番組編成の区切りとなるのが昨日2016/03/31。
番組が終了したり、担当者が変わることもあれば、新しい番組がはじまり、担当者が新しい人であったり、前の人が引き続き「装いも新たにして」担当を続けたりします。
古舘伊知郎 報道ステーションを卒業 「窮屈になってきた」 “圧力”は否定:まんたんウェブ 2016年3月31日
これには想い出が少々あります。誰も聞きたいとは思わない、と思いつつ・・・・
私が夜遅く最寄りの駅で降りて自宅に向かう途中、毎週ですが必ず寄る居酒屋があり、その時間帯が、ちょうど「報道ステーション」が放送される前後だったのです。
よって私には、その店と古館が重なって想い出となっています。
もちろん報道される内容については、どうでもよく、「他にチャンネルをまわしてもいい」と言われても、他に適当な番組がなかったのでしょうか、そのまま流し続けました(笑)。
思えば、久米宏のころから自宅で時々視聴、久米が「失脚」してからも上記の通り古館を自宅以外でしばしば視聴、しておりました。その古館がようやく卒業するというのです。
他の人には何でもないことのようにみえ、本人にとっては、このように想い出となって残るのでしょう。
古館の功罪については、ここでは触れません。
そして私は、似たようなことが、どこの誰にもあるに違いないと思うようになりました。
- なんでもないことですが、自分にとって想い出となるようなことが、「多くの人にもあるのではないか」と誰もが思うとは限らないのですね。←ああややこしい!
- それは、自分の考えは特別であり、絶対に正しい。他の人のあらゆる判断結果は間違っている、とする人たちのことです。
- ものごとを敷衍(ふえん)できない人たちが、現実社会にいるのですね。
- 行き過ぎた一般化はいけませんが、自分を特別視することなく、自分が選ばれた民であると思わずに、謙虚に他人の話に耳を傾けられる人でありたいと願っております。
この正反対で、
- 自分の考えを言わず、いつもどこかからの「不正確な引用」をして他人を従わせようとする、人たちもいます。
- 不正確な引用の中に、巧みに自分の特殊な信念を紛れ込ませる場合もあるので、鬱陶(うっとう)しいですね(笑)。
つまり
- 自分の考えを他人に強制しないこと
- 全部賛成する必要はありませんが、他人の意見にも耳を貸す
- 他人の言葉を引用する時には正確に
というごく普通のことができない人が、この日本近辺にたくさんいることを、知っておかねばなりません。
言い替えると、上の正反対をいく人がいて
- 自分の考えを他人に強制する
- 少しでも聞けば賛成したとみなされるので、相手の話は絶対に聞かないこと
- 自分に都合のいいよう、他人の言葉を不正確に引用する。場合によっては「偽造・捏造」も平気。
こんな人、いませんか(笑)。
古館の報道ステーション卒業から、こんなことを考えました。
そういえば「卒業」する人がたくさんいますね。
報道ステーションから
- 古舘伊知郎
AKBからは
- 卒業した前田敦子
- 卒業しようとしている高橋みなみ
- やがて卒業するはずの指原梨乃
NHKお天気キャスターから
- 寺川奈津美(2016/04/01 19:00-19:30が最後で、4月4日から民放フジテレビでお天気を担当。)
大江戸なんでも番付
- 三遊亭円楽が卒業なのかそれとも番組そのものが終了なのか(最終日?は2016/04/01 21:00BS朝日)