『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

地御前神社の石鳥居

2015年08月16日 | 「廿日市地区」ぶらり


地御前神社の石鳥居の刻銘をみると明治31年(1898)1月とあり厳島の人達など23名の名がみられる。この鳥居は明治30年(1897)9月に山陽鉄道宮島駅の開設に伴って宮島口に建立されていた。
大正4年(1915)に倒壊していた地御前神社の拝殿修復と共に宮島駅から宮島口桟橋間の拡幅整備に伴って撤去されていた石鳥居を貰い受け3500円を費やして地御前神社に建立したものである。

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招かざる客が!!

2015年08月15日 | その他


猿や猪が出没したことは先日来紹介してきたが、又また招かざる客「ハミ」が当ブログ主宅裏山に出没した。蛇は大の苦手であり蛇の種類が分からないので画像をマムシ酒を造っている人達に見てもらったらマムシとのことであった。
こんな近場にいるとはびっくりでマムシ酒を造る勇気も無い、当山上には地域の墓地がありお盆で墓参する人が多いので注意表示をしておいた。

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高価だったが効果がなかった

2015年08月14日 | その他


当ブログ主の田んぼに隣接する畑まで猪が出没するようになって耕耘機で耕したように掘り返している。
田んぼに入られては大変なのでブルーの光で猪被害を防止という装置を購入して取り付けたがブルー電球のすぐ脇をすり抜けて掘り返していた。急遽、使用済である魚網を入手して田んぼ周りに張り巡らしたのであるが防止できればよいのであるが・・・

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日覆いテントのある県道

2015年08月13日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島町を通っている県道170号厳島港厳島神社線は宮島商店街で道路上には開閉式の日覆いテントが設置されている。
道路上の構築物であるので道路占用許可が必要なものでこれは全面占用となるのであろうか。以前国道433号線上をTV共同アンテナ線が通ったために幅0.01m×延長長さで道路占用許可申請をしたことがあった。

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荒胡子神社と廿日市えびす

2015年08月12日 | 「宮島地区」ぶらり


愛媛県内子町廿日市の栄恵美須神社(下左画像)は厳島の「荒えびす」を分祀し願成寺の門前町集落に祀ったもので、当市天満神社境内の胡子神社(下右画像)も古くは佐西の浦の四辻に「荒えびす」を分祀し祀られたものであろう。
両集落では毎月20日の市日には恵美須神社の御開帳があり、「廿日の市えびす」として信仰心のつよかった当時の人々は、遠方より参詣して集落は繁栄し、このようにして「廿日の市」が著名となって地名になったようである。「廿日市地名の起源について

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荒胡子神社と鰐口釜

2015年08月11日 | 「宮島地区」ぶらり


塔の岡にある五重塔下にある荒胡子神社でかつて社殿に掲げられていた鰐口は永正17年(1520)に廿日市の町人たちが寄進したものでおそらく廿日市の鋳物師が鋳造したものであろう。
江戸期にこの鰐口を模して茶道に使用する鰐口釜が鋳造されており、江戸期の地誌芸藩通志の絵図にみられ(下左画像)、現物も数口残されているようである。(下右画像)

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厳島神社の常夜燈籠

2015年08月10日 | 「宮島地区」ぶらり


厳島神社社殿の火焼前と左門客神社の間に建立されている常夜燈籠で、文久4年(1864)に白市鋳物師の伊原惣十郎藤原政義によって鋳造されたものである。
燈籠には細工人の名前や寄進者とみられる広島、大坂、江戸、伏見などの商人の名前がみられる。白市鋳物師の伊原氏については「安芸国鋳物師の鋳造活動」に詳述している。

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厳島港商船桟橋跡

2015年08月09日 | 「宮島地区」ぶらり


上画像の建物は広島経済大学成風館で左側遠くに宮島港桟橋がみられる。成風館の地はもと商船桟橋(下絵葉書画像)があったところで、かつて大阪商船、尼崎汽船の大阪下関線や尾道別府線が寄港していたようである。
当ブログ主が若い頃には呉・広島・別府航路が寄港していたのを記憶しているがいつまで寄港していたのであろうか。昭和49年(1974)の住宅地図には宇品汽船、宇和島運輸専用桟橋とある。

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ギョ! ぎょ! 魚!

