子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

71. ボロ校舎

2013年06月29日 | 中、高時代
中学校の校舎には驚きました。

わたしが中学校に入学したのは昭和21年(1946)4月です。その翌年7月からNHKラジオで「鐘の鳴る丘」というドラマが始まりました。このドラマの主題歌は”とんがり帽子”(菊田一夫作詞、古関裕而作曲)。その歌いだしは♪緑の丘の赤い屋根 です。これが放送されるとすぐに替え歌が作られました。

♪○○丘のボロ校舎 ほんとにボロ校舎でした。教室の窓ガラスは破れてなく(冬は風が吹き込み寒かったです)、廊下側の腰板も破れていました。後ろ側の戸(木製でした)も開け閉めしなくてもこっそり出入りできました。出席を取られた後抜け出す生徒が利用するのです。代返(代理で返事すること)は何人分もできないので、返事は自分でして、そのあとエスケープする者もいました。

廊下もひどかったです。あちこちの踏み板がなく、そこに足を突っ込んで大けがをした者もあったそうです。

荒れていたのは校舎だけではなかったです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