洞雲寺の東墓地にある桜尾城々主であった桂元澄夫妻墓碑で、元澄は永禄12年(1569)7月5日に没しており墓碑(上画像)基礎には「南無阿、大江元澄、弥陀仏」と刻されている。
隣接した夫人の墓碑(下画像)は元西墓地にあったようで、墓碑基礎には「慶長弐〇丁酉、一月正輪大姉、〇〇春廿七日」と刻されており、元澄の後妻志道広良女の墓碑である。
洞雲寺の東墓地にある桜尾城々主であった桂元澄夫妻墓碑で、元澄は永禄12年(1569)7月5日に没しており墓碑(上画像)基礎には「南無阿、大江元澄、弥陀仏」と刻されている。
隣接した夫人の墓碑(下画像)は元西墓地にあったようで、墓碑基礎には「慶長弐〇丁酉、一月正輪大姉、〇〇春廿七日」と刻されており、元澄の後妻志道広良女の墓碑である。