教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

苦労を苦労と思わず

2006年04月30日 | 出会った子どもたち
「ムッチャ恥ずかしいわ。みんな私の弁当を見て笑わんといてね。」D子の明るい声が響いた。弁当箱の中身は焼きめしの上に焼きそばがのっているだけだった。

修学旅行一日目の昼食は、各自が持ってきた弁当である。朝早いにもかかわらず、みんなの弁当箱にはごちそうが詰まっていた。しかしD子はその日も自分で詰めた弁当を持ってきていた。

D子の父親は、私と同じ中学の出身であることが懇談の時にわかった。そのことを知った瞬間に30年ほど前の古い記憶が、一気によみがえった。全校朝礼が終わり校舎に入るとき、いつも列から遅れて不自由な足を引きずっていた生徒が一つ下の学年にいた。そのときの小柄な生徒がD子の父親になっていた。D子の一つ違いの妹が生まれた直後に母親は家を出た。それから父親と妹の3人の生活が続いていた。家事は徐々にD子の肩にかかっていった。

学習は得意とは言えなかったが、運動は何をしても上手く、D子はいつも体育委員をかってでた。歩くのが苦手だった父親は、D子がどんなスポーツをしても活躍することを心から喜んでいた。しかし何よりもすごかったのは、自分の苦労を笑い飛ばす強さと明るさをD子が身につけていたことである。

修学旅行の日に自分で弁当を作ってきた生徒は、私のクラスに3人いた。その中には「最後の懇談」で紹介したC子もいた。学年会議で修学旅行当日の昼食を弁当と決めたとき、私はうかつにも自分のクラスのC子やD子の弁当を誰が作るのか、考えていなかった。D子の弁当を見たとき、私は自分の不覚を恥じた。しかしD子は、そんな私の後悔を吹き飛ばすように、明るく友人の輪の中で弁当を、食べていた。

それから数年が過ぎ、D子の結婚式に招かれた私は、主賓のスピーチをする羽目になった。メインは修学旅行の弁当の話。苦労を苦労とも思わず、いつも前向きに生きてきたD子は、きっと幸せを築いていくにちがいない。。


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