須釜奈津美(四年)
九月の朝
私は何が何だかわからないけど
泣きたかった。
お母さんがどうしたの
と何度も言うけど
うまく言えないんだ。
時々、こんなふうに
なみだが私の声になる時がある。
もう学校へ行く時間はとっくにすぎている。
何度顔をあらっても
また、なみだ、なみだ、なみだ。
弟が
げんかんで何も言わず
待っていた。
もんく一つ言わないで
だまっていた。
九月の朝
少し泣きそうな弟の目が、
私の心にやさしかった。
(『こころのうた』佼成出版社より)
月曜日の朝や長い休みの後に学校に行きにくくなることは、小学生の中でたまにあります。学校に行くのが嫌というよりは、親やおじいちゃん・おばあちゃんと過ごした時間を愛(いと)おしむ思いが、学校へ足を向かなくしてしまうことがあるのです。たとえば冬の朝、暖かい布団から抜け出たくないのと同じように。
こんな時には親が過剰反応する必要はありません。「どうして行かないの」と詰め寄ると、子どもは何らかの「回答」をひねり出さざるを得ません。親から「いじめられたの?」「勉強がわからないの?」「学校で何か嫌なことがあったの?」と厳しく追及されると、どこかで首をたてに振らないと許してもらえない気になるのです。「○○君がいじわるをするから」(意地悪な子がいない学級なんてありえません)「勉強が面白くないから」(勉強が好きな子はもともとそんなにたくさんいません)・・・夏の素敵な思い出にひたっていただけなのに、不毛な「犯人探し」の追求に子どもを追い込めないことが大切です。
九月の朝
私は何が何だかわからないけど
泣きたかった。
お母さんがどうしたの
と何度も言うけど
うまく言えないんだ。
時々、こんなふうに
なみだが私の声になる時がある。
もう学校へ行く時間はとっくにすぎている。
何度顔をあらっても
また、なみだ、なみだ、なみだ。
弟が
げんかんで何も言わず
待っていた。
もんく一つ言わないで
だまっていた。
九月の朝
少し泣きそうな弟の目が、
私の心にやさしかった。
(『こころのうた』佼成出版社より)
月曜日の朝や長い休みの後に学校に行きにくくなることは、小学生の中でたまにあります。学校に行くのが嫌というよりは、親やおじいちゃん・おばあちゃんと過ごした時間を愛(いと)おしむ思いが、学校へ足を向かなくしてしまうことがあるのです。たとえば冬の朝、暖かい布団から抜け出たくないのと同じように。
こんな時には親が過剰反応する必要はありません。「どうして行かないの」と詰め寄ると、子どもは何らかの「回答」をひねり出さざるを得ません。親から「いじめられたの?」「勉強がわからないの?」「学校で何か嫌なことがあったの?」と厳しく追及されると、どこかで首をたてに振らないと許してもらえない気になるのです。「○○君がいじわるをするから」(意地悪な子がいない学級なんてありえません)「勉強が面白くないから」(勉強が好きな子はもともとそんなにたくさんいません)・・・夏の素敵な思い出にひたっていただけなのに、不毛な「犯人探し」の追求に子どもを追い込めないことが大切です。