三味線弾きの日常。

おもに津軽三味線弾き唄い。
ときどき地歌・上方唄。こっそり義太夫三味線。
三味の音を一人でも多くの人に届けたい。

未来のサムライミュージシャンズ発掘コンテスト 優秀賞受賞!

風舞。

2006年10月07日 | 響喜
ライヴから一夜明けて。ちょっとしみじみ。

昨日は、本当に久しぶりに、<風舞>を演奏しました。
多分、ミノヤホールの曼荼羅ライヴ以来だから、三年ぶりぐらいです。

この曲は、響喜の最初のオリジナル曲、というか、
順番からいうと、<風舞>ができたから、響喜もできたのです。

作曲の授業で、mihorinと一年がかりで作って、卒業演奏会で初演。

そのきっかけも、
何か作らなあかんし、せっかく和楽器やってる人間が二人いるねんから、
一緒に作ってみるか~ みたいなノリで。
完成予想図なんて何もなかった。
こんな曲を作りたい、とかもなくて、
ただ、三味線と篠笛を使って、曲を作りたい、ていうだけ。
初めてのことなので、何回も書き直した。
もともと西洋音楽畑だったので、
気を抜くと、洋楽的なフレーズが出てきたりして、
でも、それはやっぱり違和感がすごくあって。
菊地先生が的確にその都度、軌道修正してくれて、
あの1年で、曲作りの基本的なやり方を学んだ気がします。
和楽器で曲を作る上で、避けるべきことは何か、
どういうときに、ダメ出しするべきか、みたいなラインを掴めたと思う。

で、せっかく作って、この一回でおしまいってのも淋しいよねぇ・・・
というのが、響喜結成の発端でした。

ライブイベントが最初で、それから2年ぐらい、3人で活動してました。
その中で、<風舞>はずっと演奏してきてて、
これをもって、青森に遠征したこともあるし、
本当に思い出深い曲です。

そして。
響喜がなかったら、今頃、私どうしてただろうって思います。
思いつめて、山唄か甚太古か浅草追分あたりに住み込みしてたかも・・・

何よりも。
響喜がなかったら、出会えなかった人たちがいっぱいいます。
昨日、カザルスで会った人たち、ほとんどみんなそうだと思う。
今、一緒にやってる、ゆんぴやくーさんとも、
響喜がなかったら、そんなに接点もなかっただろうし、
アフロ☆ボンのメンバーとも、BATI-HOLICとも、出会うことなかっただろうし、
(そのふたつと私を結んでくれたのは、木場くんですが、
 彼とも響喜がなかったら出会わなかった)
当然、カザルスのマスターとも出会わなかったでしょう。

だから、これからも、ずーっと、響喜をよろしく。

                       あーーー毎日、日記長いぞ!
コメント (2)
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