2015年08月08日 | 「宮島地区」ぶらり


孫達と宮島水族館(みやじマリン)に・・・見たことがない頭がへこんだ半冷凍状態の深海魚に触れることのできるコーナーがあった。
「サケガシラ」という名前がついた深海魚のようでザラザラとした触感であり、暗い深海に生息しているためだろうかぎょろっとした大きな眼である。

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瀬戸滝-咬龍の滝

2015年08月07日 | 「吉和地区」ぶらり


市域では最大の滝で十方山系から流れる瀬戸谷に形成された瀬戸の滝で、上下二段の滝があり約50m位の落差がある。瀬戸滝には遊歩道が整備されており滝下の展望所では天然のドライミストで涼を採ることができるが水量が多い時にはびっしゃこになる。
以前、瀬戸滝の上部から滝壷を見たことがあるが滝は下から見上げるものである。滝の上部から瀬戸谷を遡り右谷、ウシロヤマ谷の源流域から十方山登山道に至ったことが思い出される。

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万古渓-ふぶきの滝

2015年08月06日 | 「佐伯地区」ぶらり


毎日うだるような暑い日が続いているので画像からの水しぶきでちょっぴりと涼を!?
佐伯地区の所山から助藤に向かう途中の小瀬川支流大虫川渓谷「万古渓」にあるふぶきの滝である。
ふぶきの滝呼称は昭和16年(1941)頃の「万古渓」命名と同時に命名されたようで、江戸期の地誌には「大魚切と唱へ来申候」とある。

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盆燈籠づくり2

2015年08月05日 | その他


盆燈籠の制作で骨組み作りと燈籠紙の切り取りや飾り房の作成など前日までに終わり昨日は骨組みに貼り付け、飾り付けを行い今年も墓前に供える盆燈籠が出来た。
このような灯籠は浄土真宗安芸門徒を中心に伝承してきた習俗のようである。若い頃に高松地方を訪れ墓地にその地方独特の盆燈籠が供えられていたのを思い出したが現在でも伝承されているのであろうか。

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盆燈籠づくり

2015年08月04日 | その他


お盆が近づいてきたので墓前に供える盆燈籠の制作に取り掛かった。2月ごろに伐って置いた竹の先を6つに割って朝顔型に組んだ骨組みを作った。赤・青・黄・緑・紫・桃色の色紙を切り取り角先に取り付ける飾り房の作成が意外と手間取るのである。
昔は各家で灯籠を作っており、そのなごりで現在でも廿日市の文具店では燈籠紙のセットが売られており、昨日不足分を購入しに行ったら燈籠作りの先客がおられ久しぶりに燈籠作りの人に会ったと言っておられた。

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薄鉄板製の鬼瓦・懸魚

2015年08月03日 | 「佐伯地区」ぶらり


中道地区でみられた民家で以前は草葺き屋根であったものの上に薄鉄板葺としたものであり箱棟部分も瓦状の薄鉄板葺である。
箱棟部分の鬼瓦部分は薄鉄板で加工されて家紋が取り付けられており、破風板も薄鉄板で雲型の懸魚も薄鉄板を切り抜いたものが取り付けられている。

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丹後屋小路

2015年08月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


廿日市地区の天神9番と10番との間にある小さな小路で江戸初期の絵図(廿日市町史附録絵図)にこの小路は丹後屋小路(別絵図-たんこや小路)と記されている。
丹後屋は町人の屋号とみられ小路周辺で何らかの関わりがあって小路名が付けられたものと思われる。江戸初期の絵図や地詰帳にも丹後屋屋号はみられなかったが中世の時代に丹後屋屋号の町人が居たのであろうか。

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