子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

59. 母校再訪

2013年05月09日 | 疎開生活
5月9日、母校の国民学校を訪れました。道路から少し入った高台にありますが、入り口を間違えて、通り過ぎてしまいました。50メートルくらい引き返しました。

学校の面影は全然ありません。「ふれあい広場」という名称になっていて、男女6人がグラウンドゴルフをしていました。


戦争が終わって分散授業から本校に帰って、運動会があったことを思い出しました。グラウンドゴルフをしているところを走ったものです。

なにか当時のものが残っていないかと歩いてみました。
サクラの木は青葉になっています。わたしが小さい小さいサクランボを食べたサクラと同じかはわかりませんでした。

グラウンドの隅に旗を立てる石、幟枠(のぼりわく)とか旗杭(はたくい)とか言うらしいです。これが残っていました。


「謝恩記念  森十造  昭和十一年九月弐三日」の文字が刻まれていました。
確かにわたしたちの国民学校時代にもあったものです。