一昨日の新聞報道で厳島神社の楽房などの修理開始の報道があった。現在楽房の屋根は直線となっているが明治30年代頃までは社殿風の反りのある屋根であった。
江戸期の厳島図会絵図(下左画像)や明治30年代の発行と思われる絵葉書(下右画像)にみられる社殿風の屋根であるが、明治37年(1904)発行の厳島名勝写真帖写真では屋根が直線となっている。明治30年代に楽房の修繕が行われているのでこの時に改変されたようでありどのような理由で反り屋根が直線屋根になったのであろうか。
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