宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

出村和彦『アウグスティヌス』第5章(その4)「最後の仕事」413年(62歳)-430年(76歳):418年(64歳)『キリストの恩恵と原罪』で「ペラギウス主義」批判!427年(73歳)『再考録』!

2022-11-24 23:53:48 | Weblog
※出村和彦(デムラカズヒコ)(1956-)『アウグスティヌス 「心」の哲学者』岩波新書(2017、61歳)

第5章「古代の黄昏」(その4)
(27)413年(アウグスティヌス59歳)、帝国高官の若きマルケリヌスが処刑される!しかし「ペラギウス主義」の事案の決着のためアウグスティヌスは休む暇などなかった!
(o)413年(アウグスティヌス59歳)、帝国高官の若きマルケリヌスが、反乱陰謀の罪で処刑された。アウグスティヌスは悲嘆にくれた。マルケリヌスは、「ドナティスト鎮圧勅令」(412年)にいたる教会一致の措置の推進者、また「ペラギウス主義」が「新しい異端」であるとのカルタゴ教会会議(411年)での弾劾におけるアウグスティヌスたちの理解者であった。(149頁)

《参考1》アウグスティヌスがヒッポの司教となった396年(42歳)の頃、ヒッポを含む北アフリカのキリスト教は、カトリック(カエキリアヌス派)とドナティスト(ドナトゥス派)に分裂していた。アウグスティヌスはその問題に対処しなければならなかった。(103頁)
《参考2》「ペラギウス主義」は①「アダムの罪」はただアダムだけの罪であって、その罪がその後の人類に及ぶことはないとする。また②生まれたばかりの赤子は堕罪以前のアダムと同じであり、(北アフリカで慣行とされていた)「幼児洗礼」の根拠を否定した。(130-131頁)また③人間に自由な意思決定能力(「自由意志」)があり、神の助けなしに善意志を獲得できるとする。(134-135頁)
《参考2-2》これに対してアウグスティヌスは①人間の本性は「アダムの堕罪」によって決定的に損なわれてしまい、それは人類という子孫全体に伝播しているとパウロ書簡を理解する。「原罪遺伝説」!(135-136頁)それゆえ②「アダムの子孫として生まれてきた人類に伝播している罪」を断ち切って新たに生まれるためには、幼児でも洗礼が必要である。(136頁)さらにアウグスティヌスは③欠陥を持つ弱い人間が、善意志を獲得するのは、神が励まし授けてくださる「恩恵」という賜物がいるとする。ペラギウスは傲慢・高慢である。(135頁)

(o)-2 マルケリヌスの死後も、アウグスティヌスは「ペラギウス主義」の事案の決着のため、休む暇などなかった。418年(64歳)『キリストの恩恵と原罪』を書き、「ペラギウス主義」に対する自らの考え(批判)をまとめた。(149頁)
(o)-2-2 「ペラギウス主義」は、418年(アウグスティヌス64歳)、ローマ司教(教皇)ゾシムスによる異端宣告・破門に至る。(149頁)
(o)-2-3 だがナポリの司教ユリアヌスが、アウグスティヌスを批判する。アウグスティヌスの「原罪遺伝説」は「身体を持った人間の本性」を「罪悪」に決定されていると考える点で、「マニ教の善悪二元論」に陥っており、アウグスティヌスは「隠れマニ教徒」だと、ユリアヌスは辛辣に批判し続けた。(149-150頁)

(28)427年(73歳)、自著93篇232巻の全著作を読み直し、『再考録』を完成させた!ヴァンダル族に包囲されたヒッポで430年8月28日、アウグスティヌスは76歳で亡くなった!
(p)426年、72歳のアウグスティヌスはヒッポの司教職から引退する。その際の説教でアウグスティヌスは語る。「人間は老いていきます。そして不満でいっぱいになります。この世界も老いていきます。それは押し寄せる苦難に満たされています。」(150-151頁)
(p)-2 「世界の老齢化」とはローマ帝国末期の衰亡である。(151頁)
《参考》395年(アウグスティヌス41歳)ローマ帝国は西と東に分裂。アウグスティヌスの死(430年・76歳)の46年後、476年西ローマ帝国が滅亡する。

(q) アウグスティヌスは『告白』(400年・46歳)の第11-13巻で「永遠」と「時間」のかかわりのうちに将来的「希望」としての安息・平安を見つめている。(152頁)
(q)-2 老いの現実のもとで、アウグスティヌスはこの世での自分の職務をできる限り果たそうと努めた。かくて427年(アウグスティヌス73歳)、ヒッポの図書館で自著93篇232巻の全著作を読み直し、年代順に並べて、一つひとつにコメントをつけてまとめた『再考録』を完成させた。(152頁)
(q)-3 その後、『聖徒の予定』、『堅忍の賜物』(428-429年)では、アウグスティヌスは「予定説」に対する批判に応える論述を明晰に語っている。アウグスティヌスの「予定説」は、功績や意志にかかわらず、救われる者とそうでない者が神によって予め選ばれているとする。(154頁)

(r) 429年(75歳)、ガリアのヴァンダル族が南下し、ジブラルタル海峡を渡ってアフリカへ西から侵入した。アフリカ西部のローマ都市は次々に破壊され、430年ヒッポの町はついにヴァンダル族に包囲された。(155頁)
(r)-2 陥落がまじかに迫ったヒッポで430年8月28日、アウグスティヌスは76歳で亡くなった。同僚のポシディウスが『聖アウグスティヌスの生涯』で「彼は、死ぬまでの10日間というもの、ひとりで、まったく祈りに没入していた」と伝えている。(155-156頁)

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