昨日紹介した佐方川沿いにJR山陽本線の鴨原踏切があり、鴨原の地名は江戸時代に藩主が鷹狩りをする鴨原(鷹野)があったからである。当時、佐方1丁目から4丁目一帯は葦(アシ・ヨシ)が生い茂った湿地帯であったようである。
江戸時代の終わりごろ弘化3年(1846)1月25~27日に広島藩主が廿日市に逗留して鴨原で鷹狩りを行って鷹、真鶴、真鴨、小鴨、鷺、五位などが狩猟できたようである。
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