カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

七冠王

2016年04月23日 03時19分50秒 | 将棋

囲碁界での7冠王:

井山裕太〔1989/5/24- 〕が先日2016年4月20日に十段位を獲得して囲碁界では初の七冠王(26歳)になりました。〔産経 2016.4.20

将棋界での7冠王:

羽生善治〔1970/9/27- 〕が20年前の1996年2月14日に王将位を獲得して将棋界で初の七冠王(25歳)になっています。将棋界では20年も前にあったんですね。

20年前と現在、時代が代わっても将棋・囲碁で7冠を達成した人が、25歳~26歳だったというのも、何かを暗示しています。

羽生善治〔1970- 当時25歳〕が七冠王になった20年前に

将棋界では佐藤康光〔1969- 当時27歳〕・森下卓〔1966- 当時30歳〕など若手の台頭がめざましかったものでしたが、囲碁界では趙治勲〔当時40歳〕・加藤正夫当時49歳・依田紀基当時30歳・王立誠当時38歳など比較的年齢が高い人たちが多かったのです。

もっと前には、年配の大山らの全盛時代らしい「将棋には人生経験が必要だ」という言葉が飛びかっていたものですが、中原~谷川のあと、羽生の登場で一変しました。人生経験とは関係がない、純粋な論理の世界になりました。必ずしも年配の人が有利ではない、と証明されたようです。

しかし20年前の当時、将棋界のことをよく知らない囲碁棋士の中には、将棋界が若手に占領されているのをみて将棋というものは、それほど簡単なゲームなんだ」と豪語する人が出て、馬鹿にされたものです。

現在、これが逆転したかに見える将棋界と囲碁界ですね。

つまり将棋界では年配になり始めた羽生らの依然としての独占状態と、囲碁界が若手に占領されているのをみて囲碁というものは、それほど簡単なゲームなんだ」などと、私は決して言わないのでした(笑)。

野球の世界でも見られるように

いろいろな分野で、なぜか特定の期間に優れた人たちが集中するもので、将棋や囲碁の世界も、きっと同じことが起ったのでしょう。

かつては世界をリードしていたけれども

今では徐々に声を聞かなくなってきた日本の分野としては、囲碁・卓球・体操・女子バレー・柔道などがありますね。

それぞれの世界ルールの問題もあるでしょうが、才能が地域によって開花する時期が異なることも否定できないようです。

世界をリードしていたとは言えない例として

世界順位で20位くらいだったはずの男子サッカーも、今では50位台をうろついています。 


最後に、日本では囲碁界と将棋界が各新聞社と、どう提携しているかをご紹介したいと思います。年度は設立の年です。 


囲碁棋戦 年度   主催紙 


棋聖戦  1976年 読売新聞社
名人戦  1974年 朝日新聞社
本因坊戦 1939年 毎日新聞社
王座戦  1952年 日本経済新聞社
天元戦  1975年 新聞三社連合
碁聖戦  1975年 新聞囲碁連盟
十段戦  1961年 産経新聞社  


将棋棋戦 年度   主催紙


竜王戦   1988年 読売新聞〔旧の十段戦〕
名人戦   1935年 朝日新聞社毎日新聞社
王位戦   1960年 新聞三社連合
王座戦   1953年 日本経済新聞社
棋王戦   1974年 共同通信社
王将戦   1951年 スポニチ社・毎日新聞社 
棋聖戦   1962年 産経新聞社 


これを見ていると、おもしろいことに気づきますね。

  • 将棋と囲碁では、それぞれ固有の棋戦名、囲碁では本因坊・天元・碁聖、将棋では竜王・王位・王将がありますが、同じ棋戦名、名人戦・棋聖・十段(将棋では竜王へ発展的解消)もあります。
  • 日経は、将棋と囲碁の両方で同じ「王座戦」を主催
  • 読売は、囲碁で「棋聖戦」、将棋で「十段戦(今の竜王戦)」ですが、産経は囲碁で「十段戦」、将棋で「棋聖戦」、を主催しています。ちょうど囲碁と将棋では、逆の名称ですね。
  • 朝日は囲碁将棋とも「名人戦」を主催〔将棋の名人戦は毎日と共催〕
  • 一番古いのは将棋が「名人戦」、囲碁が「本因坊戦」で、共に毎日が主催〔将棋名人戦は朝日との共催〕
時代が進むにつれて

棋戦の数が増えるのは結構なことですが、トップの棋士も限られており、タイトルをもっていると毎年挑戦者を迎えて多くの場合七番勝負をするのですから、7つくらいが体力の限界でしょう。
七番勝負ですから、毎週1回対局するとして、4連勝すれば7タイトルの場合4×7=28週(/1年52週)ですが、すべて最終7局にまでもつれた場合7×7=49(/1年52週)ですから、その他の順位戦やファンサービス行事などを考えると、若い頃でも7つ位が限界なのかも知れません。

それぞれ機能を分化し、参加する棋戦と参加しない棋戦という暗黙の了解あるいはそういう制度になれば、もっと増えて構わないでしょう。
ただし、収入と同時に別の尊重すべき魅力が付け加わるならば、20歳台でもっと多くのタイトルを手にする人が現われるかも知れません。

また昔の大山時代に、もしも7タイトルがあれば、きっと大山が独占して七冠王になっていただろう、と言う人も、いました。仮定の話ですから何とも言えませんが、それなりの発言価値はありそうです。

なお「序列」に関して
  • 日本ではそれほど儒教に毒されているとは言えませんが、中国・韓国では宗教以前の社会規範のようになってしまうほど儒教に毒されているようです。儒教では、改善を禁じ、今の身分に甘んじることを要求しており、支配者にとってはとても都合のいい制度ですね(笑)。もちろん逆に言えば、これが「社会の発展・改善」の障害となっており、差別を温存させております。
  • ただし棋戦には賞金金額というのがあり、この金額で「序列」を決めているようで、主催紙がこれをうまく使っているのか、それとも将棋連盟や日本棋院などが狡猾にこれを利用しているのかわかりません。
  • こちらを参考にして下さい。
  • 私の個人的な見方では、読売の突出が気になりますが・・・・・・。