黍生山の村夫子 (きびゅうやまのソンプウシ)

黍生山の村夫子が「蜂を追っかけた」とか「山が笑った」とか言ってます。

辞世

2011年08月20日 16時01分13秒 | 日記
 裏谷のマムシグサ
黒髪の 乱れたる世ぞ 果てしなき 思いに消ゆる 露の玉の緒 

母の葬儀の時父が「母の辞世だ」と言って私に見せた今年の1月末の事である
何でも 母の手帳の最初のページにこれが書いてあり次のページにはバカの住所とと妹の嫁ぎ先の住所が書いてあるだけだったと言う
母の句にしては上手すぎると思ったしかし葬儀の日でもあり落胆している父にそれを言うのは忍びなかった
それ以来忘れていたが昨日ふっと思い出した
露の玉の緒がどうも気になっていたのだ88迄生きた母が露の玉の緒はおかしいそれに思いは消ゆるではなく 思いに消ゆる が上手すぎる
で、調べてみた驚いた事にこの句は武田勝頼の妻相模の辞世であった
それで納得した母の生家は武田家滅亡の地にあり母はそこの関所代官の娘であった
勝頼等が自害した景徳院のお墓の近くにこの句碑が建っていると言う
バカは全く知りませんでした
驚いた事にその165年前に武田家は一度断絶しているその時武田信満が自害したのも同じこの地であった墓は景徳院よりもう少し奥の棲雲寺にある
勝頼はこの地を目指して来たのでは無い岩殿城を目指していたがそこの家臣が寝返った為もうここしか道は残されていなかった皮肉にもそこは165年前先祖が切腹しお家が断絶した地であったそして今度は本当に武田家が滅亡するそれにしてもその時北条の娘相模は19歳であったと言うAKB48みたいな歳で相模はこの句を詠んだのである