今の時代
私たちの周辺をみわたすと、がん患者がいることが珍しくなくなったようです。それだけ寿命が延びたのかとも思われますが、新しい「がん」の要因も増えているようですから、寿命のみに原因があるとも言えないようです。
特に共通の話題として
昔から芸能人の「がん告白」があるようで、克服した人もいれば、克服できなかった人もいます。
老若男女を問わない交通事故死が減ってきたかと思っていると、若くしてがんを発症した人もみられるようになり、皮肉なものですね。
「がん」については
わかってきたこともたくさんあるようですが、一方では、まだまだ解明できていないことの方が多いようで、細菌による病気を克服してきた人類が、抗生物質に駆逐されない力をもつように進化した微生物と再び対抗する時代になっているようです。
まだ人類には「運命に左右される部分」がたくさんあるのでしょう。「がんと闘うことの大切さ」もありますが、どこかに「あきらめの境地」がある、と言えます。
こういう現代がかかえる問題点をよく理解していると、人類が経験してきた恐怖をより深く理解できるかも知れません。
- かつての「怨霊(おんりょう)」や「祟り(たたり)」は、今の時代の人から見れば、ばかげた迷信なのでしょうが、当時の人たちには、自らが解明できないもの「運命に左右される部分」がたくさんあり、どこかに「あきらめの境地」があったと思われ、それが「末法思想」となっていたようです。←講釈師、みてきたようなウソを言い!(あんた、平安時代からの生き残りか?)
- 一部の地域では、かつてキリスト教による「恐怖の支配」がありましたが、当時の人たちは、それが「恐怖でもなんでもない」ようにとらえていたようです。それが現代では、「奇妙な」キリスト教-「時代遅れの」イスラム教という形で、「一神教同士の先の見えない争い」として残っております。それぞれの陣営が、「自分のほうが正しい」と信じて疑わず、暴力に走る人たちがいることは皆様御承知の通りです。世も末でこれこそ「運命に左右される部分」なのでしょうか。←キリスト教徒でもイスラム教徒でもない私だからこそ言えますね(笑)。
- まだ解明されたとは言えないない「がん」についても似たようなところがあり、それが「運命に左右される部分」なのに違いなく、したがって今の私たちがいっそう「怨霊(おんりょう)」や「祟り(たたり)」についての理解を深められるはずだと、思っています。これらはもちろん迷信には違いありませんが、違った意味で理解が深まるかも知れない、と申し上げています。
- いつの時代にも、まだ解明されていないことがあるもので、日常のすべてが解明されていると信じている人のことさえ1000年後の人は、「1000年前の人も迷信にとらわれていた」と回顧することでしょう。とはいえ、「いやそうではない、今が一番進んでいる」とおっしゃりたい方もいるはずです(笑)。
- しかしこういう視点があればこそ、1000年前の1016年に摂政となり、のちに「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠ったとされる藤原道長〔Wikipedia〕のことについても、私たちは少し理解が深まるのではないかと思います。
- 平安時代の人には、「怨霊」への恐怖とあきらめの両方があった、と私は考えていますが、これが現代人の「がん」への恐怖とあきらめ、と似ていると思うのです。
最近の「がん」でニュースになっているのは
何と言っても、小林麻央でしょうか。〔Wikipedia〕
ただし私は、スポーツ紙や芸能誌を購入したことがほとんどないし、またドラマなども数少ない例外を除いてほとんど見ませんし、予備知識があればきっとおもしろいはずの歌舞伎にも関心がないため、小林麻央や市川海老蔵の過去をまったく知りません。
まぁ言い方を変えるならば、それだけ「汚染されていない」のかも知れません。ちまたに溢れる「専門誌(せんもんし)」は愛好家にとってはありがたいものでしょうが、ある意味で「洗脳誌(せんのうし)」なんでしょうね(笑)。
小林麻央に関しては
- 今年の▲◇※までもたないのではないか。
- もうステージ4の段階なのではないか〔がんのステージ〕。
- 「がんばれ」の声援。
などが寄せられていると、少し前から聞きおよんでいます。
がんと共に歩むために 麻央さんブログから考える
引用しましたが、このテレビ番組を私は視聴しておりません。
昔では考えられなかったことですが、今では本人にその意志さえあれば、自分の言葉で闘病生活を発信し、広く世間の人に知って貰える時代になりました。
かつては相当の有名人が病に倒れた場合でも、担当医師などから現状報告が得られるだけで、家族が死後になってコメントを発したものです。
つまり、本人が発症した頃から日常をつづれるようになったのは、画期的なことと言えます。
がんの場合
- 遺伝的なもの
- 後天的なもの
しかし同時に
寿命が延びて、非常に多くの人ががんを発症するという「ありふれた」時代になりました。
さらに「がん」の原因が解明されたとは言えない時代ですから、「運命に左右される部分」とみなすようになったためか、あまり深刻には取りあげなくなってきたようです。
誰にも起りうることだとみなされてきたのですね。
先日
2016年度のノーベル生理学・医学賞が大隅良典の「オートファジー」研究に授与されたようです。
まだ解明の途中なんでしょうが、私たちのからだは、初期のがん細胞に対しては「異物として排除する」動きを示し、発達したがん細胞の場合には「生存継続に関わる」動きを示す、という一筋縄では把握できない性質をもっているらしく、この方面での研究が進めば「がん」研究が大きく進展するのかも知れません。
通常細胞とがん細胞の、無制限の戦いなのでしょうか。
後天的な「がん対策」について、いまさら私が述べるまでもありませんが・・・・・・そう言いながら何かを言い始めていますが
- 発がん物質を遠ざけること
アスベストなどの廃止
食品添加物・・・・・・これは身近ですが深刻な問題
規制されているから安全、とも言えないようで、むしろ規制されおらず安全だと思われている添加物が複合汚染で何らかの悪影響を及ぼしているのかも知れません。
これだけは100年後でないとわからないもので、いわば私たち人類はやむを得ない「実験マウス・ラットの役割」を果たしていると言えます。
- 放射線や紫外線
- ウイルスや細菌によるがん誘発
これも減らせるはずです。
- 活性酸素とがんの関係
遺伝性のがんについては
こちらを参考にしてください。
などがあります。
よく分ってきたことと、まだ完全に解明されていないこと、これらの関係から、「がん」と「怨霊」について述べてまいりました。
さてさて、皆様はどう思われますか。