来の俳句を木っ端微塵に論破する「攻撃性」と、病身ながら遠出にでかけても決して根をあげない「意地っ張り」。
陸羯南は、ここにピンとくるものがあったのではないか。あくまでも、直感に過ぎないが。
----↑ by google--
今日銀座句会があったわけですが、人間を丸出しに生き…という句が天に選ばれていた。
後で正岡子規のことが話題になっていた。
何かつながりがあるかと、丸出し、正岡子規でググったら、陸羯南という人にであった。明治時代のひとで、日本新聞の社長であった。ここまでくるのに、自分の罪でないのに、原敬たちと義憤で退学したり、面白い人物がいたのですね。そして、正岡子規を小日本という新聞の編集長にしたりしている。
日本新聞の創刊の辞がかいてあったので↓につけたしたかった。
ーーーー↓by googleーー
創刊の辞は次のような趣旨だった。
本紙は政党新聞や営利新聞ではない独立新聞である。今日本は国を挙げ、まるで植民地になるような西欧化に急いでいる。本紙も西欧文明の善美を知り、尊敬している。しかし、西欧文明は、独立日本の利益・幸福のために活用すべきだ。…
▼旧来の俳句を木っ端微塵に論破する「攻撃性」と、病身ながら遠出にでかけても決して根をあげない「意地っ張り」。
陸羯南は、ここにピンとくるものがあったのではないか。あくまでも、直感に過ぎないが。
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今日銀座句会があったわけですが、人間を丸出しに生き…という句が天に選ばれていた。
後で正岡子規のことが話題になっていた。
何かつながりがあるかと、丸出し、正岡子規でググったら、陸羯南という人にであった。明治時代のひとで、日本新聞の社長であった。ここまでくるのに、自分の罪でないのに、原敬たちと義憤で退学したり、面白い人物がいたのですね。そして、正岡子規を小日本という新聞の編集長にしたりしている。
日本新聞の創刊の辞がかいてあったので↓につけたしたかった。
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創刊の辞は次のような趣旨だった。
本紙は政党新聞や営利新聞ではない独立新聞である。今日本は国を挙げ、まるで植民地になるような西欧化に急いでいる。本紙も西欧文明の善美を知り、尊敬している。しかし、西欧文明は、独立日本の利益・幸福のために活用すべきだ。…