地御前神社での舞楽が奏された後に型どおりの流鏑馬神事が行われた。かつて地御前神社前から観音堂下までの間を、馬を飛ばして矢を方式通りに射ていたようで、その後に一般の馬がその間を囃し立てられながら飛ばしていたので「馬とばし」と呼ばれたようである。
江戸期の地誌には「但往昔者流鏑馬御馬三疋之処、中古安永年中之頃ヨリ弐疋ニ相成リ、当時者壱疋ニ成ル」とあり、かつては流鏑馬が盛んであったようである。
goo blog お知らせ
プロフィール
ログイン
最新コメント
- ひろし曾爺1840/Amebaブログに移転
- hera/マキノバス自動車待合所跡(広電バス廿日市営業所跡)
- 鈴木弘子/マキノバス自動車待合所跡(広電バス廿日市営業所跡)
- hera/木炭自動車が!
- nk0840/木炭自動車が!
- nk0840/ 平良丘陵開発の今
- hera/ 平良丘陵開発の今
- nk0840/ 平良丘陵開発の今
- hera/抹茶碗で一服⑥-楽山焼
- nk0840/抹茶碗で一服⑥-楽山焼