中学3年の担任をしていたときの懇談の一場面です。ある高校の見学会への参加をすすめたところ、こんな返事が返ってきました。生徒「○○高校って、アホばっかしなんやろ。オレ、あんな高校に行きたくないわ。」私「○○高校のことを誰がアホやと言うてた。」生徒「みんな言うてる。先生も知ってるやろ、髪の毛は茶色で不良ばっかりや。」私「夏休みのお前と一緒や。」生徒「オレは、ちゃんと黒くした。」私「中学卒業したら、どうする。」生徒「茶色にする。」
自分は髪の毛を茶色にしたい。しかし、自分のいく高校が茶髪の生徒ばかりではいやだ、というわけです。他人に対しては人を外見で判断し、茶髪=アホ=不良というレッテルをはるのに、自分が髪を染めたときには「外見で判断してほしくない」という身勝手さには驚かされます。
服装や髪型の自由化が困難なのは、私たち大人の頭が古いだけでなく、中学生の皆さんの中にも、「外見で人を判断する」という物の見方があるからだと思います。
自分は髪の毛を茶色にしたい。しかし、自分のいく高校が茶髪の生徒ばかりではいやだ、というわけです。他人に対しては人を外見で判断し、茶髪=アホ=不良というレッテルをはるのに、自分が髪を染めたときには「外見で判断してほしくない」という身勝手さには驚かされます。
服装や髪型の自由化が困難なのは、私たち大人の頭が古いだけでなく、中学生の皆さんの中にも、「外見で人を判断する」という物の見方があるからだと思います。