宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

出村和彦『アウグスティヌス』第5章(その1):「ペラギウス主義」(418年、異端宣告される)の問題点①「アダムの罪」と「原罪遺伝説」、②「幼児洗礼」、③「自由意志」と神の「恩恵」!

2022-11-21 18:45:39 | Weblog
※出村和彦(デムラカズヒコ)(1956-)『アウグスティヌス 「心」の哲学者』岩波新書(2017、61歳)

第5章「古代の黄昏」(その1)
(24) 「ペラギウス主義」(418年、異端宣告される)と貴族カエレスティウスのカルタゴで司祭になるための画策!
(a)ドナティストによるアフリカの教会分裂の収拾に奔走していたアウグスティヌスたちに(Cf. 412年ドナティスト鎮圧勅令)、410年、もうひとつの難題が降りかかってきた。ブリトン人ペラギウスとこれに同調する南イタリア出身の貴族カエレスティウスの「ペラギウス主義」の思想と行動である。なお「ペラギウス主義」は、418年(アウグスティヌス64歳)、ローマ司教(教皇)ゾシムスによる異端宣告・破門に至る。(128-129頁)
(a)-2 ペラギウス(360頃-420頃)は修道士でなかったが、パウロ書簡の解釈を通じて、人々に道徳的な自覚を求め、ローマ社会の腐敗を改革しようとした。「自由意志」を重んじ、「キリストを模範とする」生き方をローマの人々に説いた。(128-129頁)
(a)-2-2 410年(アウグスティヌス56歳)、西ゴート族による「ローマ劫掠(ゴウリャク)」を避けて、ペラギウスはシチリアに逃れ、さらにカルタゴに渡った。(129頁)
(b)ペラギウスに強く賛同する人物が、南イタリア出身の貴族カエレスティウスだった。彼も、ペラギウスとともに北アフリカへ渡った。そしてカエレスティウスは、カルタゴで司祭になろうと画策した。(129頁)

(24)-2 「ペラギウス主義」の問題点:①「アダムの罪」と「原罪遺伝説」、②「幼児洗礼」、③「自由意志」と神の「恩恵」!
(c) カエレスティウスの司祭志願の問題は、アフリカの司教たちによるカルタゴ教会会議で取り上げられた。そして411年(アウグスティヌス57歳)、カルタゴ教会会議はカエレスティウスが依拠するペラギウスの考え方を「新しい異端」であると厳しく弾劾した。かくてカエレスティウスは小アジアのエフェソスに去り、ペラギウスもパレスティナに移住した。その後、「ペラギウス主義」は、418年(アウグスティヌス64歳)、ローマ司教(教皇)ゾシムスによる異端宣告・破門に至った。(130-131頁)
(c)-2 「ペラギウス主義」は①「アダムの罪」はただアダムだけの罪であって、その罪がその後の人類に及ぶことはないとする。また②生まれたばかりの赤子は堕罪以前のアダムと同じであり、(北アフリカで慣行とされていた)「幼児洗礼」の根拠を否定した。(130-131頁)また③人間に自由な意思決定能力(「自由意志」)があり、神の助けなしに善意志を獲得できるとする。(134-135頁)
(c)-3 これに対してアウグスティヌスは①人間の本性は「アダムの堕罪」によって決定的に損なわれてしまい、それは人類という子孫全体に伝播しているとパウロ書簡を理解する。「原罪遺伝説」!(135-136頁)それゆえ②「アダムの子孫として生まれてきた人類に伝播している罪」を断ち切って新たに生まれるためには、幼児でも洗礼が必要である。(136頁)さらにアウグスティヌスは③欠陥を持つ弱い人間が、善意志を獲得するのは、神が励まし授けてくださる「恩恵」という賜物がいるとする。ペラギウスは傲慢・高慢である。(135頁)

(c)-4 アウグスティヌスは『霊と文字』(412年・58歳)で、「神の義」への信仰も、あくまでも自力ではなく、神から与えられるものと理解する。(136頁)
(c)-4-2 すでに『告白』(400年・46歳)第10巻でアウグスティヌスは「慎み」(コンティネンティア)を求めて「あなたの命じるものを与えたまえ、あなたの欲するものを命じたまえ」と神に祈っている。(ペラギウスはこの祈りについて理解できず、激怒して厳しく拒否したという。)(137頁) 

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