山本貴紀(四年)
お母さん、ぼくわかっているよ。
しゅく題は、学校から帰ったら、すぐした方が
いいことを。
だれのためでもない、ぼくのために、
ぼくのために言ってくれていることを。
けど、今はぼく 外で遊びたいねん。
友達と遊びたいねん。
お母さん、ぼくわかっているよ。
自分の部屋ぐらい自分でかたづけないと、いけないこと。
だれのためでもない、ぼくのために、
ぼくのために言ってくれていることを。
けど、今はぼく ファミコンしたいねん。
もうちょっとで てきをたおせるねん。
お母さん、ぼくわかっているよ。
野球練習しないと、レギュラーになれないことを。
だれのためでもない、ぼくのために、
ぼくのために言ってくれていることを。
けど、今はぼく しんどいねん。
レギュラーになりたいけど、つかれてるねん。
お母さん、ぼくわかっているよ。
今のままでは、遊びも勉強もスポーツも、
中と半ぱになることを。
けど、今はぼく なんでもいろんなことを
やりたいねん。
あれもこれもやってみたいねん。
わかっているんやったら、
さっさとすぐにしろと、言われそうやけど、
すなおに聞いたら、
きっとお母さん安心するやろ。
安心して、ぼくからはなれていってしまうやろ。
ぼくからはなれたらいややねん。
だって、いつもぼくに言っているやろ。
「なんでも自分のことは、自分でやれるように
なってくれんと、死んでも死にきれん」と。
だからお母さんに安心してほしくないねん。
死んだらこまるねん、ぼく。
いつまでも、いつまでも、
ぼくのそばでぼくのことを、
おこってほしいねん。
車イスで追いかけ回して、
おこってほしいねん。
病気のちょ金箱のようなお母さんやけど、
出したり入れたりしながらでも
お母さん頑張ってな。
きんジストロフィーは治らへんやろうけど、
ぜっ対、くじけたらあかんで。
ぼくとやくそくしたやろ。
ゆびきりげんまんしたやろ。
(『こころのうた』佼成出版社より)
「何を甘っちょろいこと言うてんねん」と思いながら読んでいましたが、車いすという言葉に反応し、きんジストロフィーという病名に立ち止まりました。
私が教員に就いた頃、筋ジストロフィーという病にかかると、20歳を過ぎるのは至難の業だと言われていました。私が30年前に出会った生徒は、小学校低学年時代は校庭を走り回っていたらしいのですが、中学校に入学したときには、起き上がることも不可能となっていました。そして中学3年生での突然の死。生命の儚(はかな)さを思わずにおれませんでした。
作品は後半になり、お母さんの病気に触れることばが出てきます。しかし、それでも、「こんなこと言うてる場合やないやろ」と、口から出そうになるのです。
お母さん、ぼくわかっているよ。
しゅく題は、学校から帰ったら、すぐした方が
いいことを。
だれのためでもない、ぼくのために、
ぼくのために言ってくれていることを。
けど、今はぼく 外で遊びたいねん。
友達と遊びたいねん。
お母さん、ぼくわかっているよ。
自分の部屋ぐらい自分でかたづけないと、いけないこと。
だれのためでもない、ぼくのために、
ぼくのために言ってくれていることを。
けど、今はぼく ファミコンしたいねん。
もうちょっとで てきをたおせるねん。
お母さん、ぼくわかっているよ。
野球練習しないと、レギュラーになれないことを。
だれのためでもない、ぼくのために、
ぼくのために言ってくれていることを。
けど、今はぼく しんどいねん。
レギュラーになりたいけど、つかれてるねん。
お母さん、ぼくわかっているよ。
今のままでは、遊びも勉強もスポーツも、
中と半ぱになることを。
けど、今はぼく なんでもいろんなことを
やりたいねん。
あれもこれもやってみたいねん。
わかっているんやったら、
さっさとすぐにしろと、言われそうやけど、
すなおに聞いたら、
きっとお母さん安心するやろ。
安心して、ぼくからはなれていってしまうやろ。
ぼくからはなれたらいややねん。
だって、いつもぼくに言っているやろ。
「なんでも自分のことは、自分でやれるように
なってくれんと、死んでも死にきれん」と。
だからお母さんに安心してほしくないねん。
死んだらこまるねん、ぼく。
いつまでも、いつまでも、
ぼくのそばでぼくのことを、
おこってほしいねん。
車イスで追いかけ回して、
おこってほしいねん。
病気のちょ金箱のようなお母さんやけど、
出したり入れたりしながらでも
お母さん頑張ってな。
きんジストロフィーは治らへんやろうけど、
ぜっ対、くじけたらあかんで。
ぼくとやくそくしたやろ。
ゆびきりげんまんしたやろ。
(『こころのうた』佼成出版社より)
「何を甘っちょろいこと言うてんねん」と思いながら読んでいましたが、車いすという言葉に反応し、きんジストロフィーという病名に立ち止まりました。
私が教員に就いた頃、筋ジストロフィーという病にかかると、20歳を過ぎるのは至難の業だと言われていました。私が30年前に出会った生徒は、小学校低学年時代は校庭を走り回っていたらしいのですが、中学校に入学したときには、起き上がることも不可能となっていました。そして中学3年生での突然の死。生命の儚(はかな)さを思わずにおれませんでした。
作品は後半になり、お母さんの病気に触れることばが出てきます。しかし、それでも、「こんなこと言うてる場合やないやろ」と、口から出そうになるのです。