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『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

室積浦の専光寺

2013年01月06日 | 廿日市関連


先日、光市室積浦を散策して海商通りにある寂照山専光寺を訪れた。当寺は先日来紹介している宮島光明院に関わりのある寺である。
当寺の開基は運誉上人弁西大和尚で光明院の以八上人の弟子であり光明院二世で、元和年中(1615~1623)に当寺を再興したようである。

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八所宮にある厳島神社の梵鐘

2012年10月09日 | 廿日市関連


所用で福岡県宗像市に行ったついでに古社である八所宮に行きここにある厳島神社の梵鐘を拝見した。
この梵鐘は豊臣秀吉の島津攻略の際に八所宮から持ち帰って厳島神社に寄進したと言われており、昭和59年(1984)に八所宮に貸し出されたようであるが以降そのままになっているようである。広島県教委のHPによると現在も広島県重要文化財で八所宮へ貸出中とある。

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宇佐八幡神社の鉄燈籠

2012年09月04日 | 廿日市関連


宇佐八幡神社本殿脇にある覆屋の中に鉄燈籠の笠、火袋、中台、基礎部分が残され、錆で表面はボロボロになっている。(現在は垣があり容易に近づいて見物できない)
江戸期の地誌に銘文が記されており永享9年(1437)に大工藤原朝臣安信がこの鉄燈籠を鋳造している。鋳物師の藤原朝臣安信は廿日市の鋳物師ではないかと思われるのである。

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永平寺

2012年07月31日 | 廿日市関連


当ブログ休止中に所用があって小松市に行った途中に曹洞宗大本山永平寺に参詣した。
中世兵火にかかり伽藍が焼失していた永平寺を廿日市洞雲寺開山の金岡用兼らが師の為宗仲心などと共に諸堂、寮舎、叢林の諸施設を復興しているのである。金岡用兼は永平寺復興の功労者で永平寺では毎朝開山以下の歴住と共に回向されているようである。

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阿賀速田神社の神輿

2012年07月12日 | 廿日市関連


美和町歴史民俗資料館に展示してある阿賀速田神社の神輿で、江戸期の地誌に神輿三基とあるのでその内の一基であろう。
阿賀速田神社は古い時代に上平良地区の速田神社(現在速谷神社)が分祀され祀られたものとみられ、廿日市と山代地方との関係が窺われるのである。    ※阿賀速田神社:09.11.14紹介

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生見の鉄燈籠

2012年07月11日 | 廿日市関連


岩国市美和町の美和町歴史民俗資料館にある鉄燈籠で、山代衆(旧美和町、錦町、本郷村、美川町一帯の土豪をいう)の中村氏が先祖の菩提を弔うために天文15年(1546)に建立したものである。
この鉄燈籠は廿日市の鋳物師である久枝綱家が鋳造したもので、中世ころから廿日市と山代地方との関係が窺われるのである。

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田吹速田神社

2012年06月07日 | 廿日市関連


安芸太田町上田吹にある速谷神社で江戸期の地誌には速田神社とあるが現在は速谷神社といわれているようである。
厳島社との関わりの深い時代に平良の速田神社(現速谷神社)を勧請して祀られたものとみられる。

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元家納喜酒造の醸造用水

2011年12月21日 | 廿日市関連

 

かつての家納喜酒造の醸造用水は比治山北麓にある比治山の名水が使用されていた。

比治山の名水は家納喜酒造と蓬莱鶴を醸造している白島九軒町の㈱原本店との共同井戸であったようである。

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元家納喜の磁器製酒樽

2011年12月20日 | 廿日市関連

 

廿日市の銘酒家納喜を醸造していた家納喜酒造は平成12年に廃業された。先日かつての磁器製酒樽を某家で拝見させて頂いた。

上画像と中・下画像の2タイプがあって中・下画像のものは大小の2種類である。何時の時代のものかは不明であるが上画像のものは丸亀醸とあるので丸亀商店時代に使用された家納喜の磁器製酒樽とみられる。

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須賀町住民の寄進水鉢

2011年12月04日 | 廿日市関連

 

以前紹介した佐伯区三宅の円明寺境内にある任(仁)助法親王宝篋印塔の前面に廿日市須賀町の住民が寄進した水鉢がみられる。

任(仁)助法親王宝篋印塔は元文2年(1737)に建立されており、この水鉢は宝暦9年(1759)に建立されている。どのような関わりがあって須賀町住民が建立したものかは定かでない。

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円明寺の任(仁)助法親王宝篋印塔

2011年11月15日 | 廿日市関連

 

伯区三宅の西広島バイパス側道脇にある円明寺で境内には天正12年(1584)厳島西方院で入寂した任(仁)助法親王の宝篋印塔がある。

史料によると任助法親王の葬地は二十日市極楽寺とある。この任(仁)助法親王の宝篋印塔は元文2年(1737)に建立されており、任助法親王の墓は宮島口更地別れの踏み切り脇にあるものが宮内庁管理の陵墓とされている。

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阿波の丈六寺-3

2011年11月06日 | 廿日市関連

 

丈六寺裏山墓地にある開山の金岡用兼の墓と開基の細川成之の墓で、いずれも無縫塔が建立されており金岡用兼のものは覆屋が設けられている。

阿波国守護の細川成之や大内氏歴代は五山禅僧との密接な関わりを持っていた関係で、大内氏影響下にあった洞雲寺の金岡用兼が招かれて細川成之の帰依を受けたもの思われるのである。

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阿波の丈六寺-2

2011年11月05日 | 廿日市関連

 

丈六寺は阿波の法隆寺とか阿波の正倉院といわれるくらい多くの文化財を所蔵されている。

総門(一の門)から中門(二の門)、三門の正面には本堂があり三門から両側に回廊があり、右側回廊途中に徳雲院、左側回廊途中には禅堂が配置された伽藍配置である。

建造物の三門(上左)、本堂(上右)、観音堂(下右)、経蔵と聖観音坐像、細川成之肖像画は国の重要文化財に指定されており、書院、徳雲院(下左)は県の重要文化財に指定されている。

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阿波の丈六寺

2011年11月04日 | 廿日市関連

 

当ブログ休止中に四国方面の各地を放浪したのでネタ切れを補うために紹介します。

徳島市丈六町にある丈六寺は廿日市の洞雲寺と深い関係のある寺で、洞雲寺開山であった金岡用兼が阿波の守護職であった細川成之に請われて開いた寺である。文化の日前後に宝物館が開館されるのに併せて30数年ぶりの探訪をした。

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龍文寺の陶氏一族墓所

2011年09月29日 | 廿日市関連

 

龍文寺は陶氏一族の菩提寺であり本堂裏手の山中に陶氏累代の墓碑が50~60基ずらりと並んでいる。

厳島合戦で陶氏の当主隆房(晴賢)は毛利元就に滅ぼされて陶氏は滅んだ。陶晴賢は桜尾城で首実検の後洞雲寺に葬られ墓碑が現在でも残されている。

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