『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

秋の一日(その2)

2015年10月16日 | 保育
今日は稲刈り


春に田植えをした苗は、
こんなに立派になって
秋の収穫を迎えました。
餅米(白毛餅)です。



案山子に見守られて
稲刈りが始まりました。



いまはもう、
ほとんどが機械化。
例え、自分の家で稲作をやっていても
手作業で、「稲を刈る」ことなんか、
もうしません。

それを、一人一人が稲刈り鎌を持って
自分の植えた苗(成長した稲の株)を
一株ずつ刈り取る経験をさせてもらいました。





刈り取った稲は
JAの青壮年部の皆さんが束ねてくださいました。
私も、十何年ぶりかでやってみました。
「昔取った杵柄」で・・・
何とかできました(苦笑)


束ねた稲は、ハザ架けをします。





今年は気候もよく、豊作のようです。

収穫した餅米で、
収穫祭と感謝祭の餅つきをする予定です。
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3 コメント

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伊那谷の保育 (chidori)
2015-10-16 10:29:55
民衆的な保育は 全市的なもの?
それは素晴らしいですね。その土壌はきっと先輩たちが培ってきたものでしょうね。私の友人(保健婦)が娘は長野に嫁いだ、と伝えると、長野はいろんなことで先進的な県です。保健婦?さんで有名な業績を残された方がいます。[娘の義母が保健婦さんを務めあげた人)と言われました。佐久の医療も私たちはうたごえで、毎年素晴らしい合唱を聞きました。肥田りんたろう先生も確か・・。

今日の稲刈りも、都会ではとてもできないことです。稲が育つプロセスを体で学習しておけば 生涯米についての思いが残っていくでしょう。
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僭越ながら・・・・・ (hi-chan)
2015-10-16 22:28:31
chidori さま
ここ10年、ようやく私たちがやりたかった保育が、徐々に出来る様になりました。
私たちの年代が園長になって、園長会や保育協会でその方向を示してきたからだと思っています。
40代前半、まだ保育士現役だった頃、保育園は腐りきったような空気でした。
新しいことに挑戦しようと思っても「課に聞いてから」という園長の一言で、いつもつぶされました。
何も新しいことをしない、前例に倣う、保育士の都合で保育が進められていく、そんな保育に嫌気がさしていた頃、副市長に拾われました。
本庁(市役所内)に入って、保育園改革を手がけました。当時の園長や副園長には恨まれましたけれど、ひどいいじめもありましたけれど、保育観のあう何人かの友人たちに、いつも救われました。
その友人たちが今は、皆園長になって、伊那市の保育を引っ張っていってくれています。
もう安心してみていられそうだから、そろそろ一線を引いてもいいかな、と思うこのごろです。
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なるほど、まだ歴史は・・ (chidori)
2015-10-17 00:03:34
きっかけは団塊の世代…戦後の厳しい時代を切り抜けて、黙っていては変わらない・・という皆さんですね。

正に・・この方々が高齢者に仲間入りすると、後がグーンと少なくなるので誰が介護するのかという話題が介護講習会で出ましたが。

いいメンバーに出会って、色々は反発も受けながら勝ち取ってきた?歴史だったんですね。知ったかぶりをしてしまいましたが、私たちも認可外の子どもたちにも 光を当ててほしいその先駆けとなり、行政や世間に、掛け合ってきて、今はかなりの助成、支援が受けられるようになりました。待っていては変わらないという事ですね。
なるほど・・・敬服しました。
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