Heart and Aqua

優しい時間~ゆっくりしていってください。

不自由ということ

2007-03-11 | こころ
先日までのあたたかさとはうってかわって
今朝は、小雪がちらつくほどの寒さでした。

挨拶をする程度なのですが、私の家の隣のアパートに住んでいる、
3~4歳くらいの男の子のいるおかあさんがいらっしゃいます。
少し足が不自由な方です。

(「不自由」という言葉が、適切なのかどうかはわからないのですが、
 もし、不適切だったら申し訳ありません。)



今日、その人が、片手で杖をつきながら、
片手で、重そうな灯油のポリ缶を持って歩いておられて、
たまたま、車で通りかかった私は、思わず降りて、
「持ちます!」と、灯油缶をにぎってしまいました。
(たぶん、それを見た誰もがそうするだろうと思います。
 あまりに重そうで、見ていられない感じだったのです。)

でも、もしかしたら、いつも自分ひとりで、重い灯油缶を運んでいてて、
慣れているのかもしれません。
もしかしたら、人の手など借りなくても、
自分で運ぶことに決めておられるのかもしれません。

私の行為自体は、なんでもない当たり前のことなのですが、
相手の反応は、きっと人さまざまで、
それによって、こちらが後味の悪い気持ちになることもあるかもしれません。

でも、その人はにっこり笑って、
「ありがとうございます。助かります」と、
うれしそうに言ってくれました。

もし、「自分ですることにしてますから」といわれても、
「あ~そうなんだぁ~、立派だなぁ」と思いますが、
私のなんでもない当たり前の行為に、素直に感謝の言葉を言ってくれて、
こちらもとてもあたたかい気持ちになりました。

ありがとうございました。



世の中には、不自由な方はたくさんにらっしゃいます。
(不自由という言葉がいけなかったらすみません)

手足が不自由であったり、目や耳が不自由であったり。
先天的な場合もあれば、事故や病気で後天的にそうなる場合もあります。

ありがたいことに、骨を折るような怪我をしたことも
入院するような病気をしたこともない私は、
なにかが不自由、というような経験がありません。

そういう経験があれば、そういう人たちの気持ちが少しでもわかって、
こんなときには、こうしてもらったらうれしいなぁ、というのが
少しでもわかるのかもしれません。

でも、今は健康な自分も、未来には何が起こるかわかりません。
年齢を重ねれば、誰しもどこかしら不自由なところも出てくるでしょう。
もしそうなったとき、自分が困ったときに親切をいただいたら、
今日のお隣の方のように、
素直に「ありがとうございます」と言える人になりたいなぁと思いました。

人の気持ちを素直に受け取って、
ありがとう、って感謝する心、
優しい笑顔。

身体的に不自由なことになっても、
ココロの不自由な人にはならないように・・・
そんなことを思った今日でした。