地御前神社での舞楽が奏された後に型どおりの流鏑馬神事が行われた。かつて地御前神社前から観音堂下までの間を、馬を飛ばして矢を方式通りに射ていたようで、その後に一般の馬がその間を囃し立てられながら飛ばしていたので「馬とばし」と呼ばれたようである。
江戸期の地誌には「但往昔者流鏑馬御馬三疋之処、中古安永年中之頃ヨリ弐疋ニ相成リ、当時者壱疋ニ成ル」とあり、かつては流鏑馬が盛んであったようである。
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