黍生山の村夫子 (きびゅうやまのソンプウシ)

黍生山の村夫子が「蜂を追っかけた」とか「山が笑った」とか言ってます。

川中島

2014年04月28日 22時53分53秒 | 日記

昨日面さん、俊さんと山菜取りに行きましたがその時俊さんが見つけたサラサドウダン
釣鐘が長くて一寸ドウダンにしては違和感を感じますが でもサラサドウダンでどうだん?
花先のピンクがとても上品でした

 
このドウダンは本当に逸品
で右は不届きにもそのドウダンの根を掘り捲くっていた猪
じゃなくって寧比曾守さんに戴いた猪の肉入り最中
嘘ですフツーの最中です
水飴が多いのか粒餡が固めで美味しかったです
御馳走様でした
あっ!地図は行った所とは無関係です

では漢詩 今日は日本の漢詩です
江戸時代の儒学者・中山頼山陽の有名な「川中島」です

鞭聲粛粛夜過   べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
暁見千兵擁大   あかつきにみる せんぺいのたいがをようするを
遺恨十年磨一剣   いこんなりじゅうねん いっけんをみがき
流星光底逸長   りゅうせいこうてい  ちょうだをいっす

 鞭の音も静かに真夜中に上杉軍は川中島をめざして千曲川をわたる
 夜が明けて武田軍が見たものは幟旗を立てた千万の兵隊だった
 信玄を討つ為この10年謙信は一心に銘刀を磨いてきた
 その銘刀が振り下ろされた刹那、信玄はこれをかわしたのだった

先日の「初夏」は一寸判り難かったので今日はこれにしました
余りにも有名な詩で皆さんご存知かと思います
山本勘助のキツツキ戦法が敗れた瞬間ですね
山本勘助はその存在自体も疑問視されたり出身も豊橋市だったり富士市だったりしますが
北越軍談では此処から車で15分の豊田市寺部となっています