カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

川柳ブーム

2016年04月26日 06時55分12秒 | 笑い

「川柳〔せんりゅう〕」ブームらしいですね。

かつて漫才一世を風靡〔いっせいをふうび〕していたころ

私は、当時あまり流行っていなかった「落語」に軽く興味をもち始めました。今でも「軽く」には違いありませんが、そのチリも積もり積もって「小山」になってきたようです(笑)。

当時人気の漫才ならば、誰でも簡単に触れることができたのですが、人気がない落語の場合、相当努力をしなければ触れることさえできない状態でした。

例えば寄席が終わって客が帰ってからの「落語会」などで、もちろん帰りは相当遅くなってしまいますが、入場料金は相当安く当時50円ほど、今の価格だと500円程度でしょうか。

ただし1~2時間という限られた時間が、若手の修行の場所になっていたのでしょうが、今おもいかえすと、その方が良かったのかも知れませんね。寄席だと同じ若手の修行の場でありながら1人あたり10分~15分とはいえ、昼から一日中拘束される上に、そこそこの料金をとられるのですから。

私が「ドツキ漫才」はもちろんのこと「しゃべくり漫才」にも懐疑的だったにもかかわらず、なぜか漫才ブームはその後、長く続きました。

その漫才ですが

最近では多彩な才能をもった人が、まず漫才師としてデビューし、その後に各種の才能を発揮して、いろいろな分野で活躍し始めているようです。それも、引き続いて漫才を続ける人やら、ほとんど漫才から足を洗って新しい分野で活躍する人など、多彩です。

つまり漫才をデビューの「登竜門」と考え、その後、漫才を土台として次なる高みへ踏み出す人が増えてきたのでしょうか。

落語家も同じですが、結構うるさい師弟関係や修行の慣行もある分、しっかりした人も多く一定の年齢以上になると、通常は漫才師より信頼性が高くなるようです。

近年の川柳について

結構なブームなんですが、多くの作品に自虐」的な傾向が見られるのが、やや気になるというところ。自虐ネタがあってもいいとは思いますが、自虐でなければいけないとなると、これはやや心配になってきます。他人を批判することに慎重なあまり自虐に走る、のが唯一の方向なら、これはまずい。

むしろ他虐」的な社会諷刺にこそ川柳の原点があります。

自虐ネタがその時代を象徴しているという価値はあるでしょうが、原点を忘れないようにしたいものです。

とはいえ私は、川柳が何を語ろうとも

日本語の基本的な「五七五」形式を守っていて、「字余り」はあくまでも例外であるのに好感をもっています。

「川柳」には直接の関係がありませんが

落語家とされているらしい故三遊亭円生門下の川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう:1931- )なる人物がいます。寄席で軍歌を歌っているらしく80歳を超えても元気で声が大きくハキハキしているのはいいとはしても、拍手を要求するなどの芸風から私は、落語家ではなく漫談家と位置付けています。それでいいんです、漫談風でも。故立川談志も、けっしてマトモな落語家ではありませんでしたね(笑)。

一方、昔からあるのが「俳句」

私も、それほど興味はありませんでしたが、その歴史を知ろうとしたことなら、あります。

文学としての俳句の歴史はおもしろいのですが、成立後やがて、五七五の形式から逸脱し始め、それが「前衛的」「本来の姿」とするのがどうも引っかかり、作為的な季語にも違和感があり、あまりのめり込まなかったようです。

また短すぎて説明がないと意味がわからない、という欠点もあります。

いや説明など不要な秀作もある、という人もいらっしゃいますが、そんな秀作でも、「説明があるからこそ、説明がなくてもいいように思うのでしょう(笑)。

「世界一短い文学」だとして英語などの外国語でも俳句が流行ったものでしたが、はいお好きにどうぞ、という程度です。 

さらにさかのぼると、連歌とか和歌という分野がありました。

こちらは五七五ではなく、さらに長い五七五七七が基本になっています。

俳句の場合、誰がどこで、どういう状況で読んだかを聞かないと、なかなかわかりにくいことが多いのですが、こちらは長いのでそんなことはないだろう、と思うのが普通です。

ところが実際にはそうでないことも多く、和歌では使用する言葉が古くなってしまい説明されないとわからないことが多いと同時に、「詞書き(ことばがき)」を知らないとその意味がさっぱりわからないこともありますし、場合によっては、詞書きを読んでも意味がまったくわからないことも(笑)。前提となる「作者についての知識」がないと、わからないことがあるのでした。

和歌の場合、無数の作品が残っていて、玉石混淆(ぎょくせきこんこう)というところ。少しかじった方ならよくお分かりでしょうが、著名な歌集(勅撰和歌集ほか)でも、ピンとこない歌がほとんどです。

庶民の和歌がほとんどないのも気になります。また時代が経過すると、当時の「常識」やら「時代背景」を知らないと、なぜ「秀歌」なのかさえわからないこともあります。

これは、歴史をありのままに知ることの大切さを示しています。どこかの国に見られるように「現在の視点だけ」で歴史を判断することの愚を戒めていますね。

客観性の意味さえわからないようでは、先学を知ることができないのでした。

不遡及(ふそきゅう)の原則、といえばどこの国を指しているか、もうお分かりですね(笑)。

和歌によって、何百年も前の庶民の姿がさっぱり見えなくても、当時の貴族の生活が微かに伝わってくるだけで貴重だとも言えます。もしこれがなければ、過去のことが何も分らなくなってしまっていた、とさえ思われます。

室町時代やもっと古い平安時代の建築も各地に残っていますが、しょせんは金持ち階級だけの名残だろうという声もあります

しかし当時の庶民の建築などまず残っておらず、いま残っている再建も含めた建築物から、かすかではありますが当時の貴族階級の様子が伝わってくることだけでも、貴重だと思うのです。

個人的なことになりますが、文芸書で所有しているのは山家集・記紀・聖書の解説書など、またネット上で公開されている勅撰歌集など40以上を保管しており、その他の膨大な情報(60万行/50MB 以上)とともに、いつでも検索できる状態です。

これがあるから、当ブログが成り立っているとも言えます(笑)。

そうですね

どうしても前提知識が必要な歌舞伎・オペラ・和歌・俳句とちがい、川柳や落語では何の前提も必要なく、誰でも気軽に聞け、しかも中にはいろいろ考えさせられるのもみられ、受け手によって様々な面を見せる多様性が好ましいと思われます。

思いついた「川柳」のサイトをご紹介しておきます。

いつも言っていることですが、ご紹介したからと言って、私がそこを全面的に支持しているというわけではありませんので、ご了解下さい。